わたしの声が届きますように
谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中
前編
「君の声に一聞き惚れしたんだ! オレと付き合ってくれ!」
きゅっと両手で手を握られて、わたしはただおろおろするしかできなかった。
春。新しい中学校。新しい部活。新しい、先輩。
波乱の幕開けだった。
*~*~*
わたし、
引っ込み思案なわたしは、大きな声で自分の意見を主張することができなかった。
否定されるのが怖くて、声はどんどん小さくなった。
ずうっとそうやってきたら。いつの間にか、大きな声を出したい時でも、大きな声が出せなくなっていた。
いつか、わたしの声なんてだれにも聞こえなくなっちゃったらどうしよう、なんて泣いたこともある。
でもある日、家族でカラオケに行った時。
お母さんがマイクを持たせてくれて、音量をめいっぱい上げてくれた。
わたしは家族の前でも、歌なんて恥ずかしいな、って思ってたんだけど。
ごくごく小さな声で、学校で習った歌を歌ったら。マイクが、その声をすごく大きくしてくれて。
単に音が大きくなるだけじゃなくて、なんかふわーっていい感じに響かせてくれて。
マイクってすごいな、って思った。
わたしの小さな声でも。マイクを通すと、こんな風に大きくきれいに聞こえるんだ。
だけど、家でマイクなんて使ったら、ご近所さんから怒られちゃう。
だからわたしは、中学生になったら、放送部に入ろうと決めていた。
歌が歌いたいわけじゃなくて、マイクが使いたかったから。合唱部とかは、違うかなって。
初めてわたしが自分からやりたい、と言ったことに、お母さんもお父さんも喜んで賛成してくれた。
無事に合格して、春からわたしは響明中学校に通っている。もちろん、放送部にも問題なく入れた。
部活動は既に始まっていて、最初は機材の扱い方を教わったり、放送の当番を決める。
そして今日。初めて、私が放送の担当をする。
後ろから先輩たちに見守られて、私はどきどきしながら原稿を見た。
ほんの一言だけど、最初だから。
文字にして書いておいて、頭が真っ白になって忘れちゃっても読めば大丈夫なように。
電源のスイッチを入れて、音量のスライダーを上げる。わたしの場合は、他の人よりちょっと大きめに。
すう、と息を吸って、マイクに向かってしゃべり出す。
『そろそろ下校時刻です。校内に残っている人は、帰りの支度を始めましょう。繰り返します。そろそろ下校時刻です。校内に残っている人は、帰りの支度を始めましょう』
ほんの一言。だけど、噛まずに言えた……!
やりきった気持ちで、音量のスライダーを下げる。電源を切って、ぱっと後ろを振り返った。
「やったね、小鳥遊さん!」
「うんうん、上出来だよ!」
同じく今日の当番である女の先輩2人が褒めてくれた。そのことにほっとして、わたしも応えるように笑った。
当番は3人制。朝、昼、放課後の3回。だから3人で分担する。わたしは今日が初めてなので、朝と昼は先輩の放送を見学して、放課後の担当をさせてもらった。
あとはもう1回、下校時刻になったら放送をするだけだ。
放送部が自由に使っていい時間の枠もあるけれど、今日は初めてなので、最低限のこの2回だけ。
マイクのあるスタジオ内にいるのは、当番の3人。
残りの放送部員は、放課後になると部室で作業をしたり、空き教室で練習をしている。機材は放送室にしかないので、同じ放送室内の、スタジオと区切られている、ディレクター室の方にいることもある。
今日も数人いたはずだ、と思って振り返ると、なにやらディレクター室の方がざわついている。
なんだろう? と思っていると。
バンッ!
大きな音を立てて、スタジオの扉が開いた。
「今の放送だれ」
スタジオ内に響き渡る、よく通る声。
明るい色の髪。意志の強そうな瞳。みんなと同じ制服のはずなのに、まるでモデルのように放つオーラが違う。姿勢のせいだろうか。
――か、かっこいい……。
あんまり男の子に興味はなかったけど、そんなわたしでも思わず見とれてしまうくらい、かっこいい男の子だった。
「えっえっうそ、コウくん!?」
「やだ、なんで放送室に!? ていうか今日学校来てたんだ、ラッキー!」
きゃぁきゃぁと小声で盛り上がる先輩2人に、わたしはついていけない。
興奮してるし、普通に声をかけたら、声が小さくて聞き取れないかもしれない。
わたしは先輩の服を、ちょっとだけ引っぱった。
「だ、だれですか?」
「えっ小鳥遊さん知らないの!? 2年の
「えっ!?」
わたしは驚いて間宮先輩を見た。声優? この人が? まだ中学生なのに?
「なぁ、さっきの放送」
じれたように繰り返す間宮先輩に、わたしはどきっとした。
な、なんだろう。なにか、おかしかったのかなぁ。だめなところ、あったかなぁ?
「あ、わ、わたし……です」
おずおずと、小さく手を上げる。
わたしの姿を見ると、間宮先輩はちょっとだけ目を丸くして、つかつかと目の前まで来た。
なんだろう、とびくびくしていると、急に手を取られて。
「君の声に一聞き惚れしたんだ! オレと付き合ってくれ!」
きゃー! という先輩たちの声をBGMに、わたしは目が点になった。
ひ、一聞き惚れって、なに? っていうか、付き合うって……付き合うって!?
「え、えっと、あの」
「あれこそまさに、鈴を転がすような声と形容するに相応しい。天賦の才だよ。毎日聞かせてほしい。だからオレと付き合ってくれ」
「こ、こここ困ります。あの、わたし、あなたのこと知らないし。それに、わ、わたしの、声……あれは、マイクを通して、聞いたからで。本当の、わたしの声、こんなの……で」
マイクで大きくした声だから。マイクのおかげで、ちゃんと聞こえてるんだ。
本当のわたしの声は、小さくて、弱くて。
マイクがなくちゃ、届くかどうかも、わからない。
「それのなにが問題なんだ?」
「え……?」
「マイクを通して美しい声、というのは才能だよ。訓練すればある程度きれいな声はだれだって出せるけど、マイク乗りのいい声っていうのは貴重なんだ。それに、君のは声が小さいだけだ。純粋で、澄んでいて、聞いていて心地がいい……。声だけで、君がどんな人なのか、気になって気になって仕方がない。こんなに気になるということは、これはもう恋だと思う。好きだ」
「ひえっ!?」
それはちょっと、話が飛躍しすぎてないだろうか。
「ね、ねぇ……コウくんって、あんなキャラだったっけ?」
「なんか、雰囲気違うね」
ひそひそと、先輩たちが話しているのが聞こえた。
ちょっとおかしな人だと思ったけど、普段はこんな風じゃないってことかな。
「あ、あー……その、取り込み中のとこ申し訳ないんだけど、そろそろ下校の放送」
「あっ! ご、ごめんなさい!」
おそるおそる、といった様子でスタジオを覗いた別の先輩に言われて、わたしは時計を見た。
そうだ。そろそろ下校の放送しないと。
「あ、あの、間宮先輩」
「皇でいいよ。そうだ、君の名前を聞いてなかった」
「えと……小鳥遊、です。小鳥遊美緒。あの、わたし、放送部の仕事が、あるので。とりあえず、スタジオの外に」
「ここで見てちゃダメ?」
「だっダメ、です! 緊張、するので」
「そっか。じゃ、後でな」
意外にもあっさりと引き下がって、間宮先輩はスタジオを出ていった。
でも、ディレクター室にある椅子に腰を下ろしたので、放送室から出ていく気はないらしい。
それを気にしながらも、平常心、平常心、と言い聞かせて、放送の準備をする。
大きく、息を吸って。
『下校時刻となりました。校内に残っている生徒は、速やかに下校してください。繰り返します。下校時刻となりました。校内に残っている生徒は、速やかに下校してください』
よし、うまくできた。
ほっとして、片づけをする。当番の先輩と一緒にスタジオを出ると、ディレクター室の方で、間宮先輩がにこにこしながら待っていた。
「部活動、終わりだよな? ちょっと話そうよ」
「で、でも、下校時刻なので。もう、帰らないと」
「じゃぁ帰りながらでいいから! 一緒に帰ろうぜ」
有無を言わせない強引さで、わたしは間宮先輩と帰ることになった。
「いやー、今日は登校してきて良かったな。義務教育だから、一応学業優先ってことにはなってるんだけどさ。仕事で休むことも多いから」
「仕事、って、声優の……ですか?」
「そうそう」
わたしはそわそわしながら、間宮先輩を見上げた。
声優。それは、ひそかにわたしが憧れている職業だった。
マイクを使うお仕事ってどんなのがあるかな、って調べた時。
まっさきに出てきたのは、アナウンサーだった。
でも、アナウンサーはマイクに向かってしゃべるばっかりじゃなくって、大きな声で実況やレポートをしたり、バラエティ番組に出ることも多いみたい。
引っ込み思案なわたしには、難しいかもしれない、って思った。
あとはやっぱり、歌手。歌にはマイクがつきものだ。
でも、わたしは歌が歌いたいわけじゃない。わたしの言葉を、マイクを通して届けたい。
それにちょっと、歌は苦手だから。歌手も難しいかなぁって。
そんな中、見つけたのが声優。
今は声優の仕事もいろんな種類があって、タレントみたいな活動もしているようだけど。
基本的には、マイクの前でお芝居をする、裏方なんだそうだ。
裏方。おかしいかもしれないけど、その言葉にわたしは惹かれた。
引っ込み思案なわたしでも。裏方なら。『わたし』じゃなくって、『キャラクター』なら。
思いっきり、言葉をしゃべれるかもしれない。
お芝居はやったことがないけれど、言葉を伝えたい、というわたしの気持ちに、声優の仕事はぴったりな気がした。
「なに。声優、気になる?」
間宮先輩に覗き込まれて、どきっとした。そんなに顔に出てただろうか。
「そ、そうですね」
「オレ、美緒の声は声優に向いてると思うよ。一緒に仕事できたら嬉しいなぁ」
「ほ、ほんとですか!?」
普段よりちょっとだけ大きな声が出た。
恥ずかしくなって、ぱっと俯く。
「あれ? もしかして、美緒声優になりたいの?」
「な、なりたい、っていうか。その……憧れ、で。いつか、なれたらいいな、なんて……」
ただでさえ小さい声が、どんどん小さくなっていく。
プロの声優として活動している間宮先輩の前で、こんなこと。笑われないだろうか。
「いつか、なんて言ってたら、いつまでも叶わないよ。なりたいと思うなら、今から行動しないと」
見上げた間宮先輩の顔は、微笑んでいたけど、真剣だった。
笑わない。この人は、わたしの夢をバカにしない。
「だからさ。オレなら、学校の先輩としても、仕事の先輩としても、いろいろアドバイスしてあげられると思うんだよな」
「え」
「オレと付き合うと、お得なこといっぱいだよ? だからさ、まずはお試しでいいから、オレと付き合わない?」
結局、そこに行きつくのか。
わたしは気持ち体を引いて、空笑いしながら答えた。
「わたし、まだ、付き合うとかそういうのは」
「だから、お試しでいいから! お願い! このとーり!」
手を合わせて頭を下げる間宮先輩に、わたしはうろたえた。
どうしよう。どうしよう。周りの目も気になって、わたしは焦って答えた。
「わ、わかりました。お試しで、いいなら」
「マジで!?」
がばっと顔を上げた先輩の目は、きらきらと輝いていた。
「お、お試し、ですからね!?」
「わかってるわかってる! これからよろしくな、美緒!」
「きゃぁ!?」
嬉しそうにはしゃいで、先輩はわたしを抱きしめた。
「ま、ままま間宮先輩!」
「だから皇でいいってば。恋人なんだし、名前で呼んでよ」
「ここここいび、と!?」
慣れない行動、慣れない言葉に、わたしは動揺しっぱなしだった。
そんなわたしをからかうように、間宮先輩は耳元に唇を寄せて。
「美緒」
名前を呼ばれただけなのに、ぶわっと顔に血が集まった。
え、え、なんで。なんだろう。
ただ名前を呼ばれただけなのに。全身がそわそわして、落ち着かない。
これが、プロの声優の力というものなのだろうか。
顔を真っ赤にするわたしに、間宮先輩は満足そうにぎゅうっと抱きしめる力を強くした。
ああ、わたし。これから心臓、もつだろうか。
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