第3章 第1話
ステファーヌさまのお誕生日会は、王宮から離れた私邸で行われるとのことだった。
私とノアは、現地で合流することになっている。
王宮から馬車で数時間の、街外れの森の中にその別邸はあった。
到着すると、すぐに控えの間に通される。
白と深く濃い茶色を基調した色合いの、立派なお屋敷だ。
きっと普段は静かで落ち着いた雰囲気なんだろうけど、今日は沢山のお客さまが行き交い、とても華やかな雰囲気に包まれている。
他の方々は同室の方とおしゃべりをしていたり、周囲の散策をしているみたいだけど、私には個室が用意されていて、そこから動くことは出来ない。
それは、大切に扱われているということなんだけど……。
ノックが聞こえた。
「アデル。入るよ」
ノアだ。
初めての場所に緊張していたのが、わずかにほぐれる。
「ノアは、先に着いてたのね」
「うん。昨日から泊まってて、今夜もそうする」
「いつもそうしてるの?」
「まぁね。アデルは日帰りなんだろ?」
「そうよ」
プライベートな会とはいえ、第一王子のお誕生日会だ。
招待されて嬉しくないワケではない。
「ね、きょ、今日のドレス、ヘンじゃない? おかしくない?」
これからこの国の名門貴族たちに、つま先から髪の先までくまなくチェックされるのだ。
せめてノアからだけでも、事前に「悪くないよ」って、一言言ってほしい。
セリーヌと選びに選び抜いた、白にピンクのラインの入ったスカートの裾を持ち上げる。
「アデルも、外泊の許可をもらったらよかったのに。僕と一緒なら、許可が下りただろ」
「緊張して、そんなことにまで、気が回らなかったのよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
いつも以上に、念入りに時間をかけてドレスも髪も整えたのに……。
ドレスも扇も髪飾りも、全てこの日のために新調したものだ。
「どうして相談してくれなかったんだ」
「なら、そっちから声をかけてくれたらよかったのに」
「そうじゃないだろ」
ノアは落ち着かない様子で横を向き、まだこっちを見ようともしない。
ため息ばかりをついて、ずっとイライラとしてる。
ドレスのことも今日の装いのことも、私の話しには何一つ返事をくれない。
「私は、こういったパーティーは初めてなのよ」
「第一王子のお誕生日会だからね。この日だけは特別なんだ」
それはきっと、ノアにとっての話しであって、私にとっての話しじゃない。
「なにか言いたいことがあるんなら、早く言って」
彼はまた一つ、大きなため息をついた。
「本当は君に隠しておきたかったけど、それじゃフェアじゃないって言われたんだ。僕にはよく分からないけど、兄さんたちには、それでは許されないみたいだ」
ノアの手が、私の手を取った。
パーティーの時間だ。
「それでも、僕の気持ちは変わらないということを、分かってほしい」
「変わらないって、どういうこと?」
「全部今まで通りってこと。僕は僕のままだ。君との関係に、なんの影響もない」
何を言っているのか、意味が分からない。
ノアが変わらないというのなら、私だって今まで通りだ。
彼は真っ直ぐ前を向いたまま、立ち上がった。
見上げた横顔はいつも以上に厳しい。
そのままエスコートされ、落ち着いた廊下を会場の前まで進む。
「アデル。ここから先は、君は僕の正式な婚約者だ。だから誰よりも堂々としていて」
「任せて。大丈夫よ」
「ありがとう。大好きだよ、アデル」
ノアのその言葉に、私は魔法をかける。
華やかな第一王子の誕生日会だ。
公式行事という何もかも段取りの決まったパーティーではない。
気を引き締めないと。扉が開いた。
「第三王子ノアさまと、シェル王国王女アデルさまのご入場です」
広間には、沢山の招待客が来ていた。
みんなステファーヌさまの、気心の知れたお友達ばかりだ。
派手に着飾るわけでもなく、上品な装いでゆったりとすごしている。
美しい髪飾りに、繊細なレース、ひらひらと舞うリボンの数……。
ホームパーティーというには豪華すぎるけど、身内だけの非公式行事だ。
「アデル。ここには着いたばかりで疲れただろう。僕たちの席はあちらに用意されてるんだ。座ってる?」
「まぁ、到着してすぐにそんな態度では失礼だわ。私はこういう場は初めてなのよ。出来れば皆さまにご挨拶したいわ」
「だけど、あまり目立っては……。今日は、兄さんの誕生日会だから……」
ノアが渋る間にも、あっという間に周囲を取り囲まれ、お構いなしに挨拶を受ける。
「こんにちは。ノアさま。アデルさま。本日はお会い出来て、大変光栄ですわ」
にこやかに声をかけてくる誰も彼もがみんな、名門貴族の方々ばかりだ。
ノアの隣で腕を組み並んで立っていても、中の様子が気にかかる。
招待客の中には人気俳優や若手音楽家、有名な画家の姿も見える。
あそこにいるのは、リディさまとコリンヌさま?
ノアが耳元でささやいた。
「大好きだよ、アデル。君が一番だ」
「私もよ。ノア」
頬にキスしてくるのを、チュっとそのまま受けておく。
ん? あそこにいるのは、いま人気の詩人の方じゃない!
つい先日も作品を読んで、エミリーと一緒に感動したばかりだ。
はしゃいではいけないのは分かっているけど、余りの興奮に身が固くなる。
どうにか話しかけて、一度アカデミーにもお越しいただければ……。
「毎年、ステファーヌ兄さんは、ここで誕生会をしていてね。お気に入りの私邸なんだ」
ふらりと私が動こうとするのを、ノアの腰に回した手が別の方向に誘導する。
「見てごらん。この窓からの景色は素晴らしいでしょう? いつかアデルがここに来た時には、一緒に見たいと思っていたんだ」
「ねぇ、ちょっとノア!」
「なぁに、アデル」
小声で訴える私の手に、ノアはキスをする。
「あそこにいらっしゃる方と、少しお話しがしたいのだけど……」
「僕以外の男に、また気をとられてるの? 君は僕のプロポーズを受けてくれたばかりじゃないか」
「ち、ちがっ!」
「さっきからよそ見ばかりして。僕のこともちゃんと見てくれないと困る」
美しい女性の2人組が近づいてきた。
「まぁ、本当にお二人は仲がよろしいのね」
「僕のアデルです。よろしく」
「初めまして」
今日はあとどれくらい、社交辞令の愛想笑いをすればいいんだろう。
顔がそのままの形で強ばってしまいそうだ。
にこやかに雑談に応じながらも、どうしても視線は人気有名詩人であるジャンを追いかける。
彼をアカデミーに招待すれば、きっとエミリーは驚くわ。
他のみんなも絶対喜ぶのに……。
ご挨拶が終わっても、ノアは私を離そうとしない。
少しでいいから、離れたい。
「ね、今日は公式行事ではないのでしょう?」
「うん。そうだね」
「だったら、いつもの演技は不要じゃない?」
「どうして? 僕はいつだって君とこうしていたいのに」
また髪にキス。
「アデルは本当に、僕に挨拶してくださる方々には、興味ないの?」
「そんなことはないけど……」
みんな名家のお嬢さまばかりだ。
ステファーヌさまのお知り合いとだけあって、少し年上の方が多くて、礼儀作法も完璧で、私なんかイヤミでもなんでもなく、本当に気にかけていない感じで、逆に気後れしてしまう。
てゆうか、現在15歳の私は、多分ここでは最年少だと思う……。
フィルマンさまの姿が見えた。
やはり華やかな女性たちに囲まれている。
彼を中心に、軽やかな笑い声がキラキラとこぼれ落ちる。
「ね、フィルマンさまがいらっしゃるわ。ご挨拶に……」
「兄さんのことは後でいいよ」
そこへ挨拶に向かおうと思っても、やっぱりノアは私の手を取り、指先にキスをする。
彼の手はずっと腰に添えられたままだ。
「ね、ちょっとくらい離れてもいいんじゃない? こんなに、べったりじゃなくちゃダメ?」
「僕は片時も君と離れたくないのに」
「そんなに、私を一人にするのは不安なの?」
「僕は君といたいんだよ」
「ノアの目から見ても、私はここにふさわしくない?」
「そうじゃない。そんなことじゃないんだ」
窓の外には、針葉樹の涼しげな森と山脈が広がる高原の避暑地だ。
落ち着いた内装も、壁にかけられた絵画も、置かれた燭台も、何もかもが趣味のよいものばかりで、上品な音楽と、甘いお菓子とお茶の香りで、会話も弾んでいる。
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