禍魅《かみ》

矢舷陸宏

   序

 私、清水きよみずゆきがその奇妙な相談を受けたのは、とある日の夕方だった。

 高校の別棟にある「オカルト研究部」の部室で本を斜め読みしていた時の事である。

 同じクラスの篠山ささやまさんが訊ねてきて、少し気遅れ気味に「相談に乗って欲しい」と言ってきたのだ。

 遺憾ながらクラスで浮き気味である私は交友関係に乏しく、同じクラスといっても篠山さんとはほとんど接点はない。そんな彼女がオカルト研究部部長の私に相談と言うのであるから、相談内容は凡そオカルト関係であるという事は予想が付いた。

「清水さんは幽霊とかに詳しいよね?」

 私が相談に乗るか否かの返答をする前に、篠山さんはそう切り出した。

「人並みには」

 心霊現象のムック本を閉じながら、私は在り来たりな答えを口にした。

 実際、幽霊に詳しいかと訊かれれば微妙なところである。

 確かに「研究部」を名乗っている、その部の部長であるが基本的には本を読み漁ったり、心霊スポットに出掛けてみたりするのが主な活動の部活だ。専門的な研究をしているとは言い難く、私自身もあくまで「趣味人」のつもりでいる。

 それでも一応「人より詳しい」という妙なプライドはあったし、何より相談内容に興味があったのでとにかく聞いてみる事にした。

「私の友人の話しなのだけれど……」

 そう言って篠山さんは話し始めた。


 篠山さんの友人――まだ私を警戒しているのか名前は教えてくれなかったので、ひとまずAさんとしよう。そのAさんと篠山さんは幼い頃からの友人であるという。

 Aさんは丸っこくて可愛い子だが美少女というような感じではなく、どちらかというと地味目な外見の部類に入るそうだ。ただオッパイはデカくて、そこだけは大いに目立つらしい。

 このAさんは人当たりがよく、優しい子なので地味目でありながらも男子から密かな人気があるらしい。オッパイ大きいなら尚更だろう。

 しかしモテるAさんには彼氏の類はおらず、色恋沙汰にも疎い……というよりも無関心であるらしい。


「いや、厳密には無関心ではないのだけれどね」

 そう言って、篠山さんはペットボトルのお茶を一口飲む。

「あの子、一つだけ不思議なところがあるの」

「というと?」

 私が話の続きを促すと、篠山さんは自分の鞄に着けているマスコットを手で揺らしてみせた。

「人形」


 幼馴染のAさんには幼い頃からお気に入りの人形があるのだそうだ。

 それは布おそらくはフェルトで作られた茶色い髪の男の子のぬいぐるみで、市販されているような特定のアニメのキャラクターではなくて「多分」手製のぬいぐるみであるらしい。


「多分?」

 持って回った言い方に私は訊き返す。

「あんまり大きな声では言えないけれど」

 小声で言いながら篠山さんが顔を近づける。

「盗んだ物なの」


 そのぬいぐるみはAさんが篠山さんと小学校低学年の時に古いお寺から盗んだ物で、そのためそのぬいぐるみがどういう経緯で、誰が作った物なのか全く解らないのだそうだ。

 そのお寺というのは不思議な所で、沢山のぬいぐるみや人形が置かれていたらしい。

 Aさんのぬいぐるみはその中の一つだった。


「人形供養かな……」

 ポツリと私は呟いた。

「人形供養?」

「人形というのは人や動物の形をしている物だから、昔から魂が宿るって言われている。だから廃棄する時に人間みたいにお坊さんに読経とか線香を上げてもらったりするの」

「そうなんだ。私ふつうに棄ててたや」

「今の時代だとよっぽど大切にしていた物か、あるいはいわく付きの物とか以外はあんまりやらないんじゃないかな。でも今でもやってくれる所はあるし、専門のお寺とかもあるよ」

「じゃあ私達が行ったお寺ももしかしたら」

 私は頷く。

「そういうお寺だったのかもしれない」

「じゃああの子が拾った人形も供養待ちだったのかな……?」

 篠山さんは話しを続ける。


 たまたま忍び込んだお寺で、篠山さんとAさんは綺麗に並べられた沢山の人形を見つけた。そしてその中で気に入ったぬいぐるみをAさんが持ち出してしまったらしい。

 薄汚れていたが綺麗に洗い、解れていた所は直してもらって、以降ずっとお気に入りなのだそうだ。

 ここまでなら単なるぬいぐるみ窃盗物語なのであるが、Aさんのぬいぐるみへの愛情は些か行き過ぎているらしい。

 常に持ち歩き、寝る時も同じ布団に入れ、今は解らないがお風呂にも一緒に入っていたのだそうだ。


「ぬいぐるみを湯船に付けたら生地痛みそうだけれど」

「だから最近は一緒に入ってないみたい」


 これが小学生までなら未だ解る。

 しかしAさんのぬいぐるみへの愛は中学に上がってからも続いた。いや、それ以上に燃え上がっていった。

 まるで恋人であるかのように抱き、甘えるかのように愛をささやいて、人が周囲にいないような所ではキスもしている。

 篠山さん自身は見ておらず、あくまで噂レベルだが疑似的なセックスをしているのを見た人もいるのだそうだ。

 そういった異様なぬいぐるみへの求愛行動は高校生になった今でも続いており、流石に両親も心配になって篠山さんに相談を持ち掛けてきた。

 しかし篠山さん自身も心配していたくらいだから、相談されたところでどうしようもない。

 それで藁にも縋る想いでオカルトに詳しそうな私の所に来た、というわけである。


「うーん、でもそれだけだとピグマリオンコンプレックスかもしれないし……」

「ぴぐまりお……なに?」

「日本語でなら人形偏愛症。簡単に言うと人形相手に性的に興奮しちゃうってこと」

 偶像崇拝の類もあるし、人形への異常な執着が必ずしもオカルトに通ずるとは限らない。言い方は悪いが異常性癖である可能性の方が高いのだ。

「うん。ぬいぐるみを愛しているってだけならば、私も特殊な趣味なんだな程度に思ってた」

「他に何かあるの?」

「帰って来るの。棄ててもね」

 それが何処であっても、と篠山さんは付け足す。

「それはゴミ捨て場に置いてきても、気付いたら家にいるって事だよね?」

 篠山さんは頷く。

 それを先に言って欲しかった。


 実際、篠山さんは人形が「帰って来る」のを目撃していた。

 いつも通りAさんと出掛けた際に、忘れた風を装って電車の中に放置してきたらしい。

 無論、計画的にだ。一緒に出掛けたのも最初からそれが目的であったのだという。

 もちろんAさんは大いに哀しんで「見付かるまで帰らない」と泣きじゃくったが、篠山さんはそれを説得して無理やり彼女を家に連れ帰った。同情するふりをしていたが内心では「上手くいった」とガッツポーズを取っていたらしい。

 そして大声で泣くAさんを宥めながら彼女の自室に連れていき、扉を開けた。


「そしたらいた、と」

 その時の光景を思い出したのだろうか。篠山さんの手は少し震えていた。

「まるで待っていたみたいに、部屋の中央にチョコンと座ってた」

「それは、怖いね」

「うん。もちろんあの子は大喜びしたけれど、私は怖くてそれ以来、あの子の家には行ってない」

 そう言って、篠山さんは一口お茶を飲む。


 無論、Aさんの両親もぬいぐるみを棄てようと努力はした。

 しかし何れも失敗し、気が付くとぬいぐるみは帰ってきていたのだそうだ。

 終いには重石付けて湖に沈めたが、その当日、Aさんは物凄い高熱を出して倒れ、病院に搬送されてそのまま入院した。

 そして一夜中、ずっと「帰ってきてー帰ってきてー」と魘されていたらしい。

 そのうえ朝になったら寝ているAさんの腕の中に「最初からそこにいました」とばかりにぬいぐるみは収まっていた。

 それ以来、Aさんは警戒して誰にもぬいぐるみを触らせないようにしており、棄てても帰って来るだけでなく、Aさんの執着心まで増していくものだから両親も遂には諦めたのだそうだ。


「それさ、その子は戻ってきているのに疑問は持たないの?」

 篠山さんは頷く。

「そこも不気味なところなの」

 思わず私は唸った。

 思っていたよりも恐ろしい話しである。

 呪いの人形、とでも言うのだろうか? 下手に棄てようとすると悪化するのだから性質が悪い。

「なんとか、ならないかな?」

 縋るような目で篠山さんは言うが、私は専門家でもお祓い師でも「寺生まれのTさん」でもない。

 色々と無い頭を絞って考えた結果、とにかくその人形を見てみる事に決め、篠山さんがAさんとアポを取って後日会う事となった。

「呪いの人形かァ」

 正直、私はワクワクしていた。

 オカルト「研究部」などと名乗ってはいるものの、これまで怪異や呪いのアイテムなどとの遭遇は一度もなかったからだ。

 だから人形の呪いが自分に降り掛かるかもしれない、などという危険性は微塵も考えていなかった。

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