女装OL
平日の朝の7時、おそらく多くの人は今頃出勤のために起き始めている頃だろう。眠気をまだ抱えたままの中村奨吾は、セキュリティシステムを解除して会社のドアを開けた。
別に早番というわけではない、始業時間は9時からだ。それまでの2時間にやることがある。
ロッカーから制服を取り出し、着替えを始める。白色の丸襟のブラウスに花柄のリボン、黒のタイトスカートに、ベスト。典型的な事務員の制服だが、僕が着るというのは典型的ではない。
不況の影響で務めていた会社が倒産して失業保険も切れかけていた時、大学時代の元カノの恵梨香から電話があった。
「奨吾、会社が倒産したって聞いたけど、新しい仕事見つかった?」
「いや、それはまだ」
「だったら、うちで一人募集しているからどうかな?今住んでいるところから離れるるのは申し訳ないけど、引っ越し費用も会社が出してくれると思うから、心配しなくていいよ」
ありがたい申し出だった。二股掛けた浮気がバレて別れたとはいえ、まだ恵梨香には愛情が残っていたようだ。
恵梨香とまたヨリを戻してもいいなと思いながら、引っ越してきたのは1か月前のことだった。
出勤初日、出勤した僕は社長室に呼ばれた。
「中村さん、今日からよろしくね」
社長がお辞儀をすると、色艶のいい黒髪が揺れた。ストライプのパンツスーツをかっこよく着こなしており、さすが30歳にしてデザイン事務所を成功させている社長だけのことはある。
「で、さっそくだけど、制服に着替えてもらっていいかな?」
小悪魔な笑みを浮かべた社長が手渡してきたのが、この制服だった。
「これって、女子用ですよね?」
「スカートが女子用ってなんで決まってるの?」
真面目な顔で問い詰められ反論に困っている僕に、社長は契約書を取り出し目の前に突き出した。
「ほら、ここに事務職は業務中は会社指定の制服を着るって書いてあるでしょ。で、これがうちの制服なの。わかった?嫌なら、辞めてもらっても構わないけど、建て替えておいた引っ越し費用とか一括返済してもらうけど、それでいい?」
当然そんなお金は僕にはあるはずはなかった。そして、僕のOL生活が始まった。
着替え終わると、メイクを始める。この生活が始まって1か月経つが、まだメイクには慣れない。眉毛の左右の形は違うし、チークも左右で濃さが違う。
メイクを何度も繰り返しているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまう。急がないと、みんなが来る前に掃除が終わらない。
10名ほどの大きくはない事務所だが、それでも一人で掃除するとなると結構広い。箒でごみを集め、フロアを雑巾がけする。
雑巾がけをみんなが来る前に終わらせていないと、「クズ」「ノロマ」と言われながらお尻を蹴られてしまう。
蹴られた後は、「ご指導ありがとうございます」と屈辱的な言葉を口にしないといけないため必死に終わらせる。
「おはよ」
恵梨香たち数名が出社してきた。掃除を終わらせた僕は、お辞儀をしてみんなを出迎える。
挨拶を終えた僕は給湯室へと向かった。
「井上課長はコーヒーにミルク。佐藤さんは、ハーブティー。恵梨香は、アールグレイのミルクティーと」
メモ帳をとりだし、それぞれ好みの飲み物を準備にとりかかり、それぞれ飲み物を配って回った。
「恵梨香さん、おはようございます」
恵梨香は僕の方を向きもせずに、置いたミルクティーに口を付けた。
「中村さん、これ、アールグレイじゃないよね」
「も、申し訳ありません」
アールグレイの茶葉が切れていて、代わりにダージリンの茶葉を使ったのがバレてしまった。
「謝るときの態度って、そんなんだっけ」
恵梨香の意地悪な口調に、僕は床に手をつき、土下座をして許しを請うことにした。
「申し訳ありません」
「頭はどうするの?」
恵梨香が僕の頭を踏みつけ、ぼくの顔は床へと押し付けられた。
「ねえ、知ってる?ティーソーサーって、本当は紅茶を冷ますためにティーカップから移して飲むためにあるの」
急な話題の変更についていけないが、顔を上げることすらできずに恵梨香の話を聞くことしかできなかった。
「ほら、紅茶入れてあげたよ。飲みなよ」
恵梨香は土下座している僕の前に、ティーソーサーに移し替えられた紅茶が置かれた。
恵梨香の軽蔑した視線を受けながら、僕は犬のように土下座したまま紅茶を飲み干すしかなかった。
朝礼がすむとみんな一斉に仕事にとりかかるが、僕に与えられた仕事はない。
ただ、事務所の片隅に立ち、みんなの飲み物のお代わりを準備したり、コピーをとったりするだけの、いわゆる昭和のOLのような仕事しかない。
11時半になり、今度はみんなのお昼ご飯の買い出しへと向かう。
希望の弁当を買いそろえるために、慣れないタイトスカートとヒールで、会社近くのコンビニをいくつか歩き回る。
「お弁当、買ってきました」
「遅い!今何時だと思ってるの?」
事務所の時計の針は12時5分を示している。
「いや、それは、お弁当がなくて別のコンビニまで行っていたので……」
「何時って聞いてるの?日本語分かる?それに、言い訳するの?」
井上課長が厳しい口調で叱責してくる。
「いや、そういう訳では……」
「いいから、そこに立ってなさい」
みんなが楽しくお昼ご飯を食べている中、一人事務所の真ん中で両手に水の入ったバケツを持ちながら立ち続けた。
バケツの重さで手がしびれてきたのもあるが、時々僕の方を見てクスクスと笑い声が聞こえてきて、肉体的にも精神的にも辛い。
「中村さん、お腹すかない?」
恵梨香が心配そうな表情を浮かべ近づいてきた。
「えっ、まあ、少しはすいているけど」
「じゃ、これ食べる?」
恵梨香が手に持っているサンドイッチを僕の顔へと近づけてきた。
両手がふさがっている僕は、口を開けてそのサンドイッチを口に入れた。
その瞬間、強烈な辛さが口いっぱいに広がった。
サンドイッチの中には、大量の辛子が塗ってあったみたいだ。
あまりの辛さに悶えそうになるが、両手にバケツを持っていることもありそれもできず、ただ苦悶の表情で耐えるしかない。
「奨吾が悪いのよ。二股なんてするから」
そんな僕の姿を見ながら、恵梨香はサディスティックな笑みを浮かべつぶやいた。
恵梨香の復讐と僕のOL生活はまだ始まったばかりだ。
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