転移先の田舎で騒音問題に直面したので村長を殺します【短編:1話完結】

佐々木裕平

転移先の田舎で騒音問題に直面したので村長を殺します【短編:1話完結】

・頭の中の選択肢は一つだけ


 異世界に来て二年、田舎に移住して、一年が経った。

 俺はただのどかで豊かな田舎生活を送りたかっただけなのに。

 今の俺はこの村で人を殺害しようとしている。


 俺はいま、家の中にある凶器に使えそうなものをかき集めていた。

「包丁は、そのまま使えるな。これが一番無難かもしれない」

 台所から包丁を持ってきて、机の上に並べる。

 菜切り包丁に、果物ナイフ。

 こんなもので人を指すなんて、どうかしている……。冷静な時の俺なら、間違いなくそう思っただろう。でも、今の俺の頭の中は、もやもやとした霧がかかったような状態なのだ。

「計画はどうしようかな」

 ぼんやりとした頭だが、妙に計画的な部分もある。不思議だ。

 昼間にいきなりターゲットの家に侵入すると、相手も元気に応戦してくるかもしれない。

 それ以前に、昼間だと留守にしているかもしれない。

 確実に家にいる時間……、かつ相手に気がつかれずに、一方的に犯行を完了するには……。

「うん、夜中だな。深夜の二時くらいがいいだろう。でも、包丁だけだと、しとめそこなうかもしれないな」

 俺が家の中をウロウロとしながら考えていると、ふと灯油のタンクが目にとまった。

 暖房用に購入しておいたものだ。

「そっか、これを玄関に撒いて、火をつければ、逃げ道も防げるし、煙で人を殺すこともできるかもしれない。そうしよう」

 俺はこの計画が失敗するとかは考えていない。

 ただ、実行したいのだ。にくい相手を殺したいのだ。

 

 三日後の夜に決行する。殺害計画はこうだ。

 深夜二時に村長の家に侵入する。で、玄関に灯油をまいて、火を放つ。その後、村長の部屋へ行き、村長を殺す。


 見てろ、見てろ、必ず殺してやる!

 必ずだ!

 俺の頭の中には、もうまともな思考回路は残っておらず、ただ、そうするしか道がないという思いしかなかった。 


 殺害準備の整った俺は、布団の中に入り、静かに目を閉じた。

 ……どうしてこうなったんだっけ。


・転移


「あーあ、田舎でのんびり暮らしたいなあ」

 俺の名は大河原正一。26歳。趣味は小説を読むこと。

 二年前、俺は元居た世界で会社員をしていた。

 仕事は営業だ。営業というのは、いろんな取引先や、まだ取引先じゃないところへ行って、自社の商品を取り扱ってもらえないかどうか、話し合う仕事だ。

 ……この営業なる仕事が俺にはちっとも向いていなかった。

 だいたい、相手が欲しいかどうかも分からない商品を、おススメしに行くなんて、効率が悪すぎる!

 多くの場合は、門前払いされる。

 すでに取引実績がある相手だって、いつも新商品が欲しいわけじゃない。

 ものすごく頑張って、月に数件、新しい契約が取れるか、取れないか、という世界だ。

 心にかかるストレスがスゴイのだ。

 

 俺は外回りの車に乗る度に、田舎で暮らしたいと思うようになっていた。

 そんなある日、朝、自分の部屋で起きた時、俺の口が勝手に、こうつぶやいたんだ。

「もう辞めよう」

 不思議な言葉だった。今思えば、うつ病ってやつだったのかもしれない。

 俺はカバンの中に、お気に入りのベストセラー小説を詰め込み、いつもの電車とは反対方向の電車に乗って、そのままぼーっと乗り続けた。

 そして、気がつくとずいぶんと田舎の駅に降り立っていた。


「田舎だ……。スローライフだ……」

 俺は走り出していた。

 空が青い。空が高い。空が広い。山が緑でいっぱいだ。地面が土だ。

 なんてすばらしいのだ。

 こんななんてことのない風景が、なんて、なんて、本当になんて綺麗なんだ。

 自分の頭の中が急速に回復していくのが分かる。

 こんななんて事のない風景が、日常が、人には必要なのだ!


「もう、あそこには戻らないぞ!」

 俺は大きな声で宣言した。


 しばらくあてもなく歩いていた。

 俺はふと里山の小道に気がついた。

 道の両脇には草木が生い茂っているものの、その小道は人が通る空間がしっかりと確保されているように思えた。

 俺は吸い込まれるようにその小道へと足を進める。

 どのくらい歩いたのだろうか。

 気がつくと、見知らぬ街へと出ていた。


「……どこだ、ここは?」


 そこは異世界だった。


・異世界で本を書いてベストセラー作家になった


 いつの間にか異世界に来ていた。

転移していたのだ。

 その世界は、街は、俺が元いた世界によく似ていた。

 時折、元の世界なんじゃないか? と思うことがある。

 だって、住んでいる人間たちの風貌は前の世界となんら変わりがない。


だが細かく見ると、家のつくりや、服装など、いろいろと違う点もあった。やっぱり異世界だ。

俺が途方に暮れていると、そこの世界の役所の人たちが、あれこれと世話を焼いてくれた。

 それから俺は役所の人たちの助けを借り、普通のアパートに住むことになった。 

 この世界の俺は無職だ。もちろん金だってない。

 しかし異世界とはいえ、お金は必要だった。

 ほぼうつ病状態の俺は、外で元気に働くということができない気がした。

 俺の貧弱な体では、ついていけない気がしたのだ。


そこで俺は、カバンの中に入っていた元居た世界のベストセラー小説を、原稿用紙に書きうつし、それを片っ端から、その世界の出版社に送ったんだ。

 ああ、わかっている。それはやっちゃあいけないことだ。

 盗用だ。著作権の侵害だ。

 ……でもここは異世界なんだ。誰にも盗用なんてバレやしない。


 誰もそのオリジナルの作品なんて知りやしない。

 何作送ったのだろうか。一年後、俺は普通に暮らしていれば、一生お金に困らないほどの大金を手にしていた。


 それから俺は、異世界の田舎の古民家を買い取り、引越しをしたんだ。

 念願の異世界暮らしの始まりだ。


・異世界の田舎に引越しした

 

 俺が引っ越したのは、ザ・田舎という雰囲気の村だった。

 村の名はトモ村といった。

 俺の古民家はトモ村の高台にある家だった。家は古いが、庭も広く、畑もできそうだった。裏にはやはり古いが家が一軒建っている。


「あんた、物書きか? いわゆるホワイトカラーか?」

 それが俺とその田舎村の村長との初めての会話だった。村長は肉体労働で日焼けしたであろう浅黒い肌をしていた。この世界でも、事務職などのいわゆる「机で仕事をする人」は白い服を着ていたので、ホワイトカラーと呼ばれているようだった。

 村長は、なんとなくとげのある言い方をしていた。そこに少しだけ違和感を得た。

「あっ、はい。そうです」

 ウソではないので、俺はそう答えた。

「ふん。そうか」

 村長との会話はそれだけだった。

 引っ越してきたよそ者がどんな奴か、確認したかったのだろうか。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい!


 こうして俺の念願の異世界スローライフが始まったのだ!


 田舎暮らしの良いところはざっくり次のようなものだ。

・畑ができる

・自給自足っぽい生活ができる

・家が広い

・庭も広い

・なんだか時間の流れがゆっくりだ

・一人暮らしなので気ままに暮らせる


 もちろん困ることもある。

・一人暮らしだから、何かと大変だ

・家がぼろいので、リフォームをしながら生活をしないといけない


 でも、田舎暮らしなら、困ることも次第に楽しめるようになっていった。

 都会では何かと効率よく行わないと、困ることが多い。

 だが田舎ではそんなことはない。手間がかかるときは確かにある。

 でも、それが楽しいのだ。それに気がつくことができた。

 

・繊細な自分と田舎の現実


 頭が痛い……。

 トモ村に移住をしてきて、半年が経とうとしていた。

 俺はすっかりうつ病だか、ノイローゼだかになっていた。

 ノイローゼというのは、神経機能の障害だ。精神がすり減り、心が病んでいくのだ。

 俺の言葉で言うと、「俺の頭がおかしくなってしまう」のだ。


 なぜか?

 最大の理由は近所のこども達の「声」だ。

 田舎のこども達は元気だ。そして声がでかい。

 それはいいのだ。

 こどもなのだから当然だ。


 だが、それが一日中、朝から晩まで続いたら、ノイローゼになってしまう。

 まず裏の家のこどもたちの声が朝から晩までする。

 お互いの家が古いので、声が筒抜けになるのだ。

 そして、裏の家はこどもが十人近くいる。多すぎだろ! と内心思う。

 まあ、それはその家の事情があるのだから、俺がとやかく言うことじゃない。


 さらに、裏の家のこども達だけでなく、なぜか村中のこども達が俺の家の隣の空き地で日中遊んでいるのだ。

 なぜ、そこなんだ。田舎なんだから、いくらでも土地はあるだろう。

 まあ、たぶん裏の家のこどもが多いから、そこに集いやすいのだろう。


 でも、朝から晩までうるさいと、騒音でノイローゼになってしまうのだ。


 もちろん、自分自身側の問題もあると思う。

 だれでもこの条件下でノイローゼになるわけではないだろう。そうじゃなければ、保育園や幼稚園の先生はみんなノイローゼになってしまうだろう。

 俺が……繊細なのだろう。

 思い返せば昔からそうだった。音や光などに対して敏感なのだ。

 でも、こんなに長時間、音にさらされたことがなかった。まさか自分がここまで音に対して苦しめられるとは思わなかった。

 脳が悲鳴を上げていた。

 

 このままではダメだ。

俺は村唯一の雑貨屋的なところで、材料を買い込んだ。

何の材料か? それは音を遮るための材料だ。

古民家を改造し、防音性を高めるのだ。


自分なりに調べたところ、どうやら音を遮るには、かなり重たい建材で、完全にふさぐ必要があるようだ。隙間が少しでも空いていたらいけないらしい。

それから俺は、毎日、古民家の改造にいそしんだ。

窓に壁をこしらえて、窓をふさいだ。

木材で枠を作り、そこにできるだけ重たい木の板や、古いマットを詰めて、再び木の板でふさいだ。

作業には一カ月がかかった。


……でも、ダメだった。

こどもたちの元気な声は聞こえてくる。

なぜか?

窓だ。窓がまだあるからだ。

昔の古民家なので、いたるところに隙間があり、窓がある。

まずい。どんどんノイローゼがひどくなる。


もうずっと、隣の家から子供たちの騒ぎ声が聞こえるんだ。


朝、こども達のやかましい声で目が覚める。

心拍が早くなる。頭痛がする。いや、正確には、前の晩からずっと心拍数が高いのだ。頭痛も慢性的に続いている。

最近では、こども達の姿が見えるだけでも、パニックになりそうになる。


ダメだ。更なる対策が必要だ。

雑貨店で耳栓を買った。

装着した。……まだ聞こえる。

ダメだ。ダメだ。頭が割れる。

もうダメだ。

 

こうなったら仕方がない。

隣の家に直接、静かにしてもらうように言うしかない。

だが、ほとんど面識がないのに、どういったらいいのだろうか。

そもそもこどもが声を出すのは当然の権利だ。それを遮るのはいかがなものか。

ああ、悩む……。

どのくらい悩んだのだろうか。数日なのだろうか。それとも数週間? 分からない。でも、もう限界だ。隣の家に直接お願いに行くしかない。

ノイローゼの俺は、初めて隣の家の玄関前に立った。

そして何も考えずにチャイムを押した。

ほどなくして、家の人が出てきた。と思ったら、5歳くらいの女の子だった。どうしよう。なんて言えばいいのだろう。

「お、おうちの人いる?」

「いるー」

 そういうと、女の子は家の中に駆けていき、しばらくすると、奥さんらしき人が出てきた。

「こどもがうるさいです。静かにしてください」

 奥さんの眼は丸くなっていた。驚いた様子だった。それはそうだろう。いきなり隣の家の男が乗り込んで来たのだから。でも、俺にももう余裕はないのだ。

 俺はそれだけ言って、そのまま帰った。

 やっと伝えられた。

 安堵感が俺を包む。

 その日、その夜は心なしか、静かだった。


 だが、それは長くは続かなかった。

 あっという間にいつものにぎやかさに戻った。

数日が経った。俺は我慢していた。

ありとあらゆる問いかけを自分に行った。

でも、もう俺の頭では答えは出なかった。


次の日、相変わらず隣の空き地がうるさい。

プチリ、と自分の中の何かが切れた気がした。

ついに我慢の限界を超えてしまったのかもしれない。

俺は突発的にふさぎきれていない窓を開け、にぎやかに遊ぶ十数人のこども達に向かって、大声で「うるさい! 静かにしろ!」と叫んだ。そして窓を閉めた。こんな大声を他人に向かって出したのは人生で初めてだと思う。

その瞬間から、静かになった。

伝えられた! よかった! 

こんなに簡単なことだったのだ。もっと早く伝えればよかったのだ。

俺は再び安堵した。


・食い違う言い分


その夜、我が家の電話が鳴った。受話器を取り上げる。電話の相手は村長だった。

会話をするのは、移住して以来だ。

「ああ、こんばんは。どうしました?」

 俺はにこやかに問いかけた。

「あんた、こどもを脅すとは、どういうわけや!」

 頭が真っ白になった。脅した? 誰が? 俺が? 違う! 違う! 俺は被害者だ。しいたげられ続けて、我慢し続けて、今日、やっと一声を放ったところなんだ。

 俺の一声が脅しなのだとしたら、こども達はこれまでに何万語、何千万語で俺を脅し続けたというのだろう。

 そう言いたかった。でも、言葉がまとまらない。

「違いますよ。脅してなんていませんよ!」

 出てきた言葉は言葉足らずだった。おまけに語気が強い。

 そこからは記憶が曖昧だ。

 あれこれと俺なりに釈明をしたが、完全にこちらが悪者、という雰囲気だった。

 気がつくと村長が叫んでいた。

「いまから殴りに行っちゃる。ええか、そこを動くなよ!」

 俺もすっかりヒートアップしていた。

「おう! こいや! 待っとるわ!」

 ついつい強気で返してしまった。

 そして電話が切れた。


 ……困った。どうしよう。

 電話を切って冷静になった。もうすぐ村長が殴りこんでくる。本当にケンカになるのだろうか。そもそも、俺の人生で殴り合いのケンカなんてしたことない。


 数分後、村長が本当に家にやってきた。

 

 だが、意外にもお互いに冷静になっていた。

 理由はいくつか考えられる。

 電話でお互いに言いたいことをある程度、言い合った。

 電話を切ってから、時間が空いたことで冷静になった。

 それにもしかしたら、村長の家族が村長をなだめたのかもしれない。


 何を話したのかは思い出せないが、俺は村長そのまま玄関先で、短い時間だったが話し合った。村長が、少しだけ俺の状況を理解してくれたような気がした。

 そしてそのまま村長は帰っていった。

 

 疲れた。もう、寝よう。


・届かない願い


 村長との話合い後も、騒音問題は続いていた。

 食事ものどを通らなくなっていった。

 洗面所の鏡で出会う自分の顔は、いつもげっそりしていて、覇気がない。

「このままではダメだ。……そうだ。誰かに相談しよう」

 俺はこの世界に最初に来た時に、いろいろと面倒を見てくれた役所へ相談しに行くことにした。


 出かけるためにズボンを着替え、ベルトを通す。

 ……なんということなのだろう。ズボンがブカブカだ。

 ベルトの穴は5つあった。いつもは真ん中の3つ目の穴を使用していた。

 それが今や最小の5つ目の穴を使っている。それなのに、ズボンがブカブカなのだ。

 あまりのストレスで激やせしてしまったようだ。

 このままでは、死んでしまう気がする。 


 フラフラになりつつも、俺は役所に行った。

 そして相談員さんに、これまでのすべてのことを相談した。相談員さんは「うんうん」と相槌を打ちながらすべてを聞いてくれた。

「それはつらかったですね」

 このセリフを何度も言われた。少し気持ちは楽になった。


 ……でも、それだけだった。

 何か解決できる力は持ち合わせていなかった。

 相談を終えて、帰り際、相談員さんは俺の顔を心配そうにのぞき込んだ。

「……大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

 なぜか大丈夫だと答えてしまった。この人では、話にならない。誰にも頼れない、という心がそういわせたのかもしれない。

 本心は大丈夫ではなかった。

 相談員さんは最後まで、本当に心配そうな顔をしてくれていた。たぶん、俺は今にも死にそうな顔をしていたのだろう。


 俺は役所を後にして、歩きながら考えていた。


騒音で人はこんなことになるのか。

騒音は人を殺す。

騒音は悪意のない暴力だ。

普通の暴力なら、相手にも良心の呵責などが生じるだろう。だが、騒音には悪意がない。多くの場合、ただ普通に生活をしているだけなのだ。

それでじわじわと他人の心をむしばんでいく。まったく悪意のない、暴力なのだ。


村の集会がある、という回覧板が回ってきたのはそれから数日後だった。

「これは騒音問題を広く訴えるチャンスかもしれない」

 そう思った。

 多くの村人に俺の状況を丁寧に説明すれば、解決の糸口がつかめるかもしれない。


 集会当日、村の集会所には多くの村人たちが集まっていた。

村の雑草狩りの日程などの決議が終わった後、俺は意を決して、言葉を発した。


「あの、先日はこどもたちに大きな声を出してしまって、申し訳ありませんでした」

 多くの村民がキョトンとしていた。

「なんのこと?」

 そんな表情だった。多くの村民は俺のことも知らない様子だった。

俺は言葉をつづけた。

「こどもたちの騒音で困っています。お願いなのですが、うちの近所でこども達を遊ばせないでもらってもいいでしょうか」

俺の言葉は、恐怖か緊張によるものか、よくわからないが震えていた。

「そんなことがあったのか」

 みんながヒソヒソと話をしている。大多数は、やはり知らないようだった。

「そりゃ、なんとかならんのんか?」

 誰かが口を開いた。

「誰んところのこどもや?」

 ああ、俺の話を聞いてくれる人がいるんだ。もしかしたら、味方ができるかもしれない。

「こどもだからしょうがないだろう!」

 村長が強い口調でそう言った。

「お前は、こどもたちに遊ぶな、言うんか? そんなの無理だろ! あそこの広場が一番遊びやすいんじゃ!」

 途端に村人たちの声がしなくなった。

 村長のその二言で、一気に俺の旗色は悪くなった。

 集会所は静かになった。

「……こどもをしつけるのも、親の責任じゃないですかね」

 村人の中で、勇気がある人、あるいは良識がある人が、そう言った。

 こっちの言い分をわかってくれる人もいるみたいだった。

 その後も、俺は訴えたが、結局、こどもの遊び場はあそこしかない、という理不尽な理由で、俺の訴えはかき消されてしまった。



 願いは結局届かなかった。受け入れられなかった。


 その夜、俺は村長を殺す計画を立てた。

 理由はよくわからない。だが、村長をこのままにしておいては、俺の日常は取り戻せない気がした。

 頭が重い。頭が痛い。

 どうしてこんなことになったんだ。憎い。村長が憎い……。

  

・殺害実行二日前


 俺は前日に凶器として使えそうな包丁や灯油を用意した。

 うつろな頭で考えた計画も立てた。

 あと二日だ。二日後の深夜に、計画を実行するのだ。

 村長が抵抗して来た時に備えて、盾などもあった方がいいだろうか。包丁を奪われて、逆に刺されそうになった時に備えて、服の下に何か厚紙などを仕込んでおいた方がいいだろうか。

 決行の日まで、準備を入念に進めよう。

 それまで、普通に生活をしよう。違和感を村人たちに気づかれてはいけない。


 ところで、このトモ村には、いろいろと細かい仕事がある。その中の一つが村会費を集める仕事がある。月ごとに、村会費を集める係は替わるのだ。

今月、俺は村の村会費を集める係だった。

 

 家々を回り、ほんの少額だがお金を集めていく。

「こんなもの、毎月集めずに、年に一回まとめて集めればいいではないか」

 俺はブツブツと愚痴を言いながら家を回っていく。

 ほとんどの家の人は、機械的にお金だけ手渡して、扉を閉める。俺のような者とは会話もしたくないのかもしれない。


 時間帯が悪かったのか、村長の家を含め、多くの家が留守だった。留守の家には、また日を改めてうかがわないといけない。

 ……とはいえ、その日が来るかどうかは分からないが。

「あの家で最後か」

 集金の最後の家の前に来た。

 留守かもしれない、そう思いながらも、玄関をノックして、声をかける。

「村会費の集金でーす。ごめんくださーい」


 しばらくすると、誰かが玄関をガチャガチャと開ける。

 出てきたのは、よぼよぼのいかにもおばあさん、という人だった。

 俺は小銭を受け取り、会釈をし、そのまま立ち去ろうとした。


 その時だった。

 俺の手がふわりと暖かいぬくもりに包まれる。

 見ると、おばあさんが俺の片手を両手でしっかりと握っている。

 え? なにごと?

「がんばりなさいよ。あきらめたらダメよ。応援している人もいるのよ」

 不意打ちだった。

 おばあさんは俺の瞳を覗き込んで来た。心の底から心配してくれている気がした。

 俺の心の中の固く凝り固まっていたものが、少し、だが確実に溶け始めた気がする。 

 涙が出そうになる。

「あ、ありがとうございます……」

 それしか言えなかった。

 俺は何度も会釈をしながら、その場を離れた。


 しばらく歩き、家に着いた。

部屋の中で寝転び、おばあさんの手のぬくもりを思い出していた。

俺の心の中が急速に、変化していくのが分かる。

「殺害計画なんて、バカバカしい。あんな村長など放っておけばいいではないか」

 とたんに心の中がクリアになったのが分かる。

「そうだ、あんな村長でも人を殺したら、この異世界でだって罪だ。重罪だ。一生を棒に振ってしまう」

 俺はなんて割に合わないことを考えていたのだろう。不思議と思い詰めていた時には気がつかないものだ。なんて俺はバカだったのだ。

「こんなところでくすぶっていてたまるものか」

 生き方なんて、他にたくさんある。この村以外に住む場所もたくさんあるだろう。

「そうだ。引っ越しをしよう。せっかく買った家を手放すのは惜しい。でも、どこでだって生きていけるんだ、俺は」

 手塩にかけて住みやすくしてきた古民家を手放すのは、確かに惜しい。愛着と思い出がたくさんある。

 畑もまだまだ収穫途中だ。これから続々とおいしい野菜が収穫できる。

 いろいろと悔いは残る。でも、人生と引き換えにするほどのものではない。


「明日の夜、夜逃げをしよう」

 借金などない。自分の持ち家だ。

 でも気分は夜逃げだ。この村から出て行くのだ。

 逃げるのだ。この地獄から。

 そして、新天地へと行くのだ。


 そうと決まれば、準備をしなければ。

 俺は当面の生活に必要なものを次々とかき集める。

「布団は……、引越し先で買えばいいか。当面は旅の宿暮らしだな」

 リュックサックに入れられるだけの身の回りの物を入れていく。

 ふと、ふたたびあのおばあさんの手のぬくもりを思い出した。

「もしかすると、あのおばあさんは天使か何かだったのかもしれない。

 いや、神様だったのかもしれない。

 よくある話だと、人生を変えるのは美少女だったり、若い女神だったりする。

 でも現実はそうじゃないのかもしれない。

 ひょっとすると、俺たちの日常のあちこちに、女神様やそう言った存在に近いものがいるのかもしれない」

 

 この異世界に来てから、いろいろと親切な人にも出会った。

 そういった人たちは、もしかすると実は女神様的な人々だったのかもしれない。

「いや、もしかしたら……前の世界の日常にも、実はそういった人たちはたくさんいたのかもしれない」

 もう前の世界にはたぶん、戻れない。

 でも、俺は気がつけた。

 気がつくことができたんだ。


翌日の夜は、大雨だった。

 土砂降りの中、俺はリュックサックを背負い、その上から雨がっぱを着た。

玄関を出て、カギを閉める。

 住み慣れた我が家に一礼をする。

「さようなら。ありがとう」


 俺は歩き出した。

 狭い村道を歩いていると、向かいから人が来るのに気がついた。

「村長か?」

 一瞬、ぎくりとした。だが違った。

 その人は集会で「こどもをしつけるのも、親の責任じゃないですかね」と言ってくれた人だった。

 俺はぺこりと頭を下げ、そのまますれ違い、立ち去った。

「ふふっ、あの人も神様的な人かもしれないな」

 俺は土砂降りの雨の中、一人でクスクスと笑っていた。


 トモ村を抜けると、雨はやみ、雲間から月が現れる。


 新しい人生の始まりだ。

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