とある崩壊、そして祝福

 猿どもは、こんな平凡な日常一つに喜ぶのか。

 吉崎大は学期末にそんな事を思っていた。

 夏休みまであと二週間だというのにこんな事に一喜一憂するとは。


 僕は、好きでこんな馬鹿どもが集まる公立高校に来たわけではない。

 東京であるとはいえ、全部が全部エリートというわけでもない。


 本当は偏差値の高い私立高校に行きたかった。その為にたくさん勉強もした。

 だけど両親がお金がないからっていう事で志望した高校を蹴ってしまった。


 他に志望した高校がなく地元の高校に通わされる事になった。

 はっきり言ってつまらない。


 まぁ勉強が出来るからみんなにちやほやされるかなと思ったが、ここでの人気者は世間の目を見ないDQNと言われる頭のおかしなヤツらばかり。


 極めつけに授業中も校則で禁止されているはずのスマホを隠れて使っている低俗な奴らだった。 

 家に帰ってからも沈黙を突き通す。


「そろそろ学校の人たちと仲良くなれたりできないの?」

 と母に言われても無視をする。

「何か言ったらどうだ」

 と父が言うと心の中で舌打ちをしてしまう。

(学校の環境、知ってる癖に…)


 最近、両親と話してないなと心のどこかで思う。

 こんな事が毎日同じように続き、僕の心は腐りかけていた。


 そんなある日の事、突如背後から蹴飛ばされる。あまりの衝撃に倒れてしまう。

「おい、吉崎ぃ?」

 下卑た笑みを見せるクラスメイト。

「俺、テストの点数落ちたんだよな。これって、お前が目障りだったからだよなぁ?」

 唐突によく分からない事を言い出すのが、コイツらの生態だ。

 腹部に衝撃が入る。

「うぐっ!?」

 蹴られた。僕の身体はサッカーボールじゃない。

「チョーシ乗んなよ。このカスがよぉ?」

 そう言って、笑いながら消え去っていく。


 突如という訳でもない。前々から起こっていた事だ。ショボいイジメ。群れる事でしか強くなれない猿。

 別に、大した事じゃない。

 いつもと同じ事を繰り返しているだけだ。

 小学生から今の今まで。


 慣れているから、耐えられる。

 そんなちっぽけな事だと思っていた。


 そうやって過ごしている内に、夏休みが始まっていた。


カタカタとパソコンのキーボードを打ち叩く。

 暗い部屋の中で見るパソコンの画面。

 いつまでも眩しい。


 部屋はいったいいつから掃除していないのだろう。

 弁当ガラ、カップ麺のカップ、散らばっている使用済みのティッシュ、読みかけの漫画。

 ゴミ集積場と言われても仕方ない。


 SNSを流し目で見る。

 青い鳥は幸せを運ぶみたいだが、画面上の青い鳥は底辺の愚痴ばかりを運んでくる。


 イキっている中高生の動画、無名なアイドルのハメ撮り、根拠の一切ない陰謀論、いちゃもんばかりのフェミニスト、政治にぐちぐち言う自分勝手な輩……


 全てが滑稽。吉崎はそれを眺めてほくそ笑む。

『俺から見れば、全員チンケな存在www』

 誰にも見られるわけでもない呟きを流す。


 もう、何も怖くはない。

 あとは死ぬだけの一本道を歩んでいたから。

 親の脛なんていくらでも噛んでやる。

 だって僕は無敵だ。精神のおかしな狂人なんだから。


「へへへ……」

 夜行性ヒューマン。瞼にはパンダのようなクマが出来ている。

 だが、パンダみたいな愛らしさは皆無。

 パソコンに貼り付いているゾンビは、画面上ではクールで博識な常識人。

 現実と虚構で、姿形までもが変わりゆく。


 それでもいい。

 それでも“狂ってる”という一言で完結できるのなら。

「あっはははははは!!!!」

 口角が歪む。とりあえず笑っていれば良い。

 どんな時も笑顔は大事だって、学校じゃ教わって来た。

 そう、学校は大事な事を教えてくれた。

 普通でいられるのは教師の前だけだと。

 勉強だけが全てでは無かったと。


 なんか、ファンタジーのプロローグみたいなシナリオだなぁ。

 人生が上手くいかないからって死ぬ

 いや、あれは不慮の事故か?

 神様の悪戯でトラックに轢かれて、成り上がっていくんだったか?

 ご都合主義ならなおさら、滑稽だ。

 そんな事で異世界で活躍出来たのか?


 女神様が寵愛してくれてるおかげだとでも言うのか?


 

 笑う。笑って、怒りが迸る。

 ふざけるな。そんな神は一度ぶっ殺されて仕舞えばいい。殺して、首を木に括り付けておけばいい。

 やり場のない怒りが溢れる。


 僕は何に怒っているのだろう。

 感情さえもよく分からない。

 

 あー、そうか。死ねばいいのか。

 死ねば、やり直せる。

 死ねば俺は異世界に行けるし、家族に苦労はかからない。日本に社会不適合者が一人減る。


 一石二鳥……いや、何鳥得られるんだろ。

 僕が死ぬ事で社会が被る恩恵は計り知れないんだろう。

 「はは……」やっぱり死は救済だった。

 僕は死ぬ事でしか役に立たないんだよ。


 そして、ふと青い鳥のSNSにあるワードが目に入る。


 『神隠しの森』

 神……隠し?

 神隠しってあれだろ?森とかに入ったら最後、二度と生きて帰って来ないてヤツだろ……


『卦茂神社の森に入った高校生が行方不明、渋谷区』


 渋谷の卦茂神社。


「……そんな所あったっけ?」

 

 返信欄には当然のごとく

『100%デマ』

『渋谷にそんな神社ないだろ』

『どうやって存在すらしない神社に入ったんだよ』

『陰謀論乙www』

 と言う声でいっぱいだった。


 だが彼の決断は早かった。

 

 そうだ、死のう。


 彼は苦痛は避けたかった。苦痛の先の死というのが嫌だった。

 出来るだけ、痛みなど感じないまま死にたい。

 呆れるほどに臆病な彼にとって、それはどれだけ甘い話だったのだろう。


 今の彼にとっては蜘蛛の糸を掴んだカンダタだった。


 パソコンを閉じて、すぐに立ち上がる。

 立ちくらみで歪む視界に耐えながら着替える。

 

 そう思い立って久しぶりに部屋の外へと出た。


「あら、大。どこに行くの?」

 ちょうど掃除をしていた母親が優しい声をかけてくる。

「……」

 今から死んでくるなんて、言えるわけがない。

「……夕ご飯までには帰って来てね」


 心配そうに、僕を見つめる。

 それでもまた僕が帰ってくると信じている。

 その視線から離れて、僕は玄関のドアを開ける。


 何日ぶりの外だろう。

 真夏。8月の下旬。想定内の夏だが、やはり暑い。

 ジリジリと焼けるような暑さが、直で肌に当たる。

 白いシャツは汗ばんで、ジメジメとした空気が気持ち悪い。

 それでも、何故か心は軽い。

 これから死にに行くというのはこんなに心が軽くなるものなのか。

 

 そうだ。これから死にに行く。

 不安はもうないのだ。

 ただ心残りがあるとするのなら、遺書を書けば良かったなと思う。

 

 “拝啓、お父さんお母さんへ”という書き出しで、

 “これからの未来が真っ暗で不安だから命を絶ちます。どうか探さないで下さい”

 

 ……うん。これでいいんじゃないかな。

 “無知蒙昧な自分に嫌気が差した。限界が近づいているから、元いた空へ還る事にする”とかにしたら文豪みたいだな。

 そんな事を考えながら走っている。

 顔はニヤついている。不気味な笑顔なんだろなと思いながらも、笑い続けている。


 そして、彼はソコへと辿り着く。

 ビルが密集している間にそれはあった。

「こんな森……あったっけ」


 有刺鉄線と虎柄のテープが張り巡らされている。錆びた金網に囲まれた手つかずの黒い森。

 樹海を切り取ったかのようにうっそうと木々が生い茂る。


 入り口であろう鳥居は、赤い塗料が剥げて不気味さをより醸し出している。

 その真下にある看板は、こちらも所々が剥げていて読めない。


 ただ、『キケン』、『入るな』の文字は視認できる。

 ここが、卦茂神社———?

 

 何故、渋谷にこんな黒い森があるのか。

 そんなのはもうどうでも良い。

 どうせ死ぬのだから。


 鳥居の下を潜り、ゆっくりと森の中へ一歩を踏み出す。

(いいの?)

 何かが聞こえて、足を引っ込める。

「だ、誰だ!?」

 思わず叫ぶ。

(いいの?)

 女性の声だ。

 何が良いのかわからないが、とりあえず答える。

「ぼ、僕は死にに来たんだ!!じ、じゃ、邪魔をするな!!」

 声が震える。つっかえて、裏返る声。

 そういえば、喋る事すらも久々だ。

 

「入るぞ、僕は入るぞ!!」

 勇気を出して、鳥居の下をくぐる。

 落ち葉がじゃりと音を上げる。

 別に何ともなかった。


 そのまま奥へと進む。

 じゃり、じゃり、じゃり。

 枯れた落ち葉を踏みしめて、一歩、一歩と歩き続ける。

 ピーヒョロロ、キチキチキチ、クェェェ……

 様々な動物の鳴き声。

 怖くない。何が来ても、僕は死ぬだけ。


 生きる希望なんてない。

 そんなの持ってはいけない。

 狂った僕が持つべきではないのだから。


(そうかな、みんな平等に持つべきだと思うよ)

 

 ひたすらに前へ進む。茂みを退けて、枝をかき分け、前へと進む。

 災害でも怪異でも何でも来い。恐れる事はあっても、僕は逃げない。逃げたところで何もない。


(でも、前に進んだところで何もないんでしょ?)


 日光は木々に遮られて暗くなる。

 それでも前は見える。

 痩せ細った木や、ずっしりと根を張る大木、老いて横たわる枯れ木の側を歩く。

 ここが渋谷だという事を忘れてひたすらに歩く。

 自分の息遣いが聞こえる。

 ぐぅーとお腹が鳴る。喉が乾燥する。

 生きている実感が湧いてくる。


(そう、それが人間だもん)

 

 どのくらい歩いただろうか。

 だんだんと力が抜けていく。

 足裏が痛い。ふくらはぎが攣りそうだ。

 ゆっくりと歩幅が小さくなる。

 まだ歩けるだろ。

 ほら、1、2、1、2……。


 じゃり、じゃり、じゃり。

 ハァ、ハァ……

 じゃり、じゃり、じゃり。

 …ァ、ハァ、ハァ……

 じゃり、じゃり、じゃり。

 ハァ…ハァ…


 ドサッ……

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