第18話 迷宮追いかけっこ
「言い過ぎたかな」
俺はゴルドフェニックスの骨を囓りながら、自室で仰向けに寝転んでいる。
「いや。別れるのが、あいつのためだろ。俺みたいなおっさんを好きになるなんて、どうかしてる。あいつの気の迷いなんだ」
リコは迷宮で命を救われたから、はずみでおかしくなっているだけだ。
一緒に生活していれば、俺のクソさに辟易するだろうさ。
「いい人間なんかにもなれないしな」
俺は立ち上がり、リコから貰った炊飯器をみやる。
プレゼントにしてはあまりに無骨で大仰で、少し温かい。
炊飯器はお母さんを連想させた。
(親と喧嘩ばっかりだった俺が家族なんて。嫌いなわけじゃなかったんだけどな。うまくいかなかっただけで……)
リコに頭を撫でられたときは嬉しかった。
見た目はメスガキにしか見えなかったが、リコは母性のあるメスガキだった。
(最強なのでは?)
背中には、背負って迷宮を歩いたときの感触が残っている。
高校生の頃、母さんが足を挫いて、病院まで背負ってやったことがあったっけ。
(あのときだけは、『ありがとう』って言われたな。あとは全部、喧嘩ばっかりだ)
家族なんてそんなもんかもしれないけど。
良かった記憶だってちゃんとある。
それでも俺は、独り身で生きて、独り身で死ぬんだ。
35歳だから、まだまだという人もいるだろうが、残念。
人生詰んでるのはわかってる。
覚悟はできているんだ。
「コンビニいこ」
立ち上がり米を買いに行く。
二十歳の頃から、ずっと迷宮企業に勤めていて、社食か弁当ばかりの生活だったけど、炊飯器があれば米を炊ける。
炊飯器を見ていると子供の頃の記憶が蘇る。
『お米炊いといて』
『できたんだ。偉いね』
(炊飯器がなかったから。俺は家族のことを忘れていたのかもな)
こんなほっこりが芽生えるなら、リコには感謝しないといけないな。
なのに俺は、いままで付き合った女が『外れだった』からと卑屈になって……。
(俺に声優インフルエンサーと付き合う資格なんかないのはわかってるよ。でもちょっと言い過ぎだ。お礼くらいは言わないとなあ)
そう思うと、後悔が押し寄せる。
「米を買いにいくとか、言ってる場合じゃねえ……」
リコの後を追おうと、俺は立ち上がる。
最低限の装備だけをみつくろい、急いで家を出た。
迷宮の入り口の、緑地公園の前を通ると、俺は足跡に気づく。
「迷宮に行ったのかも知れない」
足跡は、リコのものの他にも五つあった。
別の探索者だろうか。この迷宮に人が来るなんてめずらしい。
それともバズ動画を嗅ぎつけた特定班だろうか?
「……リコを追うだけだから。装備はこのままでいい。あいつも馬鹿じゃない。低層をうろうろしているだけだろう」
今は時間が惜しい。
俺は最低限の装備だけで再び〈果て成る水晶の迷宮〉へと足を踏み入れた。
「はぁ、はぁ……はっ。あぁ!」
リコは迷宮の森を走っている。罪坂騎士団の五人は後方50メートルまで迫っていた。迷宮の下層は森や山なので、撒くことは可能のはずだ。
だが罪坂は、リコの手口を理解していた。
「リコちんよぉ。待ってくれよぉ」
迂闊には応えない。とにかく逃げる。
「お前の手口は理解しているんだぜ。迷宮探索者としての長所はそのレンジャー能力なんだろ?」
罪坂の指摘は当たっていた。リコは高い迷宮の踏破能力を持つが、それは〈レンジャー〉クラスの力だった。
木や崖を登る力。
枝から枝へと飛ぶ力。
リコのローブの裾が短いのは、障害物に引っかからないための工夫だった。
「パンツみえちまうぜ!」
罪坂の顔を振り返りみる。
世紀末映画の悪役のような、舌を出し眼を見開いた醜悪なものだった。
イケメンであっても中身がひどければ、ここまでマッドになってしまうのだろう。
「……(息を潜めて。今)」
突如リコの姿が消えた。
樹木の枝を伝って飛翔していたのが、いきなり落下し、消失した。
「いねえな。探すぞお前らぁ!」
「いねーなぁ」
「でも見つけたら全員でまわせるぜ!」
枝をつたって飛翔していたリコが、突如消えたのは、樹木の洞穴を見つけたためだった。
枝から落ち、瞬時に洞穴に潜ったのだ。
さらに洞穴は茂みに隠れている。
茂みを探しても、洞穴を見つけなければリコが潜んでいることはバレることはない。
洞穴はレンジャー能力を持つリコでやっと見つけられる類のものだった。
(お願い。行って……)
人間が、野生の猫の通り道を見つけられないように、レンジャーは『見えない道』を探り当てる。
リコの判断は間違いではなかった。
しかし……。
「お前らぁ。今日はこの辺でテント張ろうぜ」
「どうしてだ? 罪坂さん」
「逃げたなら、足音がするはずだろ。だが音がねえってことは俺らのみえないところで、隠れているってことだ。あいつのレンジャー能力にはついて行けないが、レンジャーの手口は理解できる」
「さすが罪坂さんだぜ」
「おおかた見えない洞穴にでも入っているんだろう。だが人間には『膀胱の限界』がある」
リコは絶望した。『膀胱の限界』?
こいつはどこまでクズなんだ?
「俺たちはおしっこにでてくるところを迎え撃てば良いんだ」
「ふはは。リコちんも人生終了だな」
「動画では全力で良いことするふりをしようぜ。適当に迷宮の雑魚からリコちん守りましたってことにすりゃあいいんだよ。あとはあられもない痴態を録画して、薬漬けにして性奴隷ルートだぜ」
「飽きたら使い捨てればいいからな」
「ぎゃはは!」
リコは洞穴に逃げ込んだことを後悔した。
(まずい。まずいまずいまずい……)
判断を間違えた。
罪坂蛮の悪意と周到さのレベルを見誤っていた。
(でも、あのまま逃げても迷宮魔獣と遭遇していたら、私じゃ突破できない。どのみち詰みだったんだ。ああ、私は、もう……)
鬼神さんの顔が脳裏に浮かんだ。
リコはもう祈ることしかできなかった。
俺は5人分の足跡を追っている。
「なーんか。この5人の足跡。リコを追ってる気がするんだよなぁ」
嫌な予感がするが、このときの俺はまだ最悪の想定に至っていない。
「別の探索者の人がいるなら、リコを見かけなかったか聞いてみるかぁ」
まだ俺には脳天気な部分があった。
まさかあんなことになるなんて、思いもしなかったんだ……。
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