それは、あの瞬間のまま

サカモト

第1話 虹のはじまり

 ドアをあけると、虹が見えた。

 虹しか見えなくなって、虹が晴れたら、森のなかだった。

 日曜日の午後二時、パンでも買おうと、コンビニへ行こうとして、玄関をあけたら、森。

 パニックにならなかったのは、あまりにもなんのアレもなく、世界が切り替わったからだった。ぴっ、ぴっ、とアニメでいう、場面が展観するような。

 でも、アレだと思う。もう少しだけ時間がたてば、悲鳴をあげる気がした。ほんとうに森だし、森はうちの近所にはないし、でも、ものすごく、草と土のにおいがする。

 いや、森というか、ジャングルというか。

 いや、ジャングルにいったことはないし、だから、これがジャングルなのかどうかを判断する、ジャングル感を、オレはもっていない。

 ああ、でも、もしかして、これは精神だけ、どこかへ行ったパターンかな。中学校に入学してから、父さんも母さんも、言葉にはしないまでも、夜更かしの規制緩和をしてくれたみたいで、昨日も土曜の夜に、友だちと深夜ラジオを聞きながら、スマホのメッセージで、ぐしゃぐしゃたっているうちに、三時くらいになっていた。にもかかわらず、起きたのは朝の七時だった。小学校から、引き続き、日曜の朝の特撮アニメを見る習慣は、継続となっていた。

 だから、ねむい。

 ねむいから、こういう幻覚を。

 そうだ、そうだよね。

 とか、だれもいないのに、心の中で、だれかに同意を求める。むろん、ああ、そうさ、そうさ。

 深呼吸して落ち着こう。

 ああ、森の空気は、酸素が濃いぜ。

 だめだ、森の空気をものすごい感じている。空気中の森感がとてつもない。これは、ぜったい、生身の肺で吸っている。

 来てる可能性がたかい。へんなところに、いま、来ちゃってる可能性が高い。

 おそるおそる手足を見る。家を出たときの恰好のままだった。母さんに買ってもらった服を着て、母さんに買ってもらった靴を履いている。どちらも北欧風だった。

 母さんは北欧の感じが好きだった。そして、我が子も、北欧化だ。

 で、どうやら、オレはオレのままらしい。目線の高さも、もとの素材と似たようなままだった。

 つぎにズボンのポケットの中をさぐる。スマホが入っていた。画面を操作すると、電源はついた。でも、電波なしのマークになっている。

 そして、オレがこの世界での第一声を放つ。

「わ、どうしようかしら、これ」

 父さんの口ぐせだった。父さんは、ときどき、かしら、という言葉を使う。

 かつて、この国の文豪は、よく、かしら、というセリフを使っていて、そこに影響されたと教えてくれた。

 もちろん、いまはどうでもいい。

 だめだ、気を抜くと、すぐに現実逃避しそうになる。

 でも、どうしろと。玄関のドアをあけたら、すぐに虹が見えて。七色の虹が、ぶわ、って来て。

 で。

 でー。

 玄関をあけたら、知らない場所。

 なんだろう。

 もしかして、玄関の位置が風水的問題でもあるのかな。

「だめだめだめだめだめ」と、頭を左右にふった。「のんのんのんのんのん」

 ゆだんすると、すぐに現実逃避しそうになる。

 そんなことをしている間にも、時間が過ぎていく。だんだん、森の中に響いている、鳥なのか、なんなのかわからない、くわーくわー、っとか、ぎゅーぎゅぎゅぎゅ、とか、とにかく、えたいの知れない奇声が、ジャンジャン聞こえるようになってきた。

 だいたい、暗い。見上げると、あたまの上は、森の木の葉っぱでふさがれてて、太陽の光があまり届かない。立っている場所の地面も、ちょっと柔らかい。

 そう、虹だ。虹が見えて、ここへ。

 冷静に状況をぶんせきしようとした。

 ああ、でも、はやくもしんどいよ、母さん。

 中学校に入って、算数から数学になったばかりだし、いや、それがどうカンケイあるかという話は、うまく説明デキないけど、とにかく、ムリそうだった。

 もしかして、帰れないのかしら、二度と。

 そう思ったら、いよいよやってきた。パニックだった、胃の方から、ぐんぐんせりあがって来る感じがわかった。喉の方まで来ている。

 そして、出る。もう出る。

 と、おもったときだった。

「おおう、うわ、なんだ、子どもじゃねーかよ」

 真正面から、パンチのきいた女の子の声がきこえた。

 見ると、真正面に女の子がいる。瞳が、虹みたいに七色、にみえた。

 髪の色は、もともとが金なのか、赤なのか、どっちかはわからないけど、金と、赤が混ざっていて、背はオレよりも高い。としは、きっと、オレより少し上のひとだった。

 まっピンクの服を着ていた。まっピンクの毛皮というか。そのまっピンクの毛皮のいろんなところに、なにか、よくわからない飾りみたいながジャラジャラついている。統一感のないジャラジャラだった。メダルみたいなのもをつけているし、木彫りのなにかみたいなのもつけている。

 そんなふうに、はじめは、相手の大枠を見た。さいごに顔をみた。

 顔の色が白い。肌が白というか、雪みたいに白い。

 そこに虹色の目がふたつある。

 しかも、かわいい。

「ほげ」と、声を出してしまった。魂をぎゅうっと押されて、出た声だった。ほげ。

「ほげ?」と、その子は頭に、くえっしょんマークをつけた。「ほげ、って、なんだね、きみ」

「にほんの、ひと?」

 日本語だし。

 すると、その子はいった。

「あ、いま気づいたよ、これ説明がめんどさいじゃん!」

「せつめい」

「いや、助けててもらおうと思って、呼んだの。こっちにね」

 いって、その子は地面を指さした。

「こっち」

「そう、こっち。ここ、きみとは別の何かの場所」

「別の何かの場所」

「まあ、そうはいっても、わたしたちはここでふつうに暮らせてるからさ、きみの方は、深いことは気にしないでいいから」

 片手でオレの肩を、ばんばん叩く。

 ああ、いま、めんどうだから説明を放棄して、ノリで誤魔化そうとしたぞ、この子。誤魔化せてないけど。

 あと、肩を叩く、ばんばんが強い。脱臼の恐れがあった。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」女の子は、ひょうひょうとした感じでいった。「還れるから、時間がくれば」

「時間?」

「うん、そんな長くないかな。宴会、一回分くらいかな、制限時間は」

「宴会するの」

「しないよ」

「じゃ、なにするのさ」

 ぽん、ぽん、と掛け合いをする。

 その果てに、女の子はいった。

「え、怪物退治だよ」

 かんたんに。で、いう。

「そんなさぁ、じぶんたちでどうにもできないような怪物を退治してもらう場合以外に、わざわざ、魔法的なの使って他所から助け呼ばないってばー」

 で、口をあけて笑った。

 かわいい、笑い方だった。それが闇しか感じさせない。

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