紫草の宴
@tanakami_ben
第1話 紫草の館
虫の知らせという言葉がある。
よくないことが起こる予感、つまり『勘』だ。ただ自分にはそれが、人より少しだけ精度よく感じられる。
「今日はカラスに糞を落とされそうな気がするな」とか「こっちのルートで行くと生徒指導の勝山と鉢合わせしそうだな」とかそういうのだ。
ただまあ残念なことに自分自身、感じた予感を確かめずにはいられないタチをしているせいで大抵は避けられない。いかんせん自分の身で確かめる羽目になるため、これを良いと捉えるか悪いと見るかは微妙なところだが命中率にして九割九分当たる。
と、そんなわけで今日も懲りずにこんな山奥まで来てしまった。
「だぁもう、暑いなぁ!」
それもそのはず。現在夏真っ盛りの8月。それなりに標高があるため多少マシとはいえ暑いものは暑いのだ。分かりきっていたことだがやはり耐え難いものがある。
「だいたい駐車場からが長いんだ。駐車場から徒歩40分って」
そんな悪態をつきながらどこへ向かっているのかと言えば、まったく身に覚えのない、懸賞で当たったという温泉旅行の旅館だ。一か月ほど前に差出人不明で招待状が送られてきて、冒頭の虫の知らせを感じてノコノコとやってきたわけだ。
とは言え今回ばかりは躊躇った。
手紙を手に取った瞬間の悪寒、あれ以上のものをこれから先の人生で経験することは無いだろう。
生物としての本能が警鐘を鳴らす、とは正にこのことかと実感させられた。
初めての感覚だった。
紙切れ一枚から死を連想するなんて思っても見なかった。
正直言って今だってにわかには信じ難い。
向かっている旅館だって調べた感じごく普通のそれだった。
「だからこそ確かめたくなっちゃうってもんです」
初めこそ気圧されたが今の自分にそんなものは露ほどもない。
命が惜しくないとも違う。
背筋に電撃の走るようなゾクリとした感覚の正体をこの身に受けたい。
目の前の『危』への興奮が止まらないのだ。
招待券を取り出し眺める。
「旅館、紫草で……合ってるよな」
老舗旅館と銘打つだけあって中々の風格だ。恐らくだがこんな機会でもなければ一生縁のない場所だったのではなかろうか。
思わず元々の目的を忘れそうになってしまう。
「……羽場様、でよろしかったでしょうか。お客様?」
「!?」
そんな気の緩みを咎めるが如く、横から不意に声をかけられた。
気が付かなかったことへの驚きと、ごく単純に突然の声かけに一歩後ずさる。
「草鹿です。まずは大広間までご案内し、その後お部屋へ案内致しますので、ご承知おきください。それではこちらへどうぞ」
驚くこちらの都合などお構いなしに草鹿と名乗る女そうは続け、これまたお構いなしに振り返ると足早に館内へと向かっていった。
ハッとして小走りで後を追う。置いていかれてはかなわない。
……置いて行かれないよな?などと思いつつ、彼女ならば、やりかねない。そんな気がした。
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