「……出仕って、神主さんの見習いみたいなものですよね」

 茜が飯田を上目遣いでじっと見ながら言った。

 飯田は「良く知ってるね」少し驚いたような顔をした。笑うと目尻が下がり、優しげな印象だった。普段ならほっとするところだが、こんな状況では心細くてならない。おっかない佐々木の貫禄がものすごく恋しかった。

 そんな僕らを後目しりめに、飯田は淡々と何やら支度を始めた。手桶の布巾を取って、中に入っていた一升瓶を取り出す。蓋を開け、手桶に丸々一本をそそいだ。

 たちまち強い日本酒のにおいが堂内に立ち込めた。あまりの酒臭さに思わず顔を背けたくなったが、ぐっと堪える。茜も顔を顰めている。

 続いて飯田は反物を床に広げた。真っ白なさらしには墨でなにやら文字らしきものがうねうねと記されていたが、僕にはさっぱり読めなかった。そのさらしを手桶の酒に浸してゆく。墨がまったく滲まないのが不思議だった。

「じゃあ、今からこれを君たちの体に巻いていくから。動かないでくださいね」

 ——巻く?

 僕は驚いて飯田を見た。

 飯田は酒浸さけびたしのさらしを軽く絞った。それを持って僕の前に膝をつくと、肩のほうからゆるく巻いていった。

 服が濡れ、ものすごく不快だった。ただでさえ廃墟で汗と埃に塗れているのに。

 そしてもの凄く酒臭い。飲んでもないのに酔いそうだった。

「顔や脚、ちゃんと包んでないけど大丈夫なんですか?」

 茜が生真面目な顔で問うた。

 耳なし芳一ですか、と飯田は笑う。

 何のことかと見返した僕に、茜は「写経し忘れた耳を、怨霊に引き千切られて持ち去られたのよ」と言った。僕は顔を強張らせる。

「お話では悪しきものから芳一を隠すために使われましたが、今回は邪気払いやお清めの意味で使っていますから」

 身体の一部があらわになっていても大丈夫、と飯田は穏やかな口調で言った。

「それと、芳一が全身に記したものは、お寺さんだからお経ですね。これは祝詞のりとと言われるものです。本当は口で唱えてほしいのですがさすがに一晩中はつらいでしょうし、間違えると命取りですからこのようなかたちを取らせていただきました」

 命取り——さりげに物騒な言葉が出てきて、僕はひやりとした。

「と言ってもこれは気休めにすぎません。強い心でいることが一番大切です。己を保ち、つけ込まれないよう」

 強い心でいるとは具体的にどうすればいいのだろう。その強い心がどういうものかすらよくわかっていないのに。

 僕の不安をよそに、飯田は続けた。

「それと、大事なことですが、芳一と同じく喋っては駄目ですよ。眠ってもいけません。なか侵入はいられますからね」

 その時、戸口から佐々木が現れた。上がり込むやいなや、手にしていたバケツを僕らの前にどんと置く。

 問うように見上げた僕たちに「排泄はここで」と言った。

「そろそろ日が暮れるが、灯りはつけられない。飯もな、腹が減るだろうが我慢してもらう。眠くなるからな」

 佐々木はそう言うと、僕たちの前に膝をついた。

「頑張るんだぞ。お友達もきっと頑張ってる」

 はい、と茜がきっぱりと答えた。眼鏡の奥の目が底光りしている。今の一瞬、茜が瑠菜のことを想ったのがわかった。強い心とはまさに彼女のことをいうのではないだろうか。

 一方、僕は——俯いた。ものすごく不安だった。

「夜が明けるまでここには誰も来ない。だから何が来ても、朝になるまで絶対に戸を開けちゃならない。わかったな?」

 佐々木そう言い残すと、飯田と共にお堂を出て行った。


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