美しき故国③
三、
―――我々は、その肉を喰らった。
「”やがてその肉は彼らの身体をつくりかえ、その時を止めた……”」
「―――
夜の帳が落ちる欧州のとある街の屋敷の一室。
ピンクの小花柄に大ぶりのレースをあしらった愛らしくメイキングされたベッドの上で、エーディットはいつもどおり寝物語をねだった。それに応えてくれる親切なこの青年は、エーディットの父の故郷である日本の昔話や遠い東の国の故事を懇切丁寧に説いてくれるのだが、如何せん幼いエーディットには小難しくてすぐに瞼が落ちてしまう。しかし、とうとう話題が尽きたのか、それともたまには五歳児に合わせた”おはなし”でもしてやろうと気をきかせたのか、今夜のお供は絵本で読むメルヒェンのような話であった。 頼んだ身で言えることではないが、雑で現実味に欠けた、彼らしくない話のような気がする。 なにかの肉を食べて死ななくなってしまうだなんて。
「どこの国でも永遠の命は人気だな」
ベッドに腰かけて一緒に聴いていた使用人のディートリヒがつまらなさそうに感想を投げた。
「ねぇねぇ、ショウ。そのあとふたりはどうなるの?」
「そりゃあ勿論……”ふたりはいつまでも幸せに暮らしましたとさ”」
「オチ考えてなかったろ」
「今日は仕事が忙しかったんだ、勘弁してくれよ」
いつもより話が短かったせいなのか、はたまた日が高いうちに昼寝をとってしまったせいなのか、エーディットはちっとも眠くならなかった。とりあえず続きをお願いしてみるが、寝ろとたしなめてきたディートリヒに部屋の灯りを消されてしまった。
死なない人間は、どうするのだろう。
たとえば、エーディットが永遠に生き続けるのであれば、少し歳を取っていて寡黙だがいつも見守ってくれている父が、美しく聡明で限りない愛情を注いでくれる母が、不愛想で粗野でも毎日面倒をみてくれるディートリヒが、父に献身を尽くし家と店を支えているショウが、みな己より先にいなくなってしまうのだ。 そして、きっと、家族も故郷も、もうなにひとつ残っておらずとも、それでも己の生は続くのだろう。
小さいからだにはえらく広く感じられるこの寝室で、ひとり夜を過ごすのはまだまだ慣れそうになかった。それでも、育ち盛りの小さな体は休息を欲して、次第に夢のなかへと引っぱられていった。
エーディットを寝かしつけたふたりは、手に明かりを携えて、屋敷の暗い廊下を歩いていた。壁に飾られている絵画や掛け軸が、当てられた光でぼんやりと浮き上がっている。
「”ふたりでいつまでも幸せに”―――なんて嘘なんだろう?」
「なぜそう思う?」
思わず問いを問いで返したショウは、掛け軸に描かれた橙色の猫がチェシーレのように笑っている気がした。
「昔、見せてもらった旦那様の若いころの写真……お前も一緒に写っていた」
今と寸分変わらない青年の姿で。
「そもそもこの十年間毎日顔を合わせているんだ。ずっと思ってはいたことだ」
親を亡くし路上暮らしをしていたディートリヒが、ショウと出会ったのは六つのときだった。旦那様と旧知の仲だというこの東洋人は、主の一家とともにこの屋敷に住み込み―――居候ともいう―――彼のビジネスである画廊を手伝っている。
「お前はひとりでここにいる」
灯りで照らされていたはずのショウの横顔には、いつのまにか影がかかっている。
ランタンを持つ手は、ちからなく下ろされていた。
「ずっと続くと……思っていたよ」
ふたりで過ごす時間と幸せさえも、永遠だと。
―――信じていた。
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