第五話

その日はそのまま満腹だったのですんなりと眠りに落ちた。

こんなに質の良い眠りに入ったのはいつぶりだろうか。 いや、ほとんど安眠、快眠といった経験は皆無だったかもしれない。

こんなに心地の良い布団は虜になってしまうな。

だが習慣という物は恐ろしい。

夜中になって身体が勝手に起き上がり木剣を振り始めてしまった。


一振り…また一振りと丁寧な素振りをしていく。

身体の温まる感覚と共に何かが滲み上がってくる様な感覚…。 込み上がるでも、滲み出るもない…滲み上がってくる様な感覚。

例えるなら濡らした布から水が出て来るような…それで居て、それがずっと続く様な不思議な感覚。


其の感覚に違和感を覚えながらも俺は木剣を振るっていた。


「そろそろ、真剣が欲しいところだな…」


そう独り言ちたところで誰も聞いてなどはない。

あるのはきっと宵闇の虚無。

俺も目が見えたら夜の暗がりすら楽しめたのだろうか? それとも恐怖を抱いたか?

俺は昼も夜も同じにしか感じない。

そこに何か居るか、居ないかの違いでしかない。


そうして俺は宿の部屋に戻り、布で身体を拭いていた。

朝を告げる鳥の鳴き声と、料理を作り始める猫の踊り場の人の物音で朝だと確信した。


「二度寝する余裕は無いか…。 ちょっと張り切り過ぎた…」


コンコン!


女将さんだろうか。


「はい!」


「もうちょっとで朝ごはんが出来るよ! 朝は簡単な物しか用意してないけど、大丈夫かい?」


「はい、すぐに向かえば良いですか?」


「ちゃんと起きてるのは良い事だね! すぐじゃなくても良いけど準備が出来たらおいで。 冷めたら美味しくはないからね」


「分かりました! 何から何までありがとうございます」


「凄腕の剣士様には沢山サービスしとかないとねぇ!」


「買い被り過ぎですよ!」


「じゃあ、待ってるからね」


待てよ、何故俺が剣士であると知っている?

いや、気にしても仕方ないか。

とりあえず食事に向かう事にしよう。


一階にはテーブル席が幾つもあり、食事のいい匂いが溢れかえっていた。


「え、簡単な物って聞いていたんですが…」


「何を言ってるんだい? うちじゃこれは簡単な物の方だよ。 スープなんて昨日の余りをちょっと改良しただけだからね! 手抜きも良いとこだよ!」


高級店とかじゃないよな? 後から実は凄い額請求されたりしないよな?


「顔に何書いてあるか丸わかりだよ。 そんなうちはぼったくりみたいな事しないから安心しな! 領内最高の優良店なんだからね!」


「ハイ」


「あと、お迎えならずっと外で待ってるよ。 食事が終わるの待っててくれてるみたいだね」


貴族の遣いを待たせてるって状況最悪ではないかな?

喉が詰まるんじゃないかって勢いで俺は朝食を食べた。

最後の方は喉に詰まって水で流し込んでいたので、実質水の味だった。

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