池田のお蔦狸

野栗

池田のお蔦狸 変化(へんげ)修行

「かずちゃん、ゆうべ、山城のおばさんが亡くなったでよ」


 ある日の買い物の帰り、暑さの残る日差しの中、重い買い物かごを下げたお母ちゃんがぼそっとつぶやいた。


「夏休みに会うたばっかりやのに、なんしに?」


「おばさん、前から心臓があんまりようなかったけんなあ……」


 ――あれからもう何年たったやろか。


 おばちゃんに最後に会うた夏休み。


「あらま、かずちゃん、えらい大きゅうなって」


 と開口一番、満面の笑顔で迎えてくれたこと。いっしょにスイカをかじりながら雨のシャーシャー降る古いテレビで高校野球の中継を見ている時に、あの高校、選手も監督もほんまはな、みな箸蔵山の豆狸が化けとんのでよ、と試合が終わるまでずうっと話しとったこと。従兄姉たちが、またおばちゃんのごじゃが始まった、とあきれ顔していたこと。


 お葬式のことも、そしておばちゃんの顔もよう思い出せんのに、不思議なことにあの時の話だけは細かいところまでしっかり覚えとる。おかげで今も、高校野球を見るたびに選手や監督の頭と尻に耳と尻尾が生えとるかどうか、真っ先にたしかめるしょうもない癖がついてしもうた。


   ***


 お蔦狸はその昔、富貴屋という徳島は池田の刻み煙草問屋――うだつの上がった大店の、そう、座敷わらしみたいなもんやった。

 ある夏の日、お蔦は生まれ育った箸蔵山から朋輩たちと人間の子どもに化けて、祭り見物しに池田まで行ったんじょ。踊りの一行を追いかけてどこまでもついて行って、とうとう仲間とはぐれて帰り道がわからんようなってしもうてな。さんざん歩き回った挙句富貴屋の庭に迷いこんで、蔦の葉を頭に乗せたまま、いつの間にかすっかり狸の姿に戻ってしもうてキュンキュン鳴っきょったんじゃ。ちょうど野球の練習からもんてきた若旦那様が迷子の子狸を見つけ、抱っこして屋敷に入れてくれた。

 それからというもの、大旦那様も奥様も店の奉公人もみな、お蔦お蔦いうてそれはそれは大事にしてくれたものじゃった。


 しかし時代が近代と呼ばれる区分に入ると、立派なうだつの大きな屋敷も時の流れには逆らえず、どうにもこうにもならんようなってしもうた。家財を処分し、富貴屋をたたんで池田を去るその日、若旦那の妹――カツノお嬢様が、別れ際に桃割髪から外してくれたタバコの花のかんざし。

 お蔦はかんざしを頭にさすと、人手に渡った屋敷の前でしばし佇み、箸蔵山へと向かったのじゃった。


 阿波狸の総元締・小松島の金長狸は、風の便りでお蔦の消息を聞きつけるや、箸蔵山へ駆けつけた。


 金長から人間に化ける変化(へんげ)の修行を提案されたお蔦。仏道でいう千日回峰行のような、苛酷極まる変化修行。それは、どこかの夫婦の子として生まれ、その一生を化け切る――狸ではなく人間として一生を過ごす、というもの。

 数十年の間、狸の正体を隠し人間稼業を続けるという、狸の中の狸にしかできん業や。お蔦はしばし思案の末に首を縦に振り、箸蔵山を降りると生まれて初めて徳島市内に出た。


 そしてある若夫婦の女房の腹の中にするりと入り、十月十日月満ちて玉のような男の子に。


 お蔦が化けたのは何を隠そう、後年甲子園で大活躍したあのお方じゃ。


 赤子はすくすく育ち、やがて青春を迎える年頃となった。名門蜂須賀商業に入学して、若旦那様に教わった大好きな野球をやろうと張り切るお蔦。ほなけんど野球部の監督たるや、徳島県下にその名を轟かす鬼監督じゃった。


 野球部の練習は夜更けに及ぶことしばしば、如何に夜行性の狸と言えど、あの猛練習についていけるやろかと、入部に二の足三の足踏むお蔦。


 ある日そっと練習ぶりを覗いたお蔦の目に入ったのは‥ノックバット片手に気合いを入れる監督のお尻に、あれあれ見慣れたモノがぶらんぶらん。ああ、金長の大親方がうちを心配して、こんな姿に身をやつしておられる、これに応えてこそ狸一匹なんぼでないで! と意を決して入部届を出すお蔦。


 金長お蔦の師弟コンビはたちまち徳島の球界を席巻。あとは、現役引退して池田に戻り、かの野球強豪校監督に就任した後のことも含めて、県の球史に書かれとるとおりじゃ。


 「攻めダルマ」と呼ばれた猛将も、どこか臆病な狸の本性は如何ともしがたく、ああ、誰かが「攻めダヌキ」などど言い間違えでもしたらどないしよう、などなどと思い悩むこともさいさいあったようじゃ。


 そうそう、お蔦の元に集まった選手の方はというと、金長お膝元・小松島のあの子を始め、県下選りすぐりの子たちが阿波池田の駅に降り立つや、やはり県下有望株の若狸が次々と憑依しよってな、野生狸の身体能力を加えた子たちの大活躍は今更話すまでもないことじゃ。


 甲子園のヒーローとなり、郷土の期待を一身に寄せられるようになると、さすがのお蔦もその凄まじいプレッシャーを酒で紛らわすようになり始めたのじゃ。

 勝手知ったる池田の町の、飲み屋から飲み屋にはしごして、ええ具合に出来上がると、身につけた人間の着物を脱ぎ散らし、女房がそれを回収して回るという有り様じゃった。

 そうそう、この女房も何を隠そう狸憑き。同じ穴の狢いう言葉の通り、痒いところに手も尻尾も届く内助の功で、辛うじて高野連やマスコミや保健所にホンマのことが漏れるようなことはなかったんじゃ。


 酔っぱらって店の奥でけだものの姿に戻って寝込んでいるのを、女房が「保健所の職員さんおいでたじょ」と狸語で耳打ちすると、お蔦ははたと起き上がり、大慌てで術をかけ直す。


 監督はんの正体が狸や――いうことは、どうも池田の町の人たちの公然の秘密やったのかもしれん。知らんけど。


 女房は毎晩毎晩、自分に憑いた狸が集めたバッタやコオロギ、イモリにヤモリにカエルにトカゲやら何やらを皿に並べては、そっと台所の隅に置いておった。そうすると、選手に憑いた狸どもが夜中にわらわらしのび出てきては、口を楽しませておったのじゃ。

 これがあの強力打線の秘密とは、お蔦含めて果たして誰が知っておったじゃろうか。


 やがてお蔦は飲み過ぎがたたって糖尿を患うんやが、最初はいうたら、病院は嫌じゃ医者は嫌いじゃ! 狸やバレてしもうたら保健所送りじゃ! 嫌じゃ嫌じゃ! とごねてごねて狸憑きの女房を呆れさせておった。

 バレてしもたら言うたってあんた、あれだけ飲んで飲んでして、池田の町の人やがおまはんの正体知らんとでも思うとったんか? 

 池田の強豪校監督は女房にさんざん笑われた挙げ句、町立病院に引きずられて行かれてしもうた。


 お蔦はほどなく監督を辞任し、好きな酒も飲めんようになり、ごねる気力も失っていった。町立病院でぐったりと病の床に伏したお蔦を、ある日金長が「ご苦労さん」と迎えに来た。


 お蔦は狸の姿に戻ると、金長に手を取られ、タバコの花のかんざしをさし、池田の町を振り返りながら箸蔵山に入っていった。


 まあ、ざっとこんな話じゃ。


 信じるかどうかは、おまはん次第や。


 最後に言い忘れたが、選手に憑いた若狸どもは、かれらの引退とともに憑依を解き、それぞれの里にもんていった。元選手が自分に憑いとった狸のことを覚えておるかどうか、ゆうたら、まあそれは心許ないこっちゃな。


 修行を完遂し、人間どもから妖狸、怪狸と呼ばれる存在となったお蔦が最近、箸蔵山の子狸を集めて「やまびこ打線」の復活を図っているという話もあるみたいや。知らんけど。


 まあ、いつかまたお蔦が11匹の子狸ども率いて池田の山奥から、頭に葉っぱ乗せて甲子園に現れて、変化の術を駆使して人間どもにさわやかに一杯食わせる――そんな日も遠からず来るこっちゃろ。

 真夏の児童虐待ショーが、日本中の人間相手にした狸のイタズラでした! いうオチやったら、ホンマどんなにおもろいか。


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