塾長の秘密 夏合宿 その2

 算数と国語の授業を1時間ずつ受けたところで、夏合宿は初日の昼休みを迎えた。


 恋心を抱いて女の子にお尻を叩かれるという恥辱の後に、質も量もトップクラスの塾長の授業を受けると、まだ午前中だというのに一日分の力を使い果たしてしまった。


 正直、食欲はあまりないがここで食べておかないと、午後の授業に差し支えてしまう。気力を振り絞って箸をとり、お弁当を食べ始めた。


 大きなリビングテーブルに男子と女子で別れて座っており、疲労の色がにじむ男子とはちがい女子たちは楽しそうにお弁当を食べている。

 

 いわゆるお誕生日席に座って一緒にお弁当を食べている塾長が、女子たちに話しかける。


「ねぇ、授業どうだった?」

「すごく分かりやすくて良かったです」

「うん、ホント」

「こんな授業が4日間も受けられるなんて最高です!」


 女子たちは口々に塾長を褒めたたえた。

 週5回塾長の授業を受ける特進クラスの僕たちとは違い、Aクラスであっても塾長の授業は週に1回1時間しかない。

 そんな貴重な塾長の授業を3泊4日間みっちりと受けられる、この夏合宿は女子たちにとっては楽園のようだ。


「でも、堀口さんが女の子になりたかったなんて知らなかったよ。気づかなくてごめんね」


 女子同士で話が盛り上がっているかと思ったら、急に花恋が話を振ってきた。話を振られてお弁当を食べていた箸が止まる。


「あっ、いや、これは、ちがうんだ」

「あら、ちがうの?男子なのにスカート履きたいだけなの?女装して、女子にお尻叩かれて喜んでるなんて、変態ね」


 軽蔑する視線が投げつけられ、痛みを感じる。

 実際その通りなのだが、変態とまで言われると肯定するのは憚られる。


「うん。花恋の言う通り、女の子になりたかったんだ」

「そう、願いが叶ってよかったね」


 ほくそ笑む花恋と、したり顔の塾長。僕と花恋のやり取りをクスクスと笑いながら聞いている玲奈と夏希。

 女子3人とも、塾長からすべてを聞いているようだった。


「山下さんも本田さんも、そうなの?」


 玲奈が知っているのに、あえて意地悪っぽい口調で尋ね、山下と本田は顔を赤らめながら頷いた。


「この合宿終わってからは、女子の3人も特進クラスだから、女の子のこと教えてあげてね」

「はーい♪」


 塾長の言葉に、女子が3人とも明るいトーンで返事をした。

 ワクワクしている女子3人とは対照的に、顔を見合わせた男子3人の表情は暗く落ち込んでいた。


◇ ◇ ◇


 夕日に染まった空は、赤やオレンジのグラデーションを描きながら、ゆっくりと海の向こうへと沈んでいっている。

 潮風が頬を撫で、遠くにはカモメの鳴き声が響いている。


 先を歩く花恋の白いワンピースが潮風で揺れている。

 柔らかいオレンジ色の光が彼女のシルエットを優しく包みこんでいる。

 麦わら帽子をかぶった花恋がこちらを振り向いた。


「堀口、遅いぞ」

「だって、歩きにくいんだもん。仕方ないだろ」

「だろ、じゃないでしょ。女の子はそんな言葉使わないの!」


 海に沈む夕日に、白いワンピースに麦わら帽子の少女。今僕が着ているのがピンクのミニスカワンピでなければ、最高にロマンティックな場面だ。


 夜のバーべーキュー用の肉と野菜の入ったビニール袋を両手に持ち、慣れないヒール付きのサンダルで、塾長のコテージへと続く急な坂道を登っていた。


 初日の授業の最後に行われた算数のテスト。

 男女それぞれの最下位が、夕ご飯の材料の買い出しに行くことになった。


 今まで女装はしてきたが、それは屋内だけのことだった。

 外に出て見知らぬ人に見られるなんて、恥ずかしすぎる。


「この制服で外にでるの?嫌だな」

「あら、嫌なの?なら着替える?」


 ポツリと漏らした独り言に塾長が反応した。

 制服から着替えさせてくれるらしい。塾長にしては珍しい。

 塾長は1階のリビング横の部屋に入り、戻ってきた。


「制服、嫌なんでしょ?じゃ、これに着替えて」


 手渡されたのが、今着ているピンクのワンピースだった。

 フリルやレースがふんだんに使われている、いわゆるお姫様系ワンピース。

 確かに可愛いが、自分で着るとなると話は違う。


「ほら、早く着替えて!」


 いつもの塾長の調子に戻った。あんまり怒らせるとお仕置きが待っているし、着ないという選択肢は存在しない。

 諦めて部屋に戻り着替えようとしたら、引き留められた。


「女の子同士なんだから、ここで着替えちゃいなよ」

「そうだよ」


 女子たちからは「ブラもしてるんだね」「かわいい」などと冷やかしの言葉を浴びせられながら着替え終わった。


「じゃ、注文はして、支払いも済ませてあるから、ふもとまで降りて地元の商店街にある肉屋と八百屋で受け取ってきてね」

「じゃ、行ってきます」


 花恋に手を引かれ、塾長に背中を押され外に出た。


 海から吹いていうる潮風が、裾からワンピースをくぐり抜ける。

 気持ちいい爽快感とともに、無防備な感触が不安感を感じる。

 ヒールのあるサンダルは、バランスがとりにくく転びそうになってしまう。


 坂をくだること10分余りで、塾長の言っていた地元の商店街にたどり着き、注文してあった肉や野菜を受け取り、帰り道に歩いている。


 荷物を僕に押し付け手ぶらで軽快に坂を登る花恋のあとを、慣れないサンダルで必死に追うが、坂を半分ぐらい登ったところで限界に達した。


「ごめん、一回休ませてもらってもいい?」

「2分だけね」


 荷物を置いて呼吸を整えていると、花恋が意地悪っぽい口調で尋ねてきた。


「買い物中、恥ずかがってずっと下向いてたね。やっぱり、恥ずかしいの?」

「そりゃ、そうでしょ。男子なのにこんな服着て、人に見られるのは?」

「なんで恥ずかしいの?」

「なんでって言われても……」

「女の子の服着るのが恥ずかしいの?私、男物の服着ることもあるけど、特に何も思わないよ。女の子の服着て恥ずかしがるって、女の子を下にみてるからじゃない」


 言われてみれば、なんでスカートはいて女子と同じ格好するだけで、恥ずかしくなるのか分からない。


「ほら、2分経った。行くよ」


 花恋にお尻を蹴とばされ、また坂を登り始めた。

 

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