第3カテゴリ「自分と世界の分水嶺」
3−1 分水嶺:配慮は求めても理解は求めるな
私は精神病を精神が弱い人、メンタルが弱い人がなるものと思い、見下していました。今ほど精神病が身近ではない時代であって中学生でしたのでそういうこともあるかもしれませんが、そういうものでした。
第3カテゴリは自分と世界の分水嶺です。分水嶺とは水が分かれる境界線となっている山の尾根を指し、転じて物事がどうなっていくかが決まる分かれめのことです。 ここでは絶対に精神病患者と健常者がわかり合えない溝について話していきたいと思います。
何が事態を複雑化しているかの諸悪の根源は精神病とかメンタルとかの名前を使用することです。それで、精神が弱い人なんだなという先入観が植え付けられます。
精神科や心療内科は脳内科に名称を変更すべきと思っています。精神病は精神とかメンタルとか心とかそんなふわふわしたものではなくて、もっと脳の回路のバグや、脳のアルゴリズム異常のようなものと捉えています。
だったら、その異常はどうしようもないのかと嘆くかもしれませんね。でも悲しむ必要はありません。
脳は大人になっても変化するものです。脳は生涯を通じて変化できる、プラスチックのように柔軟なものだと研究を通じてわかっており。この性質を「神経
ただ、障害者が異常なのは間違いなく、それは健常者からみたら、どこか遠い国の宗教のような話に思うでしょう。そんな健常者との付き合い方に対する1提案です。
『配慮は求めても、理解は求めるな』
配慮が必要な理由をお話しますね。普通に仕事して、正確には普通に見えるよう対処して仕事している時点で、私たち障害者は脳内のリソースを脳内の対処で使用しています。パソコンで言えばあともう一つタスクが増えるだけでメモリ上限まで使用中だよっ。って状態ですね。一生懸命働いても、それで普通の人かちょっと仕事のできない人ぐらいな感じになるでしょう。それを咎められない為に配慮が必要なんです。理解とどう違うのかというとそういった障害があるなら仕方ないねぐらいの認識があれば助かるといった話です。
ただ、それをストレスを感じる健常者もいるでしょう。なので、そういう人たちにも配慮してもらう為には良好な人間関係が必要です。良好な人間関係を築くには、
理解を求めてはいけない理由に足を失った人を引き合いに出しましょう。足を失った人がどんなに不便な生活を強いられているか配慮することはできます。ただ、足を失った人の気持ちを理解するためにあなたも足を失いましょう! となりますか? ならないですよね。だから自分の脳内がどんな状態か必死に説明するのはやめましょう。主治医だけで大丈夫です。
脳の異常回路をどんなに説明したところでそれは伝わりますか? 理解してもらう為には、同じ異常になってもらわないと分かりません。私は昔精神病を精神が弱い人だと見下してました。そんな過去の私に理解してと訴えたところで、拒否され、煙たがられ、疎遠になるだけでしょう。障害者と健常者は理解しあえません。理解できるとしたら健常者が障害者になった時だけです。あなたはそれを望むのですか? そうではないですよね。健常者が障害者に歩み寄ることを強制するからおかしいのです。障害者がより健常者に近づくために努力するのです。その努力はきっと健常者に伝わりますよ。
ネットではこの病気を理解して貰いたくて漫画にしました! とかよく見かけます。理解を求めるのは当事者がやってはいけません。理解を求めているのは
わかり合えないことを恐れないで下さい。
わかり合えないと割り切る勇気を持って下さい。
少しづつ脳内回路の神経可塑性で「幸せ回路」を構築していきましょう。
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