167. 敵対
「戻ったぞ。遅くなった」
「お帰りなさいませ!」
両側にびっしり侍女達が並び、辺境伯様と私達を迎えてくれる。辺境伯邸、ここを訪れるのはこれで3度目だ。この館を見ると複雑な心境になってしまう。
1度目はエネルギアへ国の食糧不足援助とお母様の呪いの治療要請に出向く際だ。初めての外交で不安でいっぱいだったのを覚えている。その時エレットは目を患っていたため会うことはなかった。エレットの目が治って穏やかな性格になられた辺境伯様も、当時は非常にぶっきらぼうな対応をされた記憶がある。
2度目はエネルギアからの戻り。エネルギアから要請を断られ、世の厳しさに打ちのめされていたときだった。今から思えばあの時は国としても本当にどん底だったと思う。妖精様に出会わなければあのまま国が滅んでいた可能性すらあっただろう。
そして3度目、今回は怒りが勝っている。――ちらりとニーシェを見やれば、彼女はいつも通りの澄ました顔で立っていた。彼女も私と同じ3度目の館。この半年で色々とあっただろうにそれを全く表情に出さない様子を見ると、感情的な自分がいかに子供かを理解させられるようでいたたまれない。
「旦那様!」
老執事が切迫した様子で辺境伯様に近寄り何かを耳打ちした。嫌な予感がする。同じ懸念を抱いていた辺境伯様の反応で、その予感が当たっているのだろうことが分かる。
「……やはりか」
「予測されておられたのですか?」
目を閉じ渋い顔をする辺境伯様に老執事が問い返した。
「ああ、後で詳しく話そう」
老執事はエレットの様子をちらりと確認して、こちらにも何事かがあったことを把握したようだ。エレットの顔色は大分戻ったものの、妖精様ドールを抱いたまま未だ青い顔をしている。一目見れば道中異常事態に見舞われたことが分かるだろう。予定日から数日遅れの到着でもある。
「――殿下、本来なら歓迎の宴といきたいところですが……、お話があります。ここで話す内容ではございませんので場所を移させて頂きますぞ」
そうして通された一室、どう見ても客間ではない無骨な会議室だ。そこに辺境の重要人物であろう者達が集まっていた。エレットは同席していない。
「エネルギアが国境を越えて兵を進めているようです。その数5千。規模からみて一貴族が暴走しておるのではなく、国として攻めてきたようですな」
第一声で告げられた事実。そうか……、エネルギアは本当に国として敵対する気のようだ。隣国が攻めてきているという状況の割には、他領地の貴族の顔触れはない。そのことから、事が発覚してからまだそう時間が経っていないと判断できる。隣の領地からもまだ人が来れない程直近に、エネルギア軍の動きを発見したのだろう。
「対応は?」
私の問いに
「我々辺境伯軍はすでに前線の砦へ。ここです。敵はここ」
すでに敵は国境を越えて砦目前まで迫っているようだ。このままでは明日にでも直接戦闘になるのではないだろうか。
「ガルム期の暗闇の中、明かりもほとんどつけずに進軍してきたようです。友好国だったこともあり発見が遅れてしまいました。それから、周辺貴族の私兵を募っているところです」
辺境伯は国境警備のため私兵を多く持つことが許されている。それでも5千、それも魔術師を多く擁するエネルギアの相手は、辺境伯軍だけでは無理だろう。近隣領地の協力は必須だ。
しばらく話し合いが進められ、こちらも道中にエネルギアの手の者と思われる一団に襲撃されたなどの報告を行った。前線の様子も色々と聞いていく。どうやら現在は辺境伯様の長男が現場で指揮しているようだ。しかし、状況確認は進めど満足な対策は出てこない。
「話を遮りますが、この砦に羊を集めることは可能ですか? できるだけ多く」
私が妖精様のご意向を説明しようとすると、辺境伯様以外の皆が何とも言えない表情をしてこちらを見てきた。
「羊……、ですか? 今の時期、交配が終わり放牧期から舎飼期に入っている筈です。この暗い中、大事な飯のタネを外に出すのは嫌がるでしょう。しかも戦場に出すなど羊飼い共の反感を買いますぞ」
なるほど、今の時期羊は外に出さないのか。戦場に出したくないという気持ちも理解できる。しかし魔術大国を対策なしに相手取るには戦力差が絶望的。妖精様の知略なしには勝てないだろう。
「これは妖精様のご意思です。すでに辺境伯様の了解も取り付けてあります。あなた方も妖精様のご功績の数々は聞き及んでいるでしょう?」
「ふむ……。では、その羊にはどのような効果がおありなのですかな? それが分からぬことには賛同しかねますぞ」
「それは……、分かりません」
相手の言い分は正論だ。妖精様のお考えは突拍子もないものが多く、羊の効果など現時点では私にも分からない。私が戦に疎い小娘であることもあるのだろう、辺境伯様以外の賛同者は居ない。
「しかし何かしらの効果がある筈です。羊飼いには王家から損失を補填しましょう。褒賞も出します」
私も王族だ。限りはあるが動かせる予算はそれなりにある。
「しかしですなぁ」
「羊を集めると言っても複数の牧場から集めるとすれば、群が混ざるのを嫌がる者もございましょう」
「うむうむ。それに指揮官すら理解していない行動を兵達に納得させるのも難しいでしょう」
その後も色々と話し合ったが、戦場に羊を送る案は結局却下されてしまった。補填を約束すると言っても
交配期から間もないということで発情期が終わっていない雄も居る可能性があり、複数の群を集めれば雄同士の喧嘩も勃発するだろうとか、事が終わった後に混ぜた群を元の飼い主に返却する手段など、様々な面で反対された。
「では、私も戦場へ赴きましょう」
「いやいや、それこそ賛同できませぬぞ」
「そうです。前線の王族を誰が守ると言うのです」
「考え直しを、殿下」
またもや賛同は得られず。これには辺境伯様にすら渋い顔をされてしまう始末。
「魔術師2人を連れてきています。それに、私は結界を張ることができます。私が戦場に立つことで、絶対に落とされない魔術砲台として機能するでしょう」
かなり魅力的な提案の筈だ。今の西の地には魔法職は居ても魔術師は居ないはず。そこに2人も魔術師を追加できるのだ。悪い話ではない。
「――実戦経験は?」
「先のエネルギア襲撃時の1戦です。20人の魔術師相手に圧倒した実績があります。私の結界は妖精様のお力で、魔術攻撃にもびくともしません。そして連れてきた魔術師の1人は魔術師団長並の威力を出せます」
「うーむ……、その1戦のみですか。継戦能力は?」
「……分かりません」
「継戦能力不明ですとな……。王族を前線に出すリスクを負う程の効果は見込めますまい」
「姫様、これは戦争です。興味本位で前線に赴くなど……」
「……はい」
どうやら出しゃばり過ぎたようだ。現場の人間に不信感を抱かれてしまったかもしれない。とりあえずこの会議中は大人しくしておくべきだろう。兄上のように実績があれば参戦できたのだろうか。しかし参戦しなければ実績も何もないだろうに……。
その後、作戦らしい作戦もないまま会議は終了した。何時までも結論の出ない話し合いを続けるより、一刻も早く動くべきだという意見の一致からだった。そして辺境伯様も前線に出るらしい。会議後に辺境伯様が声をかけてきた。
「お力添えできず申し訳ありません。西の地は妖精様との縁が薄い。伝え聞く功績も実際に目にしなければ信じられぬでしょう。それに殿下、前線に羊を集めることに賛同を得られたとしても、実現は時間的に難しかったでしょう。代わりにこの館の裏手の草原に羊を集めます。あまり多くはないでしょうが、最寄りの牧場から群1つを借りてこさせましょう」
「ありがとうございます」
そうして辺境伯様は、何かあれば執事へと言って前線に向かった。
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