015. 呪い

「では、お母様にこの湯を使用して頂くと病が癒えますか?」

私は魔術師団長に問います。


「可能性は十分ありますじゃ。これほどの治癒の力、期待しない方がおかしいですぞ」

聖域となったという湯船を見つめながら、魔術師団長は恍惚とした表情で答えた。体が震える、お母様が治るかもしれない。


「では、急ぎお母様に湯を使用して頂きましょう。準備を」


 あの妖精様に事情を説明してお母様を治癒して頂くより、お母様に聖域となった湯船に浸かって頂く方が話が早い。妖精様はまたもや行方が分からなくなっていたが、逆に考えればむしろ状況は良くなった、そう思おう。これまで出口の見えない問題ばかりだったのだ。そのような状況が、妖精様が来られただけで全て解決の糸口が見えてきたのだ。これ以上望むなど贅沢と言うもの、多少振り回されたとしても私達は恵まれている。



「しかし、雨が降ったとは言え、水不足の中これほどの湯を張られるとは……、少し困ったね」

兄は複雑な表情をする。ここの湯船は確か貯水槽から引いているのだったか。近年では水不足のため貯水槽の水はできるだけ農耕に回されていた筈、大浴場はもう2年は使用していない。私は農耕に詳しくないため分からないが、兄の反応を見るに大浴場の湯船1杯分の水が無くなるのは結構痛いらしい。


 しかし、侍女長がそれを否定した。

「いえ、おそらくこのお湯は妖精様が魔術で出されたと思われます。先程確認させましたところ、貯水槽から水は減っていないとのことです」


「なんと、それでは雨なんて降らなくても水不足まで解決できるじゃないか! まさに妖精様様だね」

兄は一転満面の笑みを浮かべた。それはそうでしょう、あの妖精様1人でこの国に起こっていた問題を何から何まで解決できると言うのだから。




「お母様、ティレスです。隣国エネルギアより戻って参りました」

お母様の部屋に移動した私はノックをして問いかける。すると、お母様の返答はなくお母様付き侍女がドアを開けた。


 昨日隣国より戻ってからすぐに大捕物騒ぎが起こり、今日は朝から妖精様大捜索と続いたため、私がお母様のもとを訪ねるのはしばらく振りだ。出発前は春だったが、今はもう初夏である。


 「……っ!!」

部屋に入った私はお母様の容態に挨拶もできず息をのむ。これほど病状が進行されていたとは……。お母様の美しかった顔には、今や桃色の斑点が所狭しと浮いている。この病状は末期だ、前宰相がお亡くなりになられる数日前、このような病状だったことを記憶している。今はお顔しか見えないが、全身にもあの斑点は浮いていることだろう。



「お母様、お加減はどうでしょう」


「……もう長くないでしょう、最後にあなたを見れて良かったわ」


 ああなんてこと、お母様はご自身の死期を悟っておられる。私も兄も、治療に関して隣国から何も成果を持ち帰ることができなかったことは、当然お母様にも報告が行っているのだろう。以前は凛とした雰囲気を常に纏っておられたというのに、今やそのお声は虫の羽音のようだ。


「こんな時代にしてしまってごめんなさいね……、あなただけでも幸せになって欲しいと思います。帰ってきたばかりで大変だとは思いますが……、エネルギアに留学という形でもう1度……」


「お母様っ!!」

たまらず私はお母様の発言を遮りました。


「もう心配はいらないのです! 全て解決します! お母様のご病気もきっと治るのですよ!!」


「まぁ、無理はしなくても良いのですよ。この国はもう……」


「いえ、そうではありません。そうではないのです。とりあえず、まずは湯を使用して頂きます」


「……どういうこと?」




 それから侍女たちにお母様を大浴場へ運ばせ、湯船に浸かって頂いた。


「まぁ! まぁまぁまぁ! なんてことでしょう!?」

お母様の驚愕した嬉しそうな大きなお声が廊下まで聞こえてくる。私は涙が出そうになった。先ほどまで虫が鳴くほどのお声しか出せなかったのに、今はこれほど大きなお声を発せられている。きっと病気は治ったのだ!



 しばらくして、ホクホク顔のお母様が浴場から自ら歩いて出てきた。入る際にはご自分で移動ができず、侍女たちに抱えられていたというのに。そのお顔や腕には桃色の斑点などなく、以前の美しい肌が、いや、以前にも増して非常に瑞々しいお肌となっていた。



「聞きましたよ、この国に妖精様が訪れたと! 私も会ってみたいわ、きっと可愛らしいのでしょう?」


 そうだった、お母様は凛とした雰囲気のせいで苛烈に見えるが、大の可愛いもの好きだった。お母様はニコニコ顔で早く紹介してよと急いてくる。



「母上、まずは快癒、おめでとうございます」

「王妃様、おめでとうございますじゃ」


 兄と魔術師団長が快癒を祝う。魔術師団長はお母様の主治医的な立場でもあった。本当に嬉しそうだ。


「あなた達にも迷惑をかけましたね。アーランド、南国への大使お疲れ様でした。魔術師団長殿もこれまでの介抱、非常に助かりました」


「もったいなきお言葉、魔術師団長ともありながら全くお力になれませんで……」



「……王太子殿下、少し宜しいでしょうか?」

お母様の湯の補助をしていた侍女の1人が切り出しにくそうに発言を求めてきた。


「どうした?」


「王妃様に湯船に浸かって頂いた際、黒いモヤのようなモノが飛び出して参りました……」


「なんじゃと!? それは呪いではないか!」

侍女の発言に反応したのは兄ではなく魔術師団長だった。呪い? お母様の症状はご病気ではなく呪いだった!?


「その黒いモヤはどうなったのじゃ!?」


「西の方角へ飛び去ったように見えました」


「西? 東ではなく?」


「左様、西でございます」


「あの、どういった話なのでしょうか?」

話の内容がよく分からない、私は素直に疑問を口にした。



「呪いが解呪されますと、呪いを掛けた者に効果が返りまする。その侍女が見た『黒いモヤが飛び去った』とは、おそらく呪いが術者のもとへ返ったということですじゃ」


「呪いが術者の元に返るとは? 再利用が可能な術式なのですか?」


「いえ、そうではなく、呪いが解呪されますと、次は術者がそのまま同じ呪いに掛かるのです。今は王妃様を呪った術者に王妃様と同じ症状が出始めているでしょう」


「この話は廊下でするような話ではない、後程関係者を集め別途協議しよう。ティレスもこの話は他言無用だ。もちろんそこの者達も」

兄が強引に話を打ち切り、私や侍女たちに秘密にしておけと注意した。



 呪いの話が出て深刻な状況となったためか、この場はそれで解散となった。お母様は最後まで妖精様に会いたがっていたが、行方が分からないのだからしょうがない。私は念のため、昨夜妖精様が使用された部屋を確認することにした。



 鳥籠の中で妖精様が熟睡しておられる。

ぐぬぬ……、散々人を振り回し、どこに行ったか分からないと思わせておいて、元の場所で熟睡しているなんて……。


 いえ、妖精様は救世主、妖精様は救世主、妖精様は救世主……、ふぅ……。よし。


 私は必死に心を落ち着けながら、その場を後にするのだった。お母様への紹介はまた今度にしよう、今だとキレてしまうかもしれない。


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