15 いけない関係(マヤ視点)

 アンデッド・ドラゴンからの逃走が成功し、私たちは拠点の村に戻ってきた。避難民の中に急病らしき男性がおり、近くにいた私たちは彼を医務室に送り届けた。治療が済むと眠り始めたので、私たちも割り当てられている家に戻ることになった。


 翌日、私はふと看病した男性がどうなったか気になり、医務室を訪れた。そこには医師だけでなくドリスもいた。


「記憶がない!?」

「そうなんだ……」

 私の言葉に男性が反応した。一緒に馬車に乗って逃げてきた避難民たちも彼のことを知らなかった。どうやらぎりぎりのところで馬車に駆け込んだらしい。


「名前も、分からないの?」

「分からない……」

 男性は不安そうな顔をした。自分が何者なのか分からないし、身寄りがあるのかどうかも不明なのだ。無理もない話だろう。


「このプレートに刻まれているのは、あんたの名前じゃないのかい?」

 医師がプレートを手に持ち、男性に尋ねた。それは男性の所持品らしく、そこにはベルビントという名前が書かれていた。


「どうだろう。僕の名前とは限らないのでは……」

「けれど、名前が無いのも呼ぶ時困るし、今はベルビントで良いんじゃないの?」

「そうかな……?」

「そうよ。そうしなさいよ」

 私はその男性、ベルビントの肩をポンっと叩いた。ベルビントはきょとんとした顔で私を見た。


「君は……」

「私はマヤよ。こっちはドリス」

 ドリスが軽く会釈をした。何故だろうか、少し機嫌が悪い気がする。


「マヤ……、どこかで会ったことはないかい?」

「いいえ、初対面よ」

「そうか……。なら、もしかしたら似てる人と知り合いだったのかもしれないな」

 ベルビントが憂いを帯びた顔をした。その顔が寂しそうで、何とかしてあげたい気持ちが湧いてくる。


「色々と、教えてくれるとありがたい」

「そういうことなら任せておいて。避難民の保護も、うちの家の責務だから」

 ベルビントに私は胸を張って答えた。


 私たちも仕事があるので長居はせず、医務室を後にすることにした。避難民の避難先を振り分けないといけないし、この拠点も放棄するから私たちも撤収準備をしなければならないのだ。


 最後にベルビントを元気付けようと手を振った。ベルビントも返してくれた。


「さ、行こ、ドリス」

「……」

「ドリス?」

「マヤ、あの男にはあんまり入れ込まない方が良いよ」

「え、どういうこと……?」

「同情心につけこんで手を出してくる男もいるんだから気をつけてよ」

「ええー、心配しすぎよ」

 私は笑いながらドリスに返答した。そんなことを心配していたのか。ありえないことだと私は笑い飛ばした。



 避難作戦が数日続いた後、私たちはセンクタウンに戻った。同じ街でも何人かの避難民を受け入れ、ベルビントもその一人となった。


「流石に疲れたわ……」

「お疲れ様、マヤ」

 私の嘆きにウィルが反応した。アカデミーで作戦終了が告げられた後、二人で帰宅中だ。


 ウィルはアカデミーに入ってから成績が振るわず、暗い顔をしていることが多かったが、魔導具使いとして覚醒してからは表情が明るい。今回の避難作戦でも活躍していたし、自信もついたのだと思う。


「ねえウィル……。二人でいるなんて久しぶりよね……」

「そ、そうだね! ……この後、寄っていってもいい?」

「うん!」

 私の心の内を察してくれるのが嬉しい。私はウィルの左腕に抱きかかえた。ウィルが一瞬ぴくっと反応する。こういう可愛いところも大好きだ。私も調子の乗って必要以上にウィルの腕に胸を押し付けてしまう。


 疲れてはいるけれど、久しぶりの二人の時間なのだから、たっぷり使おう。私はそう思った。



    ◇



 避難作戦を終えても、元の日常は戻ってこなかった。死界の侵攻が止まらないのだ。いつもなら急拡大の後はペースが落ちることが多かった。しかし、今回は収まる気配がなく、アカデミーの教師たちも死界討滅軍に合流して対処に当たっている。


 死界に突入して速度アップの原因となっているアンデッドを倒すなど、危険な任務となるから帰ってこれない隊員も出てくる可能性はあるし、アカデミーはどうなってしまうのだろうか。また私たちが投入されることもあるのではないか。生徒たちは自主的に訓練を続けつつ、あちらこちらで噂は絶えなかった。


 私はアカデミーの授業時間が終わると、民間の魔法訓練所に顔を出した。体調の戻ってきたベルビントが魔法の訓練を行っている。ベルビントは身寄りも無かったため、私の家で面倒を見ているからついでに私が様子を見ているのだ。


「あ、マヤ」

「こんにちは、ベルビント」

 ベルビントは私を見かけると、笑顔になって近づいてきた。記憶が無いということは知り合いが一人もいないのと同等だから、気軽に話しかけられる存在というのは大切なのだろう。私がそうなったのはたまたまだろうけれど。


「調子はどう?」

「魔力も全然出ないし、自分が魔道士だったのかどうかさえよく分からないよ」

「でも魔法は使えるもんね。その魔力の乱れが治ったら、どうなるのかしら」


 医師も原因は不明だと言っていたが、ベルビントの体内の魔力はかなり乱れている。初めて会った時に倒れていたのもそれが原因だろう。少しずつ良くなってはいるが、私が見た感じでもまだおかしい状態だとは思う。


「ま、どっちだっていいさ。魔道士だったらそれを活かした仕事をするし、違ったら何か別のことをやるまでだ」

「へぇ。前向きなのね」

「多分、君のおかげだよ」

「え……?」

 ベルビントが真っ直ぐに私を見つめている。何だかその顔がとても綺麗で目を離せない。ベルビントがさらに近づいてくる。


「これでも、記憶がなくて不安でいっぱいだったんだ。君が優しくしてくれたから僕は立ち上がれたんだよ」

「そ、そう……?」

 私のパーソナルスペースに入ってくるわけでもなく、遠すぎるわけでもないその距離でささやかれた言葉が耳に心地良く、頬が熱くなるのを感じた。私は何故か赤面してしまったようだ。


「じ、じゃあ、私もう行くね」

「ああ。また今度ね」

 私は逃げるようにしてその場を立ち去った。



 心臓の鼓動が上がっている? そんなはずはない。私は誤魔化すように早歩きをし、心拍が上がる理由を作った。


 ベルビントの接し方は、危険な気がした。もしかするとベルビントにがあるのだろうか。狙ってやっているのだとしたら大したものだ。けれど、ドリスに警告されたからこんなことを考えてしまうのかもしれない。実際、記憶喪失は大変だろうから。


「……」

 私は立ち止まって天を仰いだ。


 私はウィルが大好きだ。何で彼が良いのか、言語化だってできる。ウィルほど私を見てくれて理解してくれる男なんていない。だから、万が一他の男に言い寄られたって、突っぱねられるはずだ。


 なのに……。


 何故かウィルのことを考えれば考えるほど、ベルビントの穏やかな表情が頭に浮かんできてしまうのだった……。



    ◇



 しばらく経ったある日、事件は起きた。夕方を過ぎて夜になろうとするタイミングだった。


「喧嘩?」

「そうなんです、避難民同士が!」

 アカデミーでの自主訓練の後、部屋でくつろいでいた私の元にフォスター家の兵士が訪れて言った。私は兵士に連れられ、現場に向かう。現場では、既に死界討滅軍の隊員が喧嘩を収めているところだった。その内一人はベルビントで、その相手は三人いた。


 どうやらベルビントの待遇が良いことに腹を立てた避難民が難癖を付けたらしい。ベルビントはフォスター家で預かっているが、他の三人は別の貴族が面倒を見ている。家が違うのだから方針も違うし、待遇に差が出てくるのは当然の話だ。この混乱の世で、いちいち全員が同じ待遇になるように調整する暇などない。


 私は三人の避難民の主張に苛立ちつつも、グッと堪えた。彼らを預かる貴族がやって来て厳重注意が与えられ、その場は解散となった。


「ベルビント、大丈夫?」

「痛たた……。いや、問題ないよ」

 顔に殴られた痕があるから、問題なくなんて無いはずだ。


「……部屋まで送るわ」

「そっか。ありがとう」

 ベルビントは素直に返答してきた。これは彼を預かる貴族としての責務だ。間違ってなどいないはずだ。私はそう心の中で何度も繰り返した。


 ベルビントの部屋に着くと、彼をベッドに座らせて応急処置をした。他にも痣になりそうな箇所があって痛々しい。それが私の同情心を刺激してしまう。


「終わったわ。一応、今後も気をつけてね」

 処置が終わってそう言うと、私は帰ろうとした。


「マヤ、少し話さないか?」

「……」


 帰るべきだと思う。残ったらでは済まないのではないか。いくら私でも、それぐらいは……。


 ふと、ベルビントの顔が視界に入る。揺るぎない表情、殴られた痕があってかわいそうな頬、何故か妖艶に感じられる唇。


「ん……」

 そんな声を発するのが精一杯で、私はベルビントの方に引き寄せられていってしまった。いや、問題なんてないんだ……。話をするだけなのだから!


 ベルビントは本当に自然に、私をベッドに座らせた。女慣れしているということなのだろうか。


「やっぱりマヤは優しいな。助けに来てくれてありがとう」

「……責任があるだけよ」

「いや、きっと僕と君は特別なんだ」


 ベルビントが静かに私の肩を抱く。ウィル以外の男にこんなことをされたら嫌悪感でいっぱいになると思っていたのに、ベルビントの手付きはいやらしさを感じさせない。とても優しくさすってくれる。


「ようやく君と会えた。何も心配しないで」

「……」

 ベルビントはゆっくりと私をベッドに押し倒した。寝かされたことに気づかなかったのではないかと思ってしまうほど自然に。


 静かに抱き締められ、優しく触られる。目がとろとろとしてくるのを感じた。


 ……。


 …………。


 いや、ダメだダメだダメだ。私にはウィルがいる! こんなひとときの感情に流されてはダメだ! まだ間に合う! 押しのけなければ! やめさせなければ!


 私は自分の劣情に耐えるために歯を食いしばり、ベルビントの両肩を掴んで押し返した。


「だ……駄目!」

 目を瞑りながらそう言うと、ベルビントの動きが止まった。そのまま動きを見せなくなり、不思議に思った私は恐る恐る目を開ける。


「あ……」

 私は絶句した。拒絶されたと思ったのか、ベルビントが泣きそうな顔をしている。いつも飄々ひょうひょうとしている彼からは想像できない。拒否すればベルビントが消えてしまいそうで、私はそれが怖くなった。


 そして……、ベルビントの両肩から手を離した。


 肯定と判断したようで、再びベルビントが覆いかぶさってくる。手付きが優しい……。抱き締められる圧力が心地良い……。未だぎこちないウィルと、かなり違う……。


 ベルビントの唇が、私の唇と重なった。


「っ……!?」

 その瞬間、体験したことのない感覚が私を襲った。ベルビントから私の中に何かが入ってきた気がする。その不思議な感覚を味わった時、ついに私の自制心は崩壊した。


 私からもベルビントに抱きつき、求めた。汚い獣のように狂っていく。快楽に心が支配されていく。


 そのまま夜はふけていった。

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