初めてのお茶会

 湊と公園に通うようになって数ヶ月。最初は警戒していた近所のママさん達ともだいぶ打ち解けてきて、今回、初めてお茶会に誘われた。誘ってくれたのは流美ちゃんと同い年の娘を持つ金城きんじょうさん。手土産を持って、湊を連れて金城さんのお宅に向かおうと準備をしていると「おはよう」と妻の声。


「あぁ、おはよう」


「おあよー」


「なに。出かけるの?」


「うん。ママ友の家にお呼ばれしまして。言わなかったっけ?」


「あぁ……聞いた気がする。今日だったか」


「うん。奥様も来れたらいらしてって言ってたし、せっかくだから一緒に行く?」


「……誰の家行くんだっけ」


「金城さん。流美ちゃんのお友達の美鶴みつるちゃんの家」


「あー……あのセレブママね……。ふぅん。なるほどね……招待されてるなら行こうかな。面白くなりそうだし」


 何かを企むように妻はふっと笑う。嫌な予感がする。


「ちょっと準備してくる」


「う、うん……。湊、お母さんも一緒に行くって。準備終わるまでここで待ってようか」


「うん」


 玄関先で湊を抱っこして座って妻を待っていると、しばらくして「お待たせ」と妻の声。立ち上がって振り返ると、リード付きの首輪を持った妻が「行こっか」と笑う。


「……しまってきてください」


「あははっ。冗談冗談」


 そう笑いながら、彼女はそれをそのまま鞄にしまい始める。慌てて止めて、部屋まで押し返した。ちょこちょことついてきた湊が「なにしてるの?」と言いたげに首を傾げる。


「お母さん、間違えて首輪持ってきちゃったみたい」


「くびわ?」


「犬が首につけてるやつだよ。……あ。えーっと……あ、そ、そう。お母さん昔犬飼ってて! その犬のやつだから! さっきのは! 決して俺のじゃないからね!?」


 必死に言い訳してしまうが、通じているのかいないのか首を傾げる湊。


「……おとー、いぬ?」


「ち、違うよ!? お父さんは人間だよ!!」


「いんけん」


「……陰険は海の方だと思う」


「おいこら。誰が陰険だ」


「あ。お帰り。……もう変なもの持ってないでしょうね」


「ちゃんと置いてきたよ。ボディチェックする?」


 揶揄うように両腕を横に広げる妻。一応上から順番に触って確認していると、腰の辺りに何か硬いものが入っていた。厚さはそこまでなくて、固くて、ドーナツのように真ん中に穴が空いた円が二つ。


「……手錠入ってるんですけど」


「あははー正解」


「物当てクイズしてないでしまってきなさい! 待て! ここで出すな! 部屋! バック!」


「はーい」


 再び部屋に戻る妻。なんだかテンションがおかしい。


「置いてきた」


「……もうなにも持ってないだろうな」


「ないない。早く行くよ。遅刻しちゃう」


 全く君がいつまでもふざけてるから。とでも言いたげな呆れた態度で、彼女は湊を拾い上げて玄関の方に歩いていく。


「誰のせいだと思ってんだよ……全く」


 ため息を吐いて、もう一度戸締まりを確認してから玄関先に置いた手土産を持って彼女を追いかける。


「で、金城さんの住所はここなんですけが……」


 教えてもらった住所の元に辿り着くと、目の前に建っていたのはいかにもお金持ちが住んでそうな立派な家。少なくともうちの二倍以上の敷地はある。我が家もそれほど小さくはないのだけど。

 俺が圧倒されている間に、妻がインターフォンを押す。今開けますねと声が聞こえて、門の鍵が一人手に解除された。


「お、おじゃましまぁす……」


「緊張しすぎだろ」


「いや、だってこんな立派なお家初めてだし……逆に海は堂々としすぎでは?」


 緊張する俺とは逆に妻は平然としている。理由を聞くと「慣れてるからね」とサラッと答えた。何故慣れているのかと聞こうとして、理由を察して止める。しかし彼女は聞きたくないという俺の気持ちを察したのだろう。揶揄うように笑いながら語り出そうとする。


「昔、嬢やってた頃「だー! 聞きたくないって言ってんでしょうが! てかこんなところで話そうとするな!」いや、君が聞きたいって顔「してない! むしろ聞きたくない!」ちなみにその人は「だーかーらー!」ふふ。はいはい」


 やっぱり今日の彼女は変だ。俺を揶揄うのはいつものことなんだけど。


「金城さん、こんにちは。鈴木です」


「あら……奥様もいらしてくださったのね」


「はい。お招きいただき、ありがとうございます」


「これ、お菓子です」


「ありがとうございます。中へどうぞ」


「「お邪魔します」」


「おままいたす」


「武士か。おじゃまします。な」


「おやましましゅ?」


「うーん。惜しい。けどほぼ正解。可愛い。天才」


「……親バカだなぁ。すみません、うちの夫が」


「いいえ。……本当に、夫婦仲がよろしいのね。……羨ましいですわ」


 ニコニコしながら金城さんは言う。しかしなんだか、どこか寂しそうに見えた。金城さんに案内されてリビングへ。星野さん、滝さん、和奏さんの三人が固まっている近くの席に夫婦そろって座る。流美ちゃんは幼稚園、和希は和奏さんの両親のところに、滝さんのところの蓮太くんもおばあちゃんのところに預けてきたらしい。てっきり子供達も来ると思っていたが、湊以外誰もいない。母親だらけの場所に父親一人、子一人。やはり場違いな気がする。


「にしても、本当に立派なお家ですね。金城さんの旦那様って、製薬会社の社長でしたっけ」


 誰かが言う。そうなんだ。知らなかった。というか、あまり興味が無い。しかし、他のテーブルは夫の職業や子供達の受験などの話で盛り上がり始める。みんな教育熱心なようだ。それを見て「あたしみたいな庶民は場違いだったかしらね」と苦笑いする滝さん。「なるほどねぇ」と意味深に呟く和奏さん。盛り上がるママさん達を見ながら意味深に笑う妻。誰とも目を合わさずに黙って紅茶を飲む星野さん。なんだか空気がおかしいことにようやく気づく。


「あ、ごめんなさぁい星野さん。お受験の話は……」


「いえ。お気になさらず。流美も最初はショックを受けてましたけど、今はのびのびやってますから。お構いなく。続けててくださいな」


「そうですか。それは良かった。けど残念ですわ。同じ幼稚園に通えなくて」


「……ええ、本当に。そうですね」


 星野さんと金城さんの間で明らかに火花が散っている。流美ちゃんと美鶴ちゃんは仲良さそうに見えたが、親同士はそうでもないのかもしれない。俺はとんでもないところに来てしまったのかもしれないと今更気付いた。楽しいお茶会だと思ったのに。マウントを取り合う戦場だったなんて聞いてない。

 それにしても、何故そうも子供のことで張り合うのだろう。比べられる子供達のことを考えて、俺には理解出来ないなと呆れながら紅茶を流し込む。湊を連れてきたのは失敗だったかもしれない。


「……あ、あのー。幼稚園のお受験って、やっぱり大変なんですか?」


 誰かが恐る恐る金城さんに問う。金城さんはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに娘の自慢を始める。「この場に流美ちゃん居なくて良かったですね」と和奏さん。そうだろうか。流美ちゃんは以前こう言っていた。『みつるちゃんはね、わたしのじまんのともだちなんだよ』と。あれは誰かに言わされた言葉じゃない。本心だ。幼稚園に落ちてショックを受けていたと星野さんは言っていたが、それはきっと落ちたことではなく、美鶴ちゃんと同じ幼稚園に通えないことにショックを受けていたのではないのではないだろうか。星野さんも金城さんも、あの子達がどれだけ仲が良いのか、わかっているのだろうか。


「鈴木さん達のお子さんももうすぐ三歳ですよね? 幼稚園のこと、もう考えてますの? お受験させるなら、対策は早い方がよろしいですよ」


 金城さんがこっちに話を振ってきた。どこか嫌味っぽく。幼稚園の受験なんて考えたこともなかった。「お受験ねぇ……」と苦笑いする和奏さん。「うちは公立で良いかなぁ」と自信なさげに滝さん。


「俺は三人一緒が良いです。和希と蓮太くんと、湊と。三人一緒ならどこでも良いです。な。湊」


「いっちょ!」


「和奏さん、どうせクソババ——母さんから言われてんでしょ。お受験のこと。どうするの?」


「……私も麗音くんと同じ気持ちだよ。湊くんと蓮太くんと、同じ幼稚園が良い。その方が私も気が楽だしね」


「かじゅくん、いっちょ。れんたき、いっちょ」


 嬉しそうに足をパタパタさせる湊。星野さんが「一緒、嬉しいね」と湊に声をかける。「うん」と湊が大きく頷くと、星野さんはハッとしたような顔をした。


「……そっか。流美がショックだったのはもしかして……」


 星野さんが何かに気づいたように呟く。そして急に立ち上がり、金城さんの元へ。


「な、なに? どうしたの?」


「金城さん。今度一緒に出かけませんか。娘達も連れて」


「お出かけ? お誘いはありがたいですが……美鶴はお勉強が忙しいからそれどころでは「では、科学館はどうでしょう。あそこなら楽しみながら学べると思います。机に向かうだけが勉強ではないですよ。私が偉そうに言うのもなんですけど」


 言葉を遮られて唖然とする金城さんの手を取り、目を真っ直ぐに見つめながら、星野さんは語る。


「流美がショックだったのはきっと、受験に失敗したことではなくて美鶴ちゃんと同じ幼稚園に通えなくなることだと思うんです。流美は美鶴ちゃんのことが大好きだから。幼稚園は別々になってしまったけれど、あの子達にはこれをきっかけに疎遠になってほしくない。一緒に遊ぶ時間を少しでも作ってあげられませんか?」


 金城さんは気まずそうに目を逸らしながら「考えておきます」と小さな声で返事をした。それを聞いた星野さんはパッと顔を輝かせて「連絡、お待ちしてます」と笑った。どこか険悪だった空気が晴れていくような気がした。




 そうして、最初はどこか険悪だったお茶会はなんとか平和に終わった。湊を連れて玄関を出て、家の敷地を出ようとしたところで妻が「忘れ物した」と引き返して行った。

 滝さん達と一緒にしばらく待つが、なかなか帰ってこない。なんだか嫌な予感がして、湊を和奏さんに預けて家の中に戻る。リビングの方から妻の声が聞こえてくる。


「寂しかったんですよね、奥さん。僕が慰め——」


 リビングのドアを開けると目に飛び込んできたのは、金城さんを壁際に追い込んで壁に手をついて逃げ場を塞いで、金城さんの髪をいじる妻の姿。目が合うと妻は「あーあ。良いところだったのに」と悪びれる様子も無く笑って金城さんを解放する。頬を染めて目を逸らす金城さんと妻を交互に見る。


「……海ちゃん。何があったか一から説明してもらえる?」


「それではまずこちらをご覧ください」


 そう言って妻が金城さんを解放して見せてきた写真には一組の男女が写っていた。二人の正面にはラブホテル。男女は後ろ姿しか写っていないが、俺と星野さんに見える。


「……これは一体……」


「心当たりがおありで?」


「いや、全く。けど……俺と星野さんだよねこれ」


「よく出来た合成だよねぇ」


「合成?」


「そう。合成。君の後ろ姿の写真と、星野さんの後ろ姿の写真と、ラブホを背景にした写真に合体させてんの。そんだけ。僕と君、それから星野さんを貶めようと金城さんが作ったんだって。手が込んでるよね」


「何故俺達と星野さんを……」


「……羨ましかったんです。仲の良いお二人が。うちの夫は……私のことなんて……」


 泣き出してしまう金城さんに大丈夫ですよと優しく声をかけながら触れようとする妻。咄嗟に妻の腕を掴む。彼女は俺を見て悪戯っ子のように笑う。


「金城さん、写真のデータ、今すぐに消してください」


「もう消させたよ。全部。反省はしてるみたいだし許してあげよう」


「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」


「……もう二度とこんなことしないでくださいね」


「はい。ごめんなさい……」


 それにしても、あれだけ星野さんに嫌味を言っていたのにやけに素直だ。まるで別人みたいだ。あの短時間で妻は彼女をどう懐柔したのだろうか。恐ろしい人だ。


「けど良かったね。金城さんが嵌めようとしたのが僕の方で。君だったら騙されてたよね」


「騙されるわけないだろ。何年一緒にいると思ってるの」


 彼女は浮気性だが、隠すことはしない。いちいち報告して俺の反応見て楽しむ悪趣味な人だから。それにきっと、妻が浮気をしている証拠写真を作るとしたら相手は異性で作るだろう。その時点で嘘だと分かる。妻は女性にしか興味が無いから。


「ところで麗音。湊はどうした?」


「和奏さんに預けてきた。子供には聞かせたくない話してる気がしたから」


「ふぅん。なら、帰ろうか。湊も寂しがってるだろうし。金城さん、もう人を嵌めようとしちゃ駄目ですよ」


「……はい」


 妻を連れて金城さんの家を後にする。門を出ると「随分とかかったねえ」と和奏さん。「おけーり」と湊。星野さんと滝さんもまだ一緒に居た。和奏さんから湊を受け取り、家に向かってゆっくりと話しながら歩く。


「……鈴木さん、大丈夫だった? 金城さんになんか嫌がらせされたりしなかった?」


「夫が浮気してるって言われました」


「「「浮気ぃ!?」」」


「うわきぃ?」


 一斉に俺を見るママさん達と湊。「まぁ、誤解なんですけどね」とケラケラ笑う妻。


「あぁ、そうだったんですね。誤解でよかったです……」


「浮気なんてしないですようちの夫は。ただ、誰かが夫を嵌めようとしてそういう噂を流すことはいずれあるだろうなと思ってました。人が良すぎるが故に敵を作りやすいですからね夫は」


 つまり、妻は最初から気づいていたのだろう。金城さんが俺と星野さんを嵌めようとしていることに。だからついてきた。しかし、妻は金城さんとは挨拶したことがある程度の関係だと思うが、何故見抜けたのだろう。問うと妻は「君が純粋すぎるんだよ」と笑った。答えになっていない。


「……金城さんが一番敵に回しちゃいけないと思ってたけど……本当に敵に回しちゃいけないのはこっちだったか……」


 と、滝さんが何故か俺を見る。そこは妻を見るところだと思うが。


「でも金城さん、悪い人では無いと思います」


「あんなに嫌味言われてたのによくそんなこと言えますね」


「確かに嫌味は言われましたけど……」


 ふと、誰かの携帯が鳴る。星野さんがカバンから携帯を取り出し、パカッと開いて中を見て、ふふと嬉しそうに笑った。そして何故か俺と湊にお礼を言った。湊も俺も首を傾げるが、妻が代わりに「どういたしまして」と笑った。何が何だか分からないが「お手柄だな」と妻に頭を撫でられると、悪い気はしなかった。

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