*


 イスルギからコーヒー代にと預かった一万円でタクシーを飛ばし、再び駅に戻った時には、なんだかんだで一時間近くかかってしまった。

 早川は先に着いていて、すでに測定装置を外して待っていた。

 コンビニのビニール袋、段ボール箱、そして紙袋を抱えてタクシーから降りてきた僕に、早川はびっくりしたようだった。

「待たせてごめん。にするもの、持ってきた」

 僕は紙袋を持ち上げた。

 早川は見るなり、ぞっと顔を強張らせた。

「……それ、何?」

「知らないほうがいいよ。それより早く入れ替えてしまおう」

 早川はかすかに頷いた。うっすらと額に汗が浮いていて、僕は彼が怯えていることに気付いた。

 の禍々しさがわかるのか。その敏感さがイスルギに目をつけられた所以かもしれない。

 僕たちはいったん駅の中に入り、奥まったところにあるコインロッカーの前でバックパックを下ろした。素早くあたりに目を馳せ、人目のないことを確認する。

「この紙袋の扱いは僕がやるから。ぜったい触っちゃ駄目だよ。君はこの段ボール箱に遺品を移して」

 僕はインターネットショップのロゴが刻印された段ボール箱を早川に押し付けた。

 早川は頷くと、バックパックから木箱を取り出した。いましめていた縄をもう一度ほどき、蓋をそっと外す。

 軍帽に日章旗の寄せ書き、千人針、水筒、懐中時計――早川は泣き出しそうな顔で、遺品を丁寧に段ボール箱に移していった。

 それが済むと、僕は早川に少し離れているように言った。

 木箱を覗き込む。四角いがらんとした空洞だった。僕はそこに紙袋を押し込んだ。

 早く閉めてしまわないと。焦りながら蓋を取り、再び木箱に視線を向けた瞬間――呼吸が一瞬とまった。

 木箱に、みっしりと女がつまっていた。

 黒い虚空のような双眼がじっとこっちを見ている。

 冷たい汗がどっと吹き出した。

(……お姉ちゃん)

 はっと喘ぐように息を吐く。過呼吸になりかける予感に焦りながらもふーっと長く息を吐いた。視線をゆっくりと木箱から外し――蓋を閉める。

 コンビニで買ったカップ酒をレジ袋から取り出した。手がおかしいほど震えていたが、なんとかプルトップ蓋を空ける。荒縄にカップ酒をたっぷりと浸し、それで元のように箱をしばった。

 前回のアルバイトで、御神酒おみきを浸したさらしで身を包んだことが頭にあり、真似をしてみたのだった。コンビニのカップ酒というのがいまいち心もとなかったが。何もしないよりはましだろう。

 ひどく酒臭くなった木箱をバックパックに戻した。僕の手も物凄く酒臭くなった。

「間宮くん」

 振り向くと、早川が青ざめた顔で僕を見ていた。

「なあ、その……箱の中に何かいなかった?」

 いない、と打てば響く速さで僕は答えた。早川もそれ以上聞かなかった。

「タクシーの中で調べたんだけど、戦没者の遺品は厚生労働省に届け出ると持ち主を探してくれるみたい。厚生労働省のホームページから問い合わせできるみたいだよ」

 僕が言うと、早川は「俺、やるよ」と言った。

「俺はここで終わりだから、この遺品を持って靖国神社に行く。お参りして、遺品は責任を持って遺族に届ける」

「そうだ、これも一緒に――」

 僕はイスルギからもらった煙草の箱を段ボール箱に入れ、早川と一緒に手を合わせた。



 駅で早川と別れ、僕はバックパックを背負ってアパートへ向かった。

 インターホンを押し、ドアを開ける。

 セミロングの女性――水野は、アパートの上がり框に座ったまま、気が抜けたようにぼうっと壁にもたれていた。

 遅くなってすみません――僕はぺこりと会釈をし、ドアを閉めた。すぐに測定装置を外す。

 水野は僕を見るなり顔を顰めた。

「やっぱりお酒臭いですか?」

「ううん。なんか……」

 そこまで言って、口ごもる。

 嫌なものを感じるのだろう。

 申し訳なかった。こんなものを運ばせるなんて。水野だけでなく、顔も知らない他の運び手に対しても、本当に申し訳ない。

「何か、重くなってない?」

 バックパックを受け取るなり、水野は顔色を変えて僕を見上げた。

 言えば彼女も共犯にしてしまう。僕はしばし逡巡したが、結局口を開いた。

「中身を、入れ替えたんです」

 水野は一度ぽかんと僕を見て――ふっと泣き出しそうな顔をした。安堵した表情だった。彼女も何か感じ取るものがあったのだろう。

「あの、つらい思いもしなくなるし、体の自由もきくようになるんですけど……、今度は箱の内側からばんばんと叩かれたり、ひっかくような音がしたり、気持ち悪いことを呟かれたり、開けろとか言ってくると思います。でも――ぜんぶ無視してください」

 なによそれ——水野は別の意味で泣き出しそうになった。

「一応、悪いものは出てこれないように封じてはあって。見よう見まねなんですけど……」

 僕はしどろもどろに答え、視線を足元に落とした。

 水野は青ざめながら唇を引き結んでいたが、立ち上がった。意を決したようにバックパックを背負う。

 ずしっとした重さに、水野の顔がたちまち強張った。震えをこらえるように歯を食いしばり、すぐに昂然と顔を上げた。

「あんな思いをするよりは、怖いほうがずっとましだわ」

 水野はきっぱりと言ってのけ、じゃあ、と部屋を出て行った。

 気丈な去りぎわだった。僕は彼女に深く頭を下げると、大きく息を吐いて上がり框に座り込んだ。

(……帰ろう)

 重い体を持ち上げるようになんとか立ち上がり、アパートを後にした。

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