いつもの癖

 二月某日。和奏さんから急に「二月十四日に、うちで女子会しない?」との誘いを受けた。二月十四日といえばバレンタインデー。夫と息子のためにチョコレートを作りたいとのこと。せっかくなので美花さんと麗夜さんにも声をかけて、夫には女子会をするとだけ伝える。湊は夫を一人で留守番させるのは寂しいだろうから残ってあげてと説得して、娘だけを連れて和奏さんの家に向かうことに。家にお邪魔すると、既に全員揃っていた。


「あれ? みなとは?」


「麗音と一緒に留守番してるよ」


「そっかぁ……」


 湊が来ていないことを知るや否や残念そうに肩を落とす和希。本当に仲が良い。


「和希、湊くんのところに遊びに行ってきても良いよ」


「でも……おかあさん、だいじょうぶ?」


「大丈夫よ。お母さん一人になるわけじゃないし」


「行くなら僕が送ってくよ。行くよ。和希」


「うん」


 和希を家まで送り、再び戻る。


「和奏さんと海さんは親戚なんでしたっけ」


「和奏さんの夫が僕の兄なんだよ」


「はー。なるほど。じゃあさっきの子は湊の従兄ってことか」


「そう。ちなみにここに今双子が居るらしい。生まれたら美花さんの子と同級生だね」


 現在和奏さんのお腹には双子が居て、美花さんも妊娠している。生まれればいずれ同級生になる。


「ああ、だから私連れてきたの」


「うん」


「私はついでですか?」


「そう。どうせならと思ってね」


 ちなみに、麗夜さんの娘流美ちゃんは友達の家に遊びに行っていて、和希の妹の空美は和奏さんの実家に預けているらしい。今ここに居るのは僕ら四人と、海菜、満ちゃん、望くんの同級生トリオ。海菜は一歳半くらい、他の二人はまだ一歳にもなっていない。そんな赤子達をそれぞれおんぶしながら作業に取り掛かることに。


「あだ」


「だー」


「うー」


「ふふ。会話してる」


 満ちゃん達と喃語で会話する海菜を時折あやしながら、チョコレートを細かく砕いてボウルに入れ、温めた牛乳で溶かしながら混ぜ合わせる。それを冷蔵庫でしばらく寝かせる。その間に少し休憩。立ち仕事は慣れているとはいえ、流石にいつもはこんな五〜六キロの赤子を抱えながらの作業ではない。負荷が違う。


「海さん、バレンタインデーなんて作るより貰う方が多いんじゃない?」


「あー。そうですね。渡すのは初めてかも」


「初めて!? マジで!?」


「麗音さんにもあげたことないんですか?」


 麗夜さんに聞かれて改めて思い返してみる。一度もない気がする。


「じゃあ初めてのチョコなんだね。麗音くん泣いちゃうんじゃない?」


「……想像しただけでうざいな……」


「とか言って、海さんなんだかんだであの人のこと相当好きですよね」


「まぁ、そうですね。残りの人生を一緒に生きてほしいと思えるくらいには」


 美花さんの揶揄いをサラッと受け流すと、彼女は黙り込んでしまった。他の二人も黙ってしまい、妙な空気になる。


「なんですかこの空気……」


「海くんってそういうところあるよね」


「めちゃくちゃ好きじゃん……」


「好きじゃなかったら結婚なんてしませんよ。そもそも僕、結婚なんて一生しないつもりでしたし。誰かの妻になって母親になって……それが女の幸せだなんて風潮、大嫌いでしたから。それなら一人の方がマシだと思ってた」


 本当は女性と結婚したかった。なんて二人にはまだ言わない。今はまだ、ただのママ友より一歩踏み込んだ関係になれる確信が無いから。だけどいつかはそうなりたいとは思っている。海菜は女の子を好きになる。そんな気がする。そうなった時、今彼女と仲良さげに喃語で会話している二人には味方になってあげてほしい。そうならなくても、身近にいることは知っておいてほしい。特異な存在ではないということを分かっていてほしい。


「よっぽど特別なんですね。麗音さんのこと」


「そりゃあんな尽くしてくれる男なんてレアっすもんね。私はちょっと、あそこまで溺愛されるとむず痒くて耐えられそうにないですけど。他人の夫として見るなら、良い人だとは思いますよ」


「でも、彼はああ見えて、盲目なわけではないんですよ。僕の全てが正しいとは思っていない。間違っていたらちゃんと正してくれるんです。……そういうところに絆されたんでしょうね」


「はぁー。なるほどねぇ。海さん、信者多そうだもんな」


「多そうというか、実際多いよ。お店の常連のほとんどがこの人に心酔してるから。海様って呼ばせて」


「いや、呼ばせてはいないですよ。勝手に呼ばれてるだけで」


「呼ばれてんのは事実なんだ……」


 などと話しているうちに気付けば時間は過ぎて、タイマーが鳴る。あとは冷蔵庫に寝かせていた生地を取り出して、丸めてココアパウダーをまぶして、チョコトリュフの完全だ。夫の分と息子の分の二袋に分けて袋詰めをして家に持ち帰る。


「ただいま」


「おけーり」


「おかえりなさい」


「おかえり。なんか良い匂いするね。なんか作ってたの?」


「チョコレート。ほれ。やる」


 玄関まで迎えに来てくれた息子と夫にそれぞれトリュフを渡す。


「和希の分はお母さんが持ってるから。後でお母さんにもらいな」


「うん」


「おかー、たべていい?」


「向こうで食べな。麗音も、僕はちょっと和希を家に送ってくるから向こうに——」


 夫の方を見ると、チョコレートを持ったまま固まっていた。


「……おーい。聞いてるか?」


「えっ、あ、う、うん! なに!?」


「聞いてないじゃん……和希送ってくるねって」


「あ、ああ、うん。行ってらっしゃい」


「海菜を頼む。すぐ戻るから。行こうか和希」


「うん。みなと、またね」


「カズくんバイバイ」


 海菜を夫に預けて和希を家まで送る。戻ると二人はリビングにいた。「美味しいね」と声をかける湊に対して「うん、うん」と心ここにあらずな返事をする夫。気まずい空気が流れている。頭を小突いてやると、ハッとして僕の方を見た。


「……バレンタインデーに……君からチョコもらったの、初めてだから、びっくりして……」


「うん。和奏さんに誘われなかったら作らなかっただろうね」


 僕がそう言うと、彼はそうだよねと俯く。全くめんどくさい男だなとため息を吐き、彼が持っている袋を奪ってトリュフを一つ取り出す。


「ほら、口開けろ」


「えっ、んむ……」


 彼の口の中に強引にトリュフを押し込む。


「美味しい?」


「……うん」


「まだ食う?」


「ん……」


 一粒ずつ餌付けをするように彼の口に放り込んでいく。最後の一粒を食べ終わると彼は僕の手を掴んで、僕の指に付いていたココアパウダーを舐めとった。そうするのが当然かのようになんの躊躇いもなく。不覚にもドキッとしてしまったが、すぐに冷静になり手を引っ込める。すると彼はハッとして、僕の顔を見上げた。そして湊を見て、もう一度僕を見る。サーっと彼の顔が青ざめていく。


「ご、ごごごごごめん! いつもの癖「チョコと間違えて食べちゃったんだよね」


 息子の前で余計なこと言うなと圧をかけると、彼は「その通りでございます」と僕の前正座をして頷いた。「おとー、おかーのおててたべちゃ、めっ」と、湊にも叱られる。まだ幼い彼にはこのなんとなく色気のある空気は察知出来ないのだろう。大人になる頃には彼の記憶から消えていることを願いながら、もう一度夫の頭を小突いた。

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