第36話 血喰のフォルゥ

 蜂尾は青い血を流す惨殺死体を一瞥した。

(黒森は死んだか)

 やはり伏兵。別動隊か。単独のようだ。

(どうやって黒森の居場所を……?)

 フォルゥの頭に生えた犬っぽい耳。既視感があった。つい昨日も、犬っぽい奴と対峙した。そうか。蜂尾の頭に電撃が走り、点と点が繋がった。

 昨日はケルベロス。今日は犬耳の少女。黒森の臓器らしき物から散乱した肉片。

(こいつら……臭いで探知していたのか!)

 盲点だった。他所の惑星で暮らすエイリアンの大半は、保護マスクを着用している。生まれた環境と大きな差異があるため、その惑星の大気が呼吸器に合わない場合が多いのだ。クリーン星人のようにわかりやすいマスクを着けている者もいれば、黒森の施術を受けて呼吸器に保護装置を内蔵している者も居る。

 エイリアンは地球の大気を直接吸わない。つまり臭気に頓着していないのだ。特に地球人は知覚を視力に依存しているため、クリーン星人も証拠隠滅の際は最低限の消臭しか行っていない。

 施術せず地球環境に適応したレプティリアンドゥルが昨日の時点で日本に居たら、気がついていたかもしれない。そもそも呼吸をしていない蜂尾には思いつきもしないことだった。

(仲間の臭いを追って来たのか。下手をしたら昨日のオークたちが病院ここに辿り着いていた可能性もあったわけか……どっちにしても惨事だったな)

 今頃気づいたところで、手遅れだ。黒森を悼む暇も無く、蜂尾の思考は敵の分析へと移る。

(あのチビ……硬質ソードを手掴みしたな)

 首を獲ったと確信したその刹那に起きたことを、蜂尾は視界を塞がれながらもレーダーで一挙手一投足捉えていた。フォルゥは硬質ソードの刃を正面から掌で押さえ、無造作に掴んだ。そして蜂尾とすれ違う瞬間に、力任せにもぎ取ったのだ。

 断頭どころか、フォルゥの手には掠り傷一つ無かった。その速さと膂力に、蜂尾は戦慄した。

 理論上、不可能ではない。刃は“当てて引く”という二つの動作が合わさって初めて“切る”ことができる。フォルゥは硬質ソードを掌に“当てた”状態で握ったのだ。

 理屈は通る。通るが、それを実行するには物理法則を超えた握力と反射神経が要る。

(もしかしたら……パワーだけなら、あのオークよりも……?)

 ガルズのパワーも充分物理法則を無視していたが、あの体格ならまだ納得がいった。フォルゥの矮躯は彼の質量の二十分の一にも満たない。特に筋肉質というわけでもなく、日本の小学生を基準にするなら痩せ過ぎなくらいだ。

(考えるだけ無駄か……)

 あのぺらぺらの体のどこにそんな膂力を秘めているのか。異世界人と対峙するたびに、こちらの常識が全く通じないことを思い知らされる。もはや何をされても驚かない、というより、何をされても驚く自信しかない。やることなすこと全て、宇宙の法則の埒外にあるのだから。

(幸いなのは……あのオークほど速くはなさそうなところか)

 主翼と尾翼を半分の長さに折り畳み、両足をランナースフィアに変形する。

「腕部スペアⅦ、展開。第六武器庫開錠、液状ソードⅣ展開」

 右腕が生え変わるやはばきに変形し、鋼色の液体が刀を形成する。フォルゥは興味津々といった顔で液状ソードを見た。

「お? お水の剣なのだ? へぇ~面白いのだ」

 続いて左腕をM31CE砲に変形する。

「第二武器庫開錠。M31CE砲Ⅲ、展開」

「あ、それがレイちゃんの言ってた武器なのだ? 銃とか言ってた気がするのだ」

「『近接射撃戦闘モード』、起動」

「ふーんなのだ。人間を巻き込むのは、あんまり気にしない感じなのだ?」

「惑星保護法に基づき、異世界人インベーダーを排除する」

 ランナースフィアが猛回転し、翼のジェットエンジンが火を噴く。急速発進で一気に間合いを詰め、蜂尾は液状ソードで切りかかった。フォルゥは小さな体をさらに小さく折り畳みながらジャンプし、一閃を躱して蜂尾の背後に着地した。

「あぁ~ん、その剣じゃ掴めないのだ~」

 液状ソードを空振りすると同時に、蜂尾はM31CE砲を背後のフォルゥに向けた。

「あ」

「『M31CEスピア弾』、発射」

 槍のように尖った光線が放たれる。フォルゥは着地直後の不安定な姿勢のまま、光線を素手で掴み取った。

「!?」

「うわっ、あっちっちなのだ」

 フォルゥは赤い弾丸を投げ捨てる。

 質量化したM31CEの光線は物理接触が可能だ。そうでなければ標的を撃ち抜けない。反対に標的の方から触れることもできるが、自殺以外にそんなケースはありえない。一メートルにも満たない、ほぼ目の前と言っていい間合いから放った銃弾を手掴みする敵など、いったい誰が想定するというのか。

(どいつもこいつも!)

 フォルゥも速いが、ガルズとは別種類の速さだ。身動きがひたすら速い彼に対し、フォルゥは反応が異様に速い。蜂尾が院内に飛び込む前に動き出したことといい、液状ソードを掴めないと即断したことといい、危機察知能力が高過ぎる。弾速と射角まで正確に判断するその桁違いの勘の良さは、もはや未来予知のレベルだ。

 ジェットエンジンを横に向け、ランナースフィアを前後に回転させる。蜂尾はその場で急速回転し、廊下の壁を切り裂きながら液状ソードを薙ぎ払った。

「わっ!」

 耳を押さえてしゃがんだフォルゥの頭のすぐ上を、鋼色の刃が横切る。蜂尾はしゃがんだフォルゥ目掛け、ランナースフィアで蹴りかかった。

「えい」

 フォルゥはランナースフィアを掴んで回転を止め、もぎ取った。蜂尾がもう一方の足で放った回し蹴りも、ランナースフィアだけを正確に掴んでもぐ。二周目に下段を狙った斬撃を後ろに跳んで躱し、蜂尾が構えたM31CE砲の砲口に、もいだランナースフィアを投げ入れた。

「それー! なのだ!」

 時速数百キロで投げ込まれたランナースフィアと光線が砲身内で激突し、M31CE砲が爆散した。

「あははは! どーだ! 参ったのだ?」

 廊下に充満する粉塵の中から、蜂尾がフォルゥに突進した。爆散した左腕は、即座に新しいM31CE砲に換装されていた。

「おわぁ! すっごい元気なのだ!」

 足を刈ろうとした液状ソードを、フォルゥがジャンプで避ける。彼女が宙に浮いたタイミングを狙い、蜂尾はM31CE砲を向けた。

「お?」

 ざわっと、フォルゥの毛が立った。

「『M31CEスパイラル弾』、発射」

 蜂尾が放ったのはライフル弾のように回転する光線だった。

 ライフリングを利用するライフル弾と異なり、発砲前に既に回転と加速が完了した光線である。また、弾に旋回運動させる目的もライフル銃とは異なる。

 ライフリングという機構はジャイロ効果を利用した命中精度の向上が目的とされるが、M31CE砲は旋回運動に頼らずとも弾の直進性の問題を克服している。M31CEスパイラル弾の最も期待される効果とは、破壊力の向上にあった。着弾したM31CEスパイラル弾はドリルのように装甲を掘り進み、どれほど硬いターゲットも撃ち抜く。

 とは言え、フォルゥはそこまで硬そうには見えない。撃ち抜くだけなら通常の光線で充分だ。

 今回に限っては、蜂尾の目当ては破壊力よりも旋回運動そのものにあった。M31CEスパイラル弾の回転力は、ランナースフィアのように簡単に掴み取れるスピードではない。仮に掴めたとして、指の何本かは持っていかれることだろう。

「……!」

 この時も、フォルゥの危機察知能力は精密だった。

 空中で無防備だった彼女は、柔軟性を活かして体をめいっぱい捻ると、M31CEスパイラル弾を横から蹴り払ったのだった。

「!?」

 弾道を逸らされた光線はフォルゥの脇を抜け、壁に沈んだ。着地を狙ってさらに撃ったM31CEスパイラル弾も、フォルゥは事も無げに蹴って逸らした。

(こいつ……!)

 蜂尾の目は信じ難いものを映していた。フォルゥは光線を蹴る際、素肌では回転力に耐えられないことを見越して足の爪だけを接触させていたのだ。それも一度ならず、二度も。アサルト星人顔負けの精密機械だ。

(あのオークも光線を打ち払ったりはしてたが……こいつも大概だな)

 蜂尾は翼から逆噴射してフォルゥから距離を取った。フォルゥは首を傾げた。

「あれ? どうしたのだ? やめるのだ?」

 肩甲骨に生えていた主翼が二つに分かれ、上下に移動する。蜂尾の背面に亀裂が走り、関節が三つある長い腕が三対生えた。

「副腕Ⅰ、副腕Ⅱ、副腕Ⅲ、副腕Ⅳ、副腕Ⅴ、副腕Ⅵ、展開」

 フォルゥはぽかんと口を開けた。

「わぁ~お」

「M31CE砲Ⅳ、M31CE砲Ⅴ、展開。液状ソードⅤ、液状ソードⅥ、液状ソードⅦ、液状ソードⅧ、展開」

 背中の副腕の上一対がM31CE砲となり、残り二対が液状ソードに変形した。両足を新たなランナースフィアに換装し、前傾姿勢を取る。

 顔の左面のみ皮膚が反転し、バイザーになる。フォルゥにロックオンしたレティクルに副腕のM31CE砲が連動した。ジェットエンジンが唸り、床を噛んだランナースフィアが回転を始める。

 フォルゥは心底おかしそうに笑い声を上げた。

「あはは! なーんか出て来たのだ~」

 フォルゥの鋭い爪が床を掻く。蜂尾は爆音を立てて発進し、フォルゥは音も無く駆け出した。

 攻防は両者が廊下で激突するまでの、一瞬の間に繰り広げられた。

 蜂尾が三挺のM31CE砲から放ったM31CEスパイラル弾を、二発は手の爪で捌き、一発は躱す。フォルゥは銃撃に対処しながら頬をぷくっと膨らませ、蜂尾に向かって氷柱を吹いた。

「魔王軍式魔法『荒ぶる氷柱アイス・ダート』!」

 弾丸の如きスピードで発射した氷柱が副腕のM31CE砲に当たる。傾いたM31CE砲の二発目の光線が、隣の副腕のM31CE砲とその隣の液状ソードの鎺を撃ち抜いた。

 間合いが詰まる。蜂尾が右腕と副腕の計四振りの液状ソードで切りかかる。と同時に、左腕のM31CE砲を撃つ。

 フォルゥは右腕の液状ソードを横から叩き、太刀筋を変えると同時にM31CE砲の射線に介入させた。光線が液状ソードに跳ね返される。

 懐に入りながら副腕の液状ソードを躱し、もう一方の空いている手で蜂尾の胸を殴りつけた。ジェットエンジンの推力を完全に殺され、蜂尾は廊下の彼方までぶっ飛んだ。

「……ッ!」

 蜂尾は天井をバウンドして床に叩きつけられた。攻防を制したフォルゥの両手には、殴り飛ばした際にもぎ取った副腕が握られていた。蜂尾のコントロール下から抜けた液状ソードが刀の形を失い、鎺から垂れ落ちる。

「う~ん」

 フォルゥの顔は不満げだった。彼女は副腕を捨て、自分の体に目を落とした。左の脇腹の肉が削がれ、服が鮮血に染まっていた。

 ちぎれたベルトが床に落ちる。フォルゥは苦笑いを浮かべた。

「ありゃ~。やっぱり撃たれてたのだ」

 最後、殴った時だ。フォルゥが副腕をもいでいる時、蜂尾は殴り飛ばされながらM31CE砲を撃っていたのだ。直撃はしていないものの、掠っただけでこの有様だ。渦状の傷口からして、撃ったのはやはりM31CEスパイラル弾だ。

「ひぇ~、あっぶないのだ~。ちゃんと当たってたら死んでたかもしれないのだ~」

 掌に浮かんだ魔法陣を傷に押し当てる。薄い氷の膜が傷口を塞ぎ、その上を皮膚の代わりに蛇腹状の氷が覆った。フォルゥはぼそぼそと言った。

「……こっちの手を探りながら戦ってるのだ。あくまで手加減してるのがバレバレなのだ」

 蜂尾は現状見せているフォルゥの実力より一段上の武器を繰り出していた。それにフォルゥが対処すると、また一段階上の武器を出すといった具合に。可能な限り少ない消耗と周囲への被害で倒したいという意図が透けて見える。

「舐められてる……ってゆーより、本気を出せない理由でもあるのだ?」

 加減できるということは、まだ余裕を残しているということだ。

 まさしく獣が威嚇するように顔にしわを寄せ、フォルゥは歯を剥いた。

「ガル坊を倒しただけはあるのだ。底が全然見えないのだ」

 裏を返せば、もし周囲に気を遣わなければいつでもフォルゥを殺せるということなのだろうか。この舐めた戦闘スタイルは、まず何があっても負けることはないという自信の現れではないか。

 考え過ぎか? フォルゥの野生の勘を頼っても、こればかりは見抜けない。

「……あんまり遊んでると、うっかり殺されちゃいそうなのだ」

 蜂尾が起き上がり、副腕を追加した。全部で五対の副腕をM31CE砲に、両腕を液状ソードに変形する。

 やはり武器を増やしてきた。戦えば戦うほどに、強くなっていく。フォルゥは唇を舐めた。

「手合わせはこれくらいにしておくのだ」

 蜂尾が直進しながら、十挺のM31CE砲を連射した。無論、放つのは全てM31CEスパイラル弾である。広げた両腕の刃は、獲物が間合いに入るその時を待っている。

「すぅ……」

 フォルゥは大きく仰け反り、深く息を吸った。膨らんだ肺に胸が押し上げられる。銀色の髪を逆立たせ、迫り来る光線と蜂尾に向かって咆哮した。

「人狼魔法『凍てつく慟哭ホワイト・ブレス』ッ!」

 耳を劈く叫びとともに吐き出された白い冷気が、たちまち廊下を凍結させた。床も壁もも、火花を上げる電気照明も、冷気が進むにつれてみるみる凍りつく。高熱の光線は凍ることこそなかったが、風圧で弾道を大きく逸らされた。

「何!?」

 逆噴射で急停止したが、回避できない。蜂尾は両腕の液状ソードで、冷気を十字に切り裂いた。

 蜂尾の斬撃は雷をも切る。四つに分散した冷気は、蜂尾の顔と胴を避けて過ぎ去った。四肢と副腕が冷気を浴びて凍ったが、表面に氷の膜が張っただけだ。中身までは届いていない。

「え!? ブレスを切ったのだ!?」

「解凍開始」

 蜂尾の全身にある亀裂の中を、赤い光が駆け巡った。M31CEを全身に流し、放熱で氷を解かしにかかっているのだ。

 フォルゥの目には、蜂尾の全身の血管が発光しているように見えた。

「何してるのだ!? もしかして氷を解かしてるのだ!? マジでお前なんなのだ!?」

 早くも片腕が氷を割って動き出す。次いで片足、副腕と徐々に戒めを解く。

「キモいのだ! でももう遅いのだ! ちょっと動きを止められれば、フォルゥの勝ちなのだ!」

 フォルゥはその場に跪き、床に溜まった自分の血で魔法陣を描いた。複雑な模様と文字列が絡み合う魔法陣を尋常でない速さで完成させ、その上に手をかざす。

 四肢が解放されると、蜂尾は解凍の時間を惜しんで体を振り回し、薄氷を砕いた。凍結した液状ソードをパージし、硬質ソードを展開する。全身の放熱を継続したまま、蜂尾はフォルゥ目掛けて急発進した。

 フォルゥの顔から笑みが消え、瞳に魔力の火が灯る。白く、冷たい火だった。彼女が歌うように呪文を唱えると、白い息が漏れた。

 彼女から漂う冷気が周囲の気温を急激に下げる。虚空に唐突に現れた雪の結晶が、ぱらぱらと降り始める。大気が凍てつくほどに、フォルゥの瞳は燃え上がった。

「死ね、異世界人インベーダー

 フォルゥの頭上に降る雪の結晶を切り裂き、蜂尾が硬質ブレードを振り下ろす。血で描いた魔法陣が、強烈に輝いた。

「魔王軍式魔法・禁呪『極寒の凍獄ニヴルヘイム』」

 魔法陣の光が蜂尾とフォルゥを包んだ。

 蜂尾の視界に映る温度計の数値が、一気に絶対零度に落ちた。その瞬間、蜂尾の動きは完全に止まり――戸科下市立病院全域が、巨大な氷の檻と化した。

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