後編

「起きなさーい!」

 体を揺さぶられて、次に布団が剥ぎ取られる。目はまだ開けていないが、声と行動から察するに天使に間違いないだろう。結局、起こされることになるのか。

「布団を返してくれー」

「返してくれー、じゃないわよ!」

 スマホで時刻を確認する。日が変わったばかりの時間だった。

「あんた二位よ!」

「二位? 二位…………二位⁉」

 寝惚けていた頭でも、少しの逡巡を経て理解できた。

「あんなことをしてたのに、二位なのか⁉」

「そうなのよ!」

 そういえば、日付超えた辺りで中間発表があるといっていた。それで天使も知ったばかりなのだろう。

 わざわざ徒歩で通学したり、誰かに自慢するわけでもない練り消しを大きくしたり、手間をかけて食事やシャー芯の補充をしたにも関わらず二位止まりなのか。

「てっきり、私も一位なのかと思っていたのよ。でもさっきの中間発表でびっくり!二位じゃないの!」

「マジかー。一位はどうやって稼いでいるんだ?」

「私も気になってね、一位になってるやつの天使に聞いてみたのよ」

 天使も同じ考えで、どうやってか連絡は取ったらしい。

 今から一位と同じことをしても追いつけるはずはないが、何をしているのかだけでも知っておきたかった。一体、どれほどの無意味行動をしているのだろうか。

「なんでも、つまようじを容器から出して、本数を数えているらしいの。一日中!」

「そ、それほど無意味なことを!」

 なんて恐ろしいやつなんだ。そんな調べても何の役にも立たなそうなことを、一日中やっているというのか。

「しかも、取り出したのを一本一本戻していって、数え終えたら容器に本数まで書いて、別の容器のつまようじを数えるらしいの。信じられないわ!」

 頭に、積んだ石を崩される賽の河原が思い浮かぶ。数えて戻して、数えて戻して……まさしく狂人の所業である。

「どーすんのよ、これ!」

「どうするっていってもな」

 頭を掻いて、言葉を濁す。

「徹夜よ徹夜!今からなんとかして、追いつくしかないわ!」

「落ち着いてくれ。やたらめったら動いても勝てはしないだろ」

「じゃあ、どうすんのよ!」

 少し、息を吐いてから、覚悟を決める。手段を選んでいる場合ではなくなった。

「アレをするしかないのか……」

「アレ?何か策があるのね?あるなら最初からやってなさいよ」

「あるにはある。だが、したくなかった」

 一日目から思いついてはいたのだが、実行に移す気がなかった。できれば、やらないでおくことが一番だったからだ。しかし、このままでは優勝を逃す。やらずに優勝を逃す後悔より、やったことに後悔することにした。

「よく聞いてくれ、これから今日一日――」

 作戦を聞いた天使の顔がわずかに朱に染まる。

 追い抜くには、こちらも狂人になる必要があった。

 

 

 

 スマホのアラームが鳴っている。手に取って画面に表示された停止を押す。ワンタッチで静かになり、布団も剥ぎ取ってこないありがたみが染みる。

 上体を起こして、布団から這い出る。ハンガーにかけてあった制服に着替えてから、部屋を出ると天使が待っていた。

「昨日に比べると、随分遅い起床ね。まさか諦めたの?」

「これがいつもの時間だよ。それに諦めてはいないのは、知っているだろ?」

 天使は手に持っていた計測器をチラリと見た。

「まあ、そうみたいね」

 天使はそれ以上、言わなかった。

 一階に降りて、朝食を摂る。その後はミント味の歯磨き粉を使って歯磨き。やはり、スースーする。今日は徒歩ではなく、普段通りに自転車を使って通学する。速度を出すと逆風が服の隙間から入って、全身を撫でると後ろに流れていく。やはり自転車は速くて、いいものだ。

 ほどなくして、高校に着いた。駐輪場に自転車を置いて、自教室を目指す。朝のHR。授業が始まって終わる。もちろん、授業中に出た消しカスはちゃんと練り消しに取り込むのを忘れない。

 昼休みになる。今日は堀井と食べることになった。

「楓太、今、変な食い方しなかったか?」

「え、マジか?」

「わざわざ飯食うのに上に投げてから食ってたぞ」

「変、ってことはないだろ。ポップコーンとかでやったことないか?」

「ポップコーンではあっても、普通の飯じゃやったことないぞ。下品な食い方だな、それ」

 昨日、天使に言われたことを、今日は堀井から言われる。

 午後の授業も過ぎるように終わる。今日はシャーペンに芯の補充はしなかった。そんなに減るものでもない。代わりに授業中、暇になったらシャーペンを分解しては戻すを繰り返した。地味だが、ポイントにはなるだろう。

 放課後になって、速攻に家に帰る。昨日と同じく睡眠で貴重な貴重な青春の時間を浪費するためだった。

 

 

 

「すごい。本当に一位になってる」

 日付を超えた瞬間に天使はそう呟いた。どうやら無事に一位になっていたらしい。夜は遅いが、先ほどまで寝ていたので眠気はない。

「ざっとこんなもんだ」

「ま、まあ、方法が方法だけど、一応、認めてあげるわ」

 渋々といった様子である。恥を忍んで勝ち取ったのだから、もう少し感謝されたいものだ。

「それで、この後どうなるんだ?」

 だが、それよりも今、興味があるのはこちらであった。なんでも願いが叶う約束。気になって仕方ない。

「そう逸らなくても、すぐ召還されるはずよ。あ、ほら」

 景色が歪み、目の前の景色が一変する。見慣れた自室から、地面には雲が流れている広大な空間になっていた。

「君が優勝者だね?」

「あ、神様!」

 いつの間にか立っていたこの人が神様のようだ。至って普通の初老に見える。

「優勝者を選んだ天使だね。良い人選をしたね」

「はい、ありがとうございます! それで、私は大天使にしてもらえるんですよね?」

「もちろん。そういう取り決めだったからね。」

 どうにも天使が必死になっていたのは、自分の為でもあったらしい。やたらと必死になっていたのも合点がいく。

「して、君は優勝賞品については聞かされておるかね?」

「えっと、はい。なんでも願いを叶えてくれる、と聞いてます」

「そうだね。では、何を望む?」

「それは、もちろん――」

 すぐに返そうとして、言葉に詰まってしまう。優勝するのに手一杯で、まったく考えていなかった。あれも欲しいが、これも欲しいと、頭の中で葛藤する。こんなことは人生で二度とないだろう。後悔しないように慎重に選ばなければならない。

「じゅーう、きゅーう」

 急に神様がカウントダウンを始めた。まさか、時間制限があるとは。

「「はーち、なーな」」

 横にいた天使までカウントダウンを一緒になって始めた。

 唐突なカウントダウンにテンパりながらも、必死に考える。最近、欲しかったもの。王道は大金だろうか。でも、宝くじで当たった人の話などで知らない人から連絡がきて怖かったりするというし、

「「ろーく、ごーぉ、よーん」」

 国とかだろうか。しかし、統治などできる自信はないし、

「「さーん、にーい」」

 最近、欲しいもの。願ったこと、羨ましく思ったこと。瞬間、親友の堀井の顔が浮かんだ。

「「いーち」」

「彼女が欲しいです!」

 羨ましく思ったことで、咄嗟に出た願いだった。

「ふむふむ彼女。つまりは恋仲の相手が欲しいわけじゃな」

「そ、そうです」

「ふむ。その願い聞き届けたり! じゃあ、君。頼むわ」

「へ? 私ですか?」

 神様は横にいた天使にそう告げた。

「そうそう、君。ちょうどそこにいたから」

「ちょ、ちょっと神様! ご勘弁を! なんでこんなノーパン野郎と!」

「あ、お前、それ言うな!」

 一位になるには必要なことだったにも関わらず、絡めて罵倒される。一日中、ノーパンのせいでスースーするし、最悪だった。だが、本当、最高に、これ以上ないくらい、無意味な行動だったのは間違いない。

「んー、もう決めちゃったし。よろしく頼むね」

「なんで私がー!」

 来た時のように景色が変わっていく。

 なんか神様って思ったより軽いんだな、と思う。

 

 

 

 スマホに設定していたアラームで目を覚ます。手に持ってワンタッチでアラームとバイブレーションをしなくなる。

 なにか夢を見ていたような気がするが、思い出せない。あまりよくない夢だったことは覚えているので、やっぱり思い出さないことにした。

 寝間着から、登校のために制服に着替える。朝食のために一階に降りると玄関のチャイムが鳴らされた。人に見られて恥ずかしくない格好なのを確認してから、重い足取りで玄関の扉を開けた。

「はぁい、ごきげんよう。元気かしら?」

「ああ、昨日食べさせられた謎の料理でうなされて、見ていた悪夢を除けば、元気だよ」

「あらそう。それはよかった。彼女たる私の手料理で、いい夢が見れたようで何よりだわ」

 扉を開けると居たのは、天使だった。もっとも、初対面の時のように羽もなく、浮いてもいない。元、天使ともいえる。

 あの一件以来、確かに彼女はできた。打算ありきでなってくれている彼女だが。

「ほら、早く学校に行くわよ」

 そう誘いながらも、顔は盛大にひきつっている。

「嫌なら、しなきゃいいんじゃないか?」

「あんたのせいで、やらないと帰れないんじゃないの!」

 あの後、生活の場を与えられて、人として過ごすことになったらしい。なんでも、恋仲らしい行動をしないと天界に戻れないため、見ての通り嫌々ながらも付き合ってはいる。半分、付き纏われているようなものだが。

「というかな、聞いておきたいんだが、昨日の料理はなんだ、ありゃ? 今まで、飯作ったことあったか?」

「ないわよ。天界じゃ食べるなんて文化なかったし」

 文化の違いによる価値観のズレを感じる。

「だと思ったよ。放課後、奢るから飯食いに行かないか。食事ってのがどんなに大事なことか教えてやる」

「いいわよ、そんなの。人がやってることなんてたかが知れてるもの」

「お前も今はその"人"だろう。嫌がっても連れて行くからな」

 またいつ、あんなまずい料理を食わされることになるか分からない。その前に予防策として、食事の素晴らしさを教えておきたかった。

「分かったわよ。よく考えたら一応、あんたとどこかに行くことも必要なことだしね」

「よし、決まり。じゃ、朝飯を急いで食べてくるから、待っててくれ」

「早くしなさいよ」

 あまり乗り気ではない様子。奢ったのに、食事の素晴らしさが伝わらなかった、なんて無意味なことにならないことを祈るばかりだ。

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