第75話 姉妹
暗躍がお父様達に露見したことを察知したのか、先代達は手勢を引き連れ、既に天枷から姿を消している。先代派の人間も分家筋の者達を含め、私の知らない内に本邸から姿を消していた。結構な人数が居た筈だけれど、どうやら逃げ足だけは一級品らしい。或いは、異物を取り除く好機と見たお父様が見逃しただけなのかも知れない。
よくは分からないけれど、浮気がバレてしまった亭主が姿を晦ましたようなものだろうか?何れにせよ、随分とまぁ情けない話である。彼らの企みが成功していた時のことを考えれば笑ってもいられないのだろうけれど、結果だけを見れば失笑の一つも溢れるというものだ。
「……随分と久しぶりね」
「……姉、さん……」
そのおかげと言うべきか、私達姉妹は再び顔を合わせる事になった。こうして直接顔を合わせるのは、一体何時以来になるだろうか。久方ぶりに見る
「……」
「あの……えっと」
姉妹の間にある空白の時間は、私達から自然な会話というものを奪っていた。私がそうであるように、
そも、私には祓に対して姉らしいことをしてあげた記憶がない。今もそうであるように、私はこれまでずっと自分の好きなことだけをして生きてきた。それを後悔しているわけではないけれど、だからといって今更、偉そうに姉として振る舞うことなど出来はしない。
私は妹のことを毛嫌いしているわけではない。ただ興味がなかっただけだ。そしてそれは妹のことだけに限らず、その他の全てに言えることだ。手持ち無沙汰になった腕を胸の前で組み、何とか言葉を紡ごうとしている祓を見つめる。あたふたと狼狽する妹は、けれどその態度とは裏腹に、まっすぐ私の目を見つめていた。
「あのっ!!」
「……何かしら?」
「た、『対抗戦』を見ました!!その、すごく格好良かった、です……!」
先代から有ること無いこと吹き込まれていた妹だ。正直に言えば、私はどんな罵詈雑言を投げかけられるものかと少し期待していた程だった。けれど祓の口から出たのは、そんな予想とはまるで正反対の言葉だった。
「そう?」
「は、はいっ!!特に『
「……そう。少し気恥ずかしいわね。でも、所詮は学生同士のお遊戯会よ。そこまで褒められるようなことじゃないわ」
これは謙遜ではなく、嘘偽りのない私の本心だ。
事実、私は妹に褒められるような事はしていない。確かに『
けれど妹が私に向けるその眼差しが、不思議と嫌ではなかった。本当なら、もっと気の利いた言葉が出てくるのだろう。けれど歪な私には、これが精一杯だった。
「これからの事は聞いているかしら?」
「あ……はい。一応、お父様とお母様から聞きました。お祖父様達との争いになる、と」
「私も詳しくは聞いていないけれど、概ねその通りよ。けれど懸念もある。祓、貴女はあの人達に刃を向けることが出来るのかしら?」
「それ、は……」
妹は出来損ないの私に代わり、先代達からひどく可愛がられていた。それがあの老害達の打算であったとしても、だ。無論お父様達からも可愛がられていた筈だけれど、お父様達は当主となって以来家を空けることも多かった。既に引退していた先代達のほうが接する機会は多かっただろう。そんな、ある意味最も身近だった存在に対して、妹は歯向かう事が出来るのか。私はそれを妹に問うた。
如何に天枷の娘と謂えど、祓はまだ実戦も知らないのだ。そんな妹の初陣が身内との対人戦とは、随分と過酷なように思えた。
もしも祓に覚悟がないのであれば、安全な後方に引っ込んでいるよう伝えるつもりだった。天枷は『六家』に名を連ねる名家だ。こんな内輪揉めなどという醜態、そう何度も晒す訳にはいかない立場にある。つまり、今回の戦いで膿を出し切らなければならないのだ。失敗も敗北も、私達には許されない。勿論、そんなつもりは微塵もないけれど。
そんな私の危惧は、しかし妹の瞳を見て霧散した。成程、どうやらこの子もまた、歴とした天枷の娘であるらしい。僅かに震えてはいるけれど、少なくとも覚悟は決まっているらしい。
「無論です!!姉さんほど凄くはないかもしれませんが……それでも、私だって天枷の娘、ですから!」
そう言って精一杯強がって見せる妹の姿に、何か不思議な感覚を覚える。この気持ちが何なのか、私にはよく分からない。けれど、やっぱり───。
「……悪くはないわね」
「えっ?」
「何でもないわ。独り言よ」
私の後ろで、あの生意気な従者がニヤニヤと笑っている姿が容易に想像出来る。彼女は今回も天枷の従者部隊としてではなく、いつもの通り私に付いて回るらしい。後からこのやり取りについて粘着されそうで、今からもう億劫だ。
これからしばらくの間、場を整える為にお父様達が暗躍することだろう。つまり、実際に私達が戦場に立つのはもう少し先の話になる。けれど祓の意志は確認出来た。この子が覚悟を決めたというのであれば、私から何かを言うことはもう無い。
「あの、姉さん……」
「何かしら?」
「……大丈夫なんでしょうか、その、色々と……」
覚悟を決めたと思ったのは、私の気の所為だったのかしら?
初めての実戦に不安を覚える気持ちは、まぁ多少は分からなくもないけれど。啖呵を切ったのならもう少し毅然としていて欲しい。そもそも一人の人間としても、そして姉としても、私は妹に誇れるような部分が何もない。こんなときに妹を安心させる気の利いた台詞など、私の口から出てくる筈もない。私に出来ることなど、とどのつまりは一つしか無いのだから。
「心配いらないわ。何も」
「ですが……」
「私が全部壊すもの。貴女は黙って私の後を付いてくれば良い。分かった?」
「あ、え、あの……はい」
やっぱり私には、姉らしい振る舞いなど出来ないらしい。どう見たって引いている妹の姿を見て、私は改めてそう思った。
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