第5話 芽

 時刻にして午前2時を少し回ったところ。

 暗闇を駆け抜ける影があった。


(やはり今回の会合は変だねェ。あの場では流してやったが茂の婆サマが、とりわけ執着の強いことで有名な婆サマが、寿命が来たくらいでここを手放すワケがないんだわ。初めの挨拶以降一度も姿を見せていないのも気にかかる。何よりそんなタイミングで上への報告も無しに新顔を呼ぶなんて……もしやと思うが)


 影の正体は昼間、広間で修二に話しかけていた男だった。


「……っ!」


 最上階は支配人室のあるフロアに踏み込んだ瞬間、ただならぬ気配を察知して足を止めた。


(この俺が、踏み込むまで気配も悟らせないなんてことがあるのかよ……!)


 空気が重い。

 もはや逃走の考えなど浮かばぬほどに、重い。

 逃げようと一瞬でも気を逸らした瞬間が自分の最期となるだろう。

 恐る恐る口を開く。


「何モンだ。テメぇ」

「……」


 気配の主は答えない。

 緊張が走る。


「人間か?」

「…………失礼な。第一こんな時間に、あなたが誰ですか」


 女の声だ。

 待てよ。この声聞き覚えがある。


「あァ思い出した。あの新顔の傍についてた女だな?良いところで邪魔に入られた覚えがあるぞ」

「妙な言いがかりは止してください。あなたの間が悪いだけでは?」

「減らず口を。やはり茂の婆サマ……いやその偽物の差し金か?」

「知っても仕方のないことです。というか、私はあの人の事情の深くを知りません。名前はもちろん、顔さえはっきりと見せられたことなど無いのですから」


 男は小さく舌打ちをしてぼやく。


「徹底していてヤダねェ。何の情報も落としゃしねェ」


 やり合えば勝ち目はない。

 それが分かっているからこそ少しでも敵の情報を残さねばならない。

 一度脳に刻んでしまえば後から読んでくれるヤツはいる。

 組織・・はそういう行為に長けた能力・・持ちを何人も抱えている。

 ……と思っていだが、このままでは死に損だ。


「問答は無用です──死になさい」


 無機質な声音でそう言い放つと迷いなく刃を首めがけて突き立てた。


「……む。これは」


 一撃で仕留めるべき放たれたそれは、しかし、敵を穿つこと叶わなかった。

 それどころか、先手を取っていた草鹿の方が傷を負っていた。


 だからと言って彼女は冷静さを失わない。驚かない。

 素早く後退し自身の右手に握られたナイフをちらりと見る。


 真ん中から上が見当たらない。

 刃が大きく欠け、破片で頬を切ったらしい。


「疾い……わけではない。あの感触」


 自分の速度に反応されたわけではない。

 が、首に切っ先が触れた瞬間のキィーンという音と、硬いものにぶつけたような衝撃。


「なるほど。あなたがターゲットナンバー3、守山鉄司もりやまてつし。能力は皮膚の硬化と、あとは確か……後天的な隠形、でしたか。刃が折れたのも納得です」

「フーン、詳しく聞かせてよ。バレてんだ、こっちの情報。ハハ、いよいよタダで帰るわけにはいかなくなった。……それにしてもスゴイねェ。ボクの気配、そんなに漏れてた?」

「……」

「つれない女だ。でもまぁ、いくら速くったってキミの攻撃が通らないのは分かったワケだしぃ?こっちからも行かせていただくとするかねェっ!」


 自力ではまず勝ち目はない。しかし、だからと言って負けないとは言っていない。

 鉄司はアイスピックのような武器を取り出し、襲い掛かった。

 刃の通らない相手ならば苦戦を強いられる。どさくさに紛れて逃亡を図ることも不可能ではない……かのように思われた。


「──馬鹿にするな」

「な……なぁッ!」


 次の瞬間、一度は弾かれた刃が鉄司の首に突き刺さった。


「は……血ィ!?ぬ、何故だァ!!!!お前のそれは、通らない…通らないハズだろうがぁぁぁ!!!!」


 血を吐きながらも、憤怒をあらわに彼は叫んだ。


「能力持ち相手に何の用意もしていない、とでも?」

「くっ……!ふふふふ…ひゃひゃひゃっ!」


 悔し気な声を上げたかと思えば、今度は何か合点がいったらしく高笑いし始めた。

 狂ったか。

 普段感情を表に出さないようにしている草鹿もこれには眉をひそめた。


「そうかオマエ、お前の能力、貫通系の何かだな??クぁ~カカッ!暗殺者としてしか生きられない能力を持って生まれてきたオマエを、どっからか拾ってきて育てでもしたってところか?あのニセモノの野郎がなぁ!あァァァ、哀れ哀れ。それに…ブハハ!女のオマエが貫──」

「──よく喋る口」


 言い切るより先に首を刎ねた。


「とことん失礼なやつ」


 不気味に笑ったまま絶命した男に軽蔑の視線を向け、そう吐き捨てた。


 ──────


 死体の処理を終え、ふぅと一息ついて両の掌を眺める。

 血まみれだ。

 人を殺めることに、今更何も思いやしない。

 そのはずなのに、今日は気分が晴れない。

 ひとり前の人間を殺した時も、その前も、前も、前も、前も前も前も前も前も……そうだ、思えば最初のその人を手にかけたときでさえ、自分にはその善悪をおもう感情は存在していなかった。

 ならば何が問題なのだろうか?

 殺しのために育てられて、殺して生きてきた。

 淡々と求められるままに。

 当たり前のことではないか?

 何を思うなんて──。


(あれ……?)


 そこにあるのが当然の事象に過ぎなかった殺しに何を思うとか、思わないとか、思考を巡らせている時点で自分は変になってしまったのではないか。

 急に降ってきた不安。

 膨らみ続ける困惑。

 どうしてこんなことを考えるようになってしまったのか。

 分からない。

 何も。


「……っ。気持ち悪い」


 逃げるようにその場を後にした

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