ヘンリク卿〈5〉

 幾多もの逡巡の後、カールマン辺境伯は中央後方にて待機していた騎兵隊を崩壊した右翼に増員することを決定する。


 退がるわけにはいかない。

 だが負けるわけにもいかない。

 こうして伯爵は政治的判断と軍事的判断の中庸を取るような判断を下したのである。



※※※※※※


 その頃、侯国軍左翼の騎兵隊を指揮するエーギルは侯子ラグナルスの隣にてその魔導の才を余す事なく発揮していた。


「殿下、戦場の雰囲気は如何ですか?」


 地を揺らすようにして鳴る馬蹄の響き。

 重い甲冑を着た兵士を乗せて懸命に駆ける馬の嘶き。

 砲撃に曝された兵士が喚く悲鳴。


 戦場という劇場に見事に調和した三重奏トリオが響き渡る中、ラグナルスは緊張した面持ちで答える。


「…矢張り訓練と実戦は違うものだな。戦場の圧に気後れしてか砲撃精度がすこぶる悪い」

「いえ殿下の魔導は大層見事なもの。このエーギル、感服しております」


 そうだろうか、と言いながら続けて敵方の砲撃に合わせてラグナルスは隊列を保護するための障壁を展開する。

 このように若き銀狼は謙遜しているが、全身を白に包んだ騎士の漏らした感嘆は事実に基づくものであった。


 周囲の騎兵は魔導金属ミスリル製の全身をすっぽり覆う甲冑を着込んでいる。

 だがエーギルとラグナルスは身体の殆どが皮や布製の防具で、重い魔導金属ミスリル武具は僅かに胸甲と兜のみ着用しているというのがその証拠である。


 魔導騎兵マギルリエは概して古代の戦場のように重装備に身を包むが、これは防御力に期待してのことでは無い。

 火砲カノンの如き魔導砲撃、易々と盾や甲冑を貫く銃の発達といった要素は兵士に防御力を捨てさせた。


 だがそれでも魔導騎兵が重い装備を着るのは、馬上にて魔導を行使するためには魔導金属ミスリルの力に頼る必要があるからである。

 魔導の行使とは魔導式を構築し、座標を指定し、魔力を注ぎ込むという三つの過程を必要とするが、前者二つには多大な集中力を要する。

 その半分を解決したのが魔導金属ミスリルである。これを加工した武具は、含有量・・・に応じて魔導式の構築を自動化出来るようになった。


 即ち魔導騎兵マギルリエが軽装であることは、優れた才を持つ騎手であることを自ら証明している。



「…この戦、勝てるだろうか?」

「先程早馬にて右翼方面が優勢であるとの伝令が届きました。我等左翼が崩されなければ、主力中央と他の騎兵が趨勢を決するでしょう」


 ラグナルスの心配は凡そ去ったものであると告げる。

 かくいうエーギルも自分の手足の如く騎兵隊を指揮し、敵方の騎兵を徐々に後退させていっている。



 もしグイスガルドの諸兵が最も武勇の才ある者は誰か?、と問われればこう答えるであろう。


「勿論エゼルレッド殿でしょう!かの勇者は異民族の侵入に対してただ一人、鋤と鍬を以て打ち倒したのですから!」


 また侯国の事情に詳しく無い異邦人が最も用兵の才ある者は誰か?、と聞いても皆の返答は一致する。


家人ミニステリアーレスのエーギル殿に決まっています!かの御仁の用兵は迅速かつ整然。それでいて敵を侮る事もありません。生まれる時代・場所が異なれば、常勝帝にもユーグ大王ユーグ・デン・ストゥーレンにも並び立つに違いないでしょう!」


 こういった評価に相応しく、たった今の左翼を支配しているのはエーギルの隊である。


 隊列を乱す事なく、敵騎兵の動きを的確に予測し、麾下の兵に砲撃と障壁の指示を与える様はまるで第三の目を持っているかのよう。

 決して戦の常道を外れないながらも、相対する騎兵に奇術を用いてるかのよう。

 その用兵術は魔導学校にて戦術を修めたラグナルスをも思わず唸らせるものであった。



※※※※※※


 結果として見ればライネスブルク辺境伯カールマンは最悪の選択肢を取ったといえよう。


 右翼は増員したものの、既に崩壊気味であった騎兵隊は潰走するに至った。

 中央は歩兵が少数であるがために後方にて温存させた末に、戦場各所に支援砲撃を満足して行う事が叶わなかった。

 左翼の騎兵は奮戦したものの、エーギルの熟達した用兵に対して後退を余儀なくされた。



 そしてこの好機を逃すキデルベルト侯では無かった。


「全軍速度を速めよ!女神フォルトゥナは我々に微笑んだ!」


 中央魔導兵が魔導弾にて両翼へ歩調を合わせた突撃を合図すると、歩兵隊も前進を加速させる。



 この時、キデルベルトを含めた侯国軍諸兵の脳内では最終幕『龍の堕落』が確かに・・・切って落とされた。

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る