「――やあ待たせたね」

 イスルギは向かいのソファに腰をかけると、「今回の紹介料だ」と茶封筒をガラステーブルに置いた。

「あの……武藤、どうかしたんですか」

「君は知らなくていいことだよ」

 イスルギは一蹴した。――余計なことは知らないほうがいいと自分でも肌で感じる。いつもそうゆう空気をつい敏感に読み取ってしまうのだ。

「間宮、仕事だったんですか?」

 ああ、とイスルギは簡潔に答えた。

 やっぱり。自分を介さずに仕事を受けているのだ。

「間宮は俺が紹介したんすよ? ちゃんとこっち通してくださいよぉ」

 軽い口調で言いながらも、不穏な思いが胸中にわだかまった。あいつ、一体どれだけの仕事をやらされているのだろう。

「心配しなくとも、契約どおり間宮くんの報酬の一割は君への報酬に上乗せしてある。武藤くんの分もね」

「でも間宮の仕事状況こっちも把握させてもらわなきゃ、ちゃんと中抜きさせてもらってんのかわかんないじゃないっすか」

「――彼がどれだけの仕事を請けているのか心配なのかい?」

 三ツ橋は思わず口ごもる。その目をイスルギは覗き込んだ。

「彼らに何があったって、君はただ紹介しただけなんだから。それに、最終的にやるかやらないかの判断は彼ら自身が決めたことだ」

 君が気にすることじゃない――イスルギはそっと言い聞かすように呟いた。

 心を読まれたようで、三ツ橋は動揺する。

「別に不当に搾取しているわけじゃない。こっちは彼らの求めてやまない金銭を支払っているんだから等価交換だよ」

 等価交換――三ツ橋はガラステーブルに置かれたままの茶封筒に視線を落とす。

(……でもこれは、他人に危ない橋を渡らせて得た金だ)

 ――君の知り合いで身寄りのない人間はいないか? 児童養護施設出身の子とか――。

 そうイスルギに聞かれ、なんか不穏ふおんなんすけどと笑って返したが、すぐに間宮のことが脳裏に浮かんだ。新入生歓迎会の時に、参加しなかった間宮について同じ学部の奴が噂していたのを思い出したのだ。

 ――間宮って両親いないらしいよ。大学も奨学金で通ってんだって。

 一度も話したことないうえ、物静かでいかにも人畜無害そうな、しかも孤児だという間宮をイスルギに紹介するのは気が引けたが――紹介料の大きさに僅かな罪悪感は瞬く間に抑え込まれたのだった。

 三ツ橋はこのアルバイトは学生の間で終わりと決めていた。

 ——だが、間宮は?

 イスルギのような男に目をつけられて。逃がしてもらえるのだろうか——。

 その時。深い溜息が耳につき、考えに没頭していた三ツ橋は我に返った。

 見れば、イスルギは眉間を強く抑えてかたく目を瞑っている。

「寝不足ですか?」

「いや、頭痛がするんだ」

 イスルギは憮然として言う。

 常態が不機嫌ゆえ、具合が悪そうなことに全く気付かなかった。なかばざまあみろと思いながらも「えー大丈夫ですかぁ?」と口調だけは心配して言った。

「祟りじゃないすか? 因果な商売してるから」

 なかば皮肉で言った言葉に、イスルギは「まあ祟りだろうな」と当たり前のように返した。

 三ツ橋はぎょっとしたが、ふと自分が幽霊アパートで頭痛に苛まれたことを思い出した。ぞっと悪寒が込み上げる。

「仕事柄気をつけてはいるんだけどなぁ。どうしてもさわりを受けてしまう」

「……そこの薬局でロキソニンでも買ってきますか?」

 不安そうな面持ちの三ツ橋を見返し、イスルギはにやりと笑った。

「三ツ橋くんは優しいなあ。間宮くんはこっちが痛がるそぶりを見せても心底どうでも良さそうだったのに。少しは雇い主を心配してくれてもいいと思わないか?」

 いつまでも慣れない猫のようだなあ——などと呟きながら、イスルギはソファーにもたれて深く息を吐いた。

 三ツ橋は呆れた。あんなにあからさまに嫌われていてどの口が言う。

 そもそもあいつは誰にも関心がないのだ。

「それにしても、間宮くんは君にもあんな調子なんだね。安心したよ」

 唐突に言われ、三ツ橋はむっと眉間に皴を寄せた。

「間宮、俺には優しいっすよ。あの幽霊アパートで看病してもらってますからね」

「あれは病人を憐れんだだけにすぎないだろう」

 頭痛すら心配してもらえなかったくせに——三ツ橋は口をへの字に曲げた。看病してもらったぶん、自分に分がある気がする。そもそも張り合う話でもないのだが。

 それにしても、あの幽霊アパートでの仕事以来、間宮と少しは仲良くなれたような気がするのだが。イスルギの台詞じゃないが、本当に気まぐれにしか懐かない猫のようである。

「霊障にはロキソニンよりこれが効くんだ」

 ふいにイスルギはソファーから立ち上がると、奥のドアに入って行った。すぐに戻ってくると、マグボトルをガラステーブルにとんと置いた。

「なんです? それ」

「生姜湯に塩を混ぜたものだよ。ただものすごく不味まずい」

 そう言いながら眉根を寄せた。そうとうに不味いらしい。

「しかもな、なぜか今回に限ってまったく効かないんだ。頭痛程度のさわりならこれで一発なんだがな」

 こんなにしつこいのは久々だと眉間の皴をさらに深くする。

「頭痛くらいなら我慢するが――さわりの原因がよくわからなくてな。それが気持ち悪いんだよ」

 やっぱりロキソニンでも飲むかなと言いながら、イスルギは再びソファーに掛けた。

 結局、現代医学に頼るのかよ——三ツ橋は呆れた。

「あの、イスルギさん。間宮の今回の仕事、何なんすか?」

 イスルギはくすりと笑うと、気になるのかいと視線を馳せてきた。三ツ橋は「いや、紹介して手前知っときたくて」と慌てて付け加える。

「危険なことじゃないよ。――夢を売ってもらったんだ」

「夢? 寝てる時に見る?」

 三ツ橋はぽかんとする。

「そうだ。一夜一万円で買い取ってる。七日で七万円だよ。いいバイトだろう」

 イスルギはジャケットの内ポケットから測定装置を出して見せた。

「……あいつ、そんなことまでしてるんですか」

「いくら稼いだって足りないくらいだろう。彼には金食い虫の叔父さんがいるからねえ」

 イスルギはゆったりと足を組んだ。

 三ツ橋は目をまたたく。

「叔父さん? あいつ身寄りとかいないんじゃなかったんですか?」

「いないのと同じようなものだよ。間宮くんの叔父さんは重度の精神疾患をわずらっているらしくてな。頼れる身内もおらず、元々家族で住んでいた自宅で間宮くん自身が叔父さんを在宅介護しているそうだ」

 唖然とする三ツ橋を、イスルギは斜に見返した。

「知らなかったのか? 友達なのに」

 三ツ橋はむっとした。友達と言えるほどの間柄じゃないことを知っていて、わざと言っているのだ。

「どうやら高校卒業を機に施設にいた叔父さんを引き取ったらしいんだよ。国から補助が出るとはいえ、介護の費用は諸々かかるものだからな。彼が私のアルバイトを嫌々ながらも請ける理由はそれだろう」

「なんでそんな面倒ごとを……」

「それが不思議でねえ。調べてみたが、叔父さんに遺産があるわけでもなし。しかもそれまでは施設に入っていて何年も会ってなかったようだよ。だから本当に謎なんだ」

 イスルギは顎に手を当てて首を傾げた。

「家族に憧れでもあったのかもしれないな。彼が孤児みなしごになったのは十歳の時だそうだから」

 間宮はそうゆうタイプじゃないと思う。

 イスルギも——まあ間宮くんに限ってそれはないかなぁなどと言っている。

「なんでそんなこと知ってるんですか? まさか調べたんですか?」

「間宮くんだけじゃない。君のことだってちゃーんと身辺調査はしてあるよ」

 当然のように言われ、三ツ橋は言葉を失う。

「そう、本来ならアルバイトは軽い身辺調査程度しかしないんだが。間宮くんに関しては少し気になることがあってね」

「気になること?」

「そう。夏休み前に彼に一つ仕事を頼んだんだが――」

「ちょっと。それ聞いてないっすよ」

 三ツ橋は思わず腰を浮かせた。

「そうだったか? いや、なんてことないただ箱を運ぶだけの簡単な仕事だったからあえて君には声を掛けなかったのかもしれんな」

 イスルギは表情一つ変えずにしれっと言ってのけた。

 油断も隙もない——三ツ橋は警戒の表情を向けた。本当に、自分の知らないところでどれだけの、どんな仕事をやらせているのか。

「今後は些細なことでも君を通すからそんな怖い顔をしないでくれないか。——で、話を戻すが、そのアルバイトの時にだね、彼がどこかからが気になってね……」

 イスルギは表情を厳しくした。

「……間宮、何を持ってきたんですか」

「それがわからないんだ。確認しようにも依頼主はそれを持ったまま失踪してしまったからな」

「は? 失踪?」

 三ツ橋は目を見開く。

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