77の願い

熊雑草

第1話

 とある年の、とある日の春。

 とある場所に住む少女は、どこにでもいる黒髪の中学生だった。

 何気ない学校からの帰り道は、その日も何も起きることなく終わるはずだった。


「あなたの願いを何でも七十七個叶えます」


 しかし、たった一言の出会いが、彼女の何気ない日を変えようとしていた。

 掛けられた声は、どこかのセールスのようで、見上げる少女の前に現れたのは人間の肌の色をしていない青みがかった灰色の肌をした、金色の髪を肩までなびかす紳士だった。

 シルクハットに燕尾服という映画でしか見たことがない出で立ちで、右手には気取ったステッキなんかを持っている。

 紳士がシルクハットの端を左手で持ち上げ、ハッキリと顔を見せる。

「人……じゃない?」

 少女は僅かに目を見開き、思わず右足を後ろに数センチ下げた。

 なぜなら、紳士の口は大きく耳まで裂け、閉じ合された歯は獣の牙のようにギザギザだったからだ。少女の脳裏には幼い頃に読んだ『赤ずきんちゃん』に出てくる狼の挿絵が浮かんだ。

「はじめまして、お嬢さん。私は貴女の願いを叶えるためにやってきました」

 それが普通の顔なのか、笑っている顔なのか、分からない顔だった。

 その顔で異形の紳士は少女に深々と礼をした。

「怪しいものではございません。貴女を取って食おうとしているわけでもございません。こんなにも大きな口ですが」

 異形の紳士は避けた口を少女に近づけて囁くように言う。

「繰り返しになりますが、私はあなたの願いを叶えに来たのです」

 そう言うとステップを踏んで異形の紳士は少女から遠ざかり、自分は言いたいことを言い終わったので、あとは少女が口を開くのを待つばかりという感じで静かに佇んだ。

「…………」

 一方、突然の襲来者に口を噤んでいた少女だったが、このままでは何も変わらないということは分かっていた。まず状況を整理するためにも、目の前の異形の紳士が何者なのかを知らなければならないと思った。

 そして、そう思ってから己を立て直すのに必要としたのは、三秒。外見はどこにでもいる中学生の少女であっても、彼女の内面は非常に強い精神を持っていた。彼女は裕福な家庭で育ったわけではなく、母親との二人暮らしという、どちらかと言えば貧しい環境で育っていた。だから、普通の子どもよりも早く精神は成熟し、母親と二人で生きていくために必要なこと、我慢すること、割り切ることに長けていた。

 肩の髪を払いながら、少女の口から静かな声が発せられる。

「あなたは人間なのかしら?」

 その問いに異形の紳士は『おや? 動揺していませんね』と思いながら、首を振りながら答える。

「いいえ、違います」

「じゃあ、魔法使いの類かしら?」

「いいえ、違います」

 クルリと少女に背を向けて、上半身だけ振り返って紳士は告げる。

「あなた方の言い方で言いますなら、私は悪魔……という種族です」

「悪魔?」

「はい。いかにも」

 人ではないと思っていたが、悪魔とは思わなかった。

 しかし、よくよく思えば規格外に少女を覗き込んだ大きさも、肌の色も、大きく裂けた口も、悪魔なのだと言われれば、そうなのかと思わざるを得ない。

 問題は、何故、悪魔などという常識外の存在が、自分の前に現れたのかということだ。

「一体、何の用があって、悪魔がわたしの前に現れたの?」

 少女からしてみれば、もう聞かなければ分からず、紳士からすれば、その言葉を待っていましたというもの。異形の紳士は顔を上げ、右手のステッキをクルクルと回してコンッと道を叩いて少女に体を向けた。

「なになに至って簡単なことでございます。悪魔には生まれもっての能力があり、それを行使するには手順を踏まねば発動できないのです」

「能力?」

「はい」

 異形の紳士は再び少女に背を向け、両手を広げる。

「私の能力は簡単なものです。七十七個の願いを叶えると、私も願いを叶えられるというものです。つまり――」

 少女の目の前にヌッと異形の紳士が顔を突き出す。

「――お嬢さん、あなたの願いを七十七個叶えることで、私は自分の願いを一つ叶えることが出来るのです」

 軽くステップを踏んで少女に背を向け、異形の紳士は続ける。

「まあ、こう思ってください。これはボランティアだと。私目の悪魔の能力を発動させるための儀式をお手伝いするだけだと」

 甘い誘いを言い放ち、異形の紳士は後ろに居る少女がどのような闇を吐き出すか、おもしろ可笑しそうにほくそ笑む。

 異形の紳士の言葉に嘘はない。今まで七十七個の願いを何度も叶えて、一つだけ自分の願いを叶えてきたのは本当だ。


 ――ただし、契約するのが悪魔であることを忘れてはならない。


 七十七個の願いを覆す絶望を何度も与えてきた。

(思い出しますねぇ……永遠の命を願ったものに消えない痛みを与え続けたこと。公害に汚染された惑星の浄化を頼んだ者の星を消滅させたこと。願いで自身を強化し、知能を付け、誰もかなう者がいなくなった瞬間、その者を一番弱い存在にしたこと……)

 今まで叶えてきた願いの分だけ絶望を与えてきた悪魔の頭の中には数々の記憶が駆け巡っていた。

(さあ、この星の少女は、どのような願いを託すのでしょうか?)

 ギョロリと大きな目を後ろの少女に向けると、少女は無表情で特に興味を示すわけでもなく、小さく溜息を吐いた。

「いいわ。付き合ってあげる」

「……随分と冷静なもの言いですね? 今まで会った人間は、もう少し驚いたり、願いを叶える存在に狂喜したりしたのですが」

 再び少女は溜息を吐く。

「あなたこそ、随分と無警戒な人達に会ってきたのね。悪魔との契約なんて、碌なことにならないのが常でしょう。それにあなたが嘘を吐いているかもしれないじゃない。いくら言葉で取り繕っても」

「確かに」

 異形の紳士は少女に振り返りながら思う。

(なかなか慎重ですね。このタイプは久々です。私との駆け引きゲームをする気ですね)

 大きな目を爛々と輝かせ、裂けた口を更に開いて異形の紳士は笑う。

(いいでしょう。そのゲーム、お付き合いしますよ、お嬢さん。何年でも何百年でも。かつて、願った者の中には七十七個の願いが尽きる前に願いを増やした者も居ました。その都度、何度も願いを叶えて差し上げました。ええ、もちろん最後までお付き合いしましたとも。絶望というのは願いを叶えれば叶えるほど熟成されるのです。それを知らないようですね?)

 異形の紳士は目を細めて少女を見る。

(七十七個の願いを叶えるというのは、私の願いを叶える条件であると同時にあなた達を絶望に陥れるための最悪を知るための手段でもあるのです)

 異形の紳士は満を持して尋ねる。

「では、お嬢さん……あなたの願いをお聞きしましょう?」

 少女は右手を腰に当て、間を空けず静かにハッキリと言う。

「いいわ、今、思いつく範囲で言ってあげる」

「ええ、ええ、お願いします」

「一つ目、わたしに危害を加えないこと」

「ほう」

 異形の紳士は目をギョロつかせて頷く。

(いいですねいいですね! しっかりと私を疑ってくれていますね! 私とゲームをする気、満々ですね!)

 異形の紳士の考えなど知らず、少女は続ける。

「二つ目、わたしが生きている限り、わたし以外の人の願いを叶えないこと」

 その願いに異形の紳士は首を傾げる。

「何ですか、それ?」

「簡単よ。人間は欲深い生き物ですもの。あなたが私以外にも願いを叶えたら、その人は自分以外に願いを叶えさせている人間がいると知った瞬間、願いを叶える権利を独占しようと私を襲ってくるかもしれないじゃない」

 異形の紳士は頬をチョコチョコと掻く。

「あの……私、能力発動中は他の人と契約できないんですけど」

 少女はフッと笑って言う。

「それならそれでいいのよ。あなたが嘘を吐いている可能性を考慮しているのだから」

「ふむ」

 異形の紳士はステッキに両手を当てて体重を預ける。

(今までの方とは少々違うタイプみたいですね。慎重は慎重ですが、私が嘘を吐いて騙す存在として扱っている感じです。大抵の方は、私が嘘を吐いているか、普通では叶えられない願いで試すところなのですが、彼女は、まず先にルールを作って私を縛ろうとしているみたいです)

 異形の紳士はステップを踏む。

(まあ、いいでしょう。所詮は、お遊び……お付き合いしましょう)

 そっと左手で促し、異形の紳士は少女に先を進めるようにジェスチャーを送る。

「三つ目、願い事は私の口からあなたに伝えることで叶えられる」

「どういう意味ですか?」

「これも簡単よ。無意識で思ってしまったことが叶えられて、勝手に願いを叶えられても困るの」

「ああ、なるほど。昔、ありましたねぇ、そういうの。事故か何かで命が危なかった時に叶えられた願いが。……でも、良いのですか?」

「何が?」

「いえね、強く思うだけで叶う方が便利な時があるでしょう。今、言ったみたいに咄嗟の事故の時とか」

「いいの」

「そうですか? まあ、構いませんが」

 少女は続ける。

「四つ目、わたしが願いを叶えたい時、現れて」

「ええ、いいですよ」

「五つ目、それ以外はこの世界から居なくなっていて」

「分かりました」

「じゃあ、帰っていいわ」

「……へ?」

 異形の紳士は目をしぱたいた。

「他に叶えたい願いはないのですか? お金が欲しいとか、人外の力を手に入れたいとか、一生病気にならないようにとか、いろいろございましょう?」

「ないわ」

 今一、納得いかない感じだったが、異形の紳士はそれ以上の追及はしなかった。

 なぜなら、相手は人間。欲望に弱い生き物。四つ目の『願いたい時に現れろ』という願いこそ、他にも願いがあることを証明している。

「承知いたしました。ではでは、次の機会にお呼び寄せください。私は、これで失礼します」

 そう言うと、異形の紳士は少女の目の前から消失するように居なくなった。

「消えた……」

 足元を見れば、異形の紳士が居た場所に靴跡とステッキで叩いた跡が残っている。異形の紳士が居たことだけは間違いない。

 残された少女は暫く会話の内容を思い返していたが、やがて何の感慨もなさそうに歩き始めた。

 残された願いは、七十二個。

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