第4話 エイリアン
戸科下市立高等学校
午前の授業が終わると、
券売機の前で待たされることなく、テーブルもいつもより容易に確保できると、井原は上機嫌だった。
「ラッキーだったね」
「ねー」
トレイを手にテーブルの前を通りかかった女生徒に、井原が声をかけた。
「あ、
「え、いいの~? じゃ、お邪魔しまーす」
井原の部活の先輩らしく、食堂で蜂尾もたびたび顔を合わせる。芦山と呼ばれた生徒は蜂尾の向かいに座った。彼女は非常に愛嬌のある人物で、蜂尾にもにこにこと笑顔を向けた。
「なんか蜂尾ちゃんと会うの久しぶり?」
「久しぶりすねー」
椅子に腰を下ろしかけた井原が声を上げた。
「あ、ジュース買うの忘れてた。景は何か要る?」
「あー、じゃあリンゴジュース。後で金渡すわ」
「おっけ。先輩は~あるからいいっすね。じゃ、ちょっと買って来るわ」
「はーい」
「行ってらっしゃーい」
井原が席を立つや、にこにこしていた芦山が真顔になった。蜂尾も笑みを消し、芦山とじっと目を合わせた。芦山は日本語と異なる言語で淡々と喋った。
「三分四十秒前、黒緑山に未知のエネルギー反応を検知。至急調査願います」
芦山が発した奇怪な言語は、日本語のみならず地球上のどの言語とも合致しなかった。蜂尾もまた、よく似た奇怪な言語で返した。
「未知だと?」
「登録にあるどのパターンとも一致しません。山中に突如として出現、五十八秒後に消失。監視衛星が不審な生命体を八体確認しましたが、森林に紛れ間も無くロストしました。うち一体には飛行能力を確認しています」
「何星人だ?」
「現在照会中ですが、こちらもデータベースと一致しません。特定を急ぎます」
「……了解した。座標を送れ」
井原が戻って来ると、蜂尾と芦山は柔らかい表情になった。
「ほいよーリンゴジュース」
「ごめん陽莉、いま幼稚園から電話あって妹が熱出したって」
「え、マジで?」
「迎えに行って来る」
「今すぐ? 昼くらい食べてってもいいんじゃない?」
「うん、でもやっぱ心配だから。代わりにこれ食べといて」
「えっ?」
蜂尾は芦山のトレイにリンゴジュースを置いた。
「これ先輩に上げます」
「大変だね、気をつけてね蜂尾ちゃん」
「はい。じゃあ陽莉、ごめんだけど私行くから。あとよろしく」
「ちょっ、おまっ、カツ丼大盛りとか食えるか!」
「ほんとごめ~ん」
「あ~もう、妹さんによろしく!」
蜂尾は申し訳なさそうに手を合わせ、足早に食堂から去った。
アンドロメダ銀河大連合直属 第八連合宇宙軍
それが彼女の肩書きだった。
アサルト星人。コードネーム、蜂尾景。
彼女の任務は違法に地球に侵入する異星人の警戒及び排除、地球在住異星人の取り締まり。それら全てを、地球人に悟られることなく秘密裏にこなすことである。
アンドロメダ銀河大連合が制定した惑星保護法は、異星人による侵略に対抗する能力の無い惑星の安全を一方的に保証していた。知的生命体が存在するものの、その知能とテクノロジーの両面で異星人に圧倒的に劣る地球は、まさに惑星保護法の庇護下にある典型的な惑星だった。地球人は全く知らない間に、惑星保護官の働きによって異星人の手からその豊かな母星を守られているのである。
蜂尾は日本国担当に配属されてから二十二年目になる。戸籍と顔を変えて戸科下市立高等学校への入学と卒業を繰り返し、今年で八回目の高校生活を送っていた。芦山もまた、同じように高校生として人間社会に紛れ込んだ惑星保護官の一員だった。
蜂尾は担任教師に早退の旨を伝えると、本来は生徒が立ち入り禁止の屋上にピッキングで難無く侵入した。索敵レーダーを発動して人目が無いことを確かめると、蜂尾は呟いた。
「第一武器庫開錠、主翼展開」
制服を突き破り、蜂尾の背面から金属質の翼が生える。肩甲骨から生えた大きな両翼と、腰から生えた一回り小さい尾翼。いずれも地球のテクノロジーで言うジェットエンジンに酷似した小型の噴出装置が搭載されている。
両脚の脛と脹脛、さらに靴底にも切れ目が走り、翼に搭載している物と同じ噴出口が飛び出した。蜂尾は全身の数十個に渡るジェットエンジンの動作チェックを素早く済ませた。
「『飛行モード』」
こめかみとうなじにカメラが生え、三百六十度に広がった蜂尾の視界にレーダーや高度計を初めとする計器の値が表示される。蜂尾は正面の視界にマップを表示し、芦山から提供された座標にマーキングした。
「……発進」
翼と足のジェットから赤い火を噴き、蜂尾は空へ飛び立った。鞄を落とさないようしっかり握り締め、人が肉眼で捉えられない高度まで上がる。飛行機や空港の管制塔のレーダー、地球人の人工衛星等はジャミングで誤魔化せるが、派手な飛行は避けねばならない。蜂尾は騒音を生じる音速に匹敵しない程度のスピードで、指定された座標までほぼ直線に飛んだ。
未知のエネルギー反応が検知された黒緑山は地元民も立ち入らない鬱蒼とした山だ。蜂尾は目標の真上に到達するまでに、レーダーで山中を調べた。動物以外の生体反応は無い。既に最初の検知から五分三十五秒が経過している。どうやら監視衛星が捉えたという八体の不審生命体は早くも立ち去ったようだ。
蜂尾は空中で身を翻し、真っ逆さまに降下した。急激に近づく地面との距離とタイミングを見計らい、再び体勢を反転させジェット噴射で減速する。完全に速度を殺すと、蜂尾は鳥居の上に着地した。
(ここが未知のエネルギーの検出地点……)
蜂尾は翼とジェットエンジンを体内に格納した。靴を含め、蜂尾の衣服は全て彼女の金属細胞を織り込んで造られており、変形や損傷に合わせて補修することができる。彼女の制服は何事も無かったかのように元通りになった。
蜂尾は視界を索敵モードに切り替え、境内を見回した。この廃神社は地球人には心霊スポットと認知されているが、社殿にも森にも霊体エネルギーが一切検知されないことを蜂尾は心得ている。異常が起こるとしたら異星人の仕業しか無い。
蜂尾は身軽に鳥居から降りた。エネルギーが検出されたのはまさにここ、鳥居の中だ。確かに、微弱ながら謎のエネルギーの残滓があった。
(本当に登録されていないエネルギー反応なのか? そんなことがありえるのか?)
惑星保護官がアクセスできるアンドロメダ銀河大連合のデータベースには、遥か彼方の外宇宙を含む無数のエネルギーパターンが記録されている。検知したエネルギーパターンをデータベースに照会すれば、たいていはエネルギーを発した者がどの宇宙のどの連合のどの惑星に属しているかがわかる。仮にデータベースに無い新しいエネルギーパターンが出現したとしても、規則性などからそのエネルギーの祖となる同系統のデータが導き出されるはずなのだ。全てのエネルギーは、元を辿れば宇宙を発生させたビッグバンのエネルギーパターンに、最終的には帰結する。故に、完全に未知ということは絶対に起こり得ない。
(しかし連合の照会にミスがあるとは思えない……だとしたら何者だ?)
蜂尾は鳥居を調べた。柱に焦げ跡がある。ごく小さな焦げ跡がいくつもあり、色と臭いからしてかなり新しいものだとわかる。謎のエネルギーと関連しているのだろうか。
(いったい何の跡だ? 火ではない……電気か?)
監視衛星が捉えた写真を視界に表示した。八体の不審な生命体が鳥居の周りに集まっている。揃って中世を思わせる衣服を着ていたが、どう見ても人間でない者も混ざっていた。
(こいつら……何星人だ?)
似ている異星人は思い浮かぶが、どれも確信が持てない。データベースにある全ての異星人と照会するとなるとかなりの時間がかかるが、結果を待つしかなさそうだ。
蜂尾は微物探知カメラを起動した。鳥居の周囲に真新しい足跡がある。数は八体分、写真と一致する。異様なのは二体分の明らかに巨大な足跡で、写真と見比べても、体格が三メートルは堅い。
(底が平らだ……革靴に似ている。草履のような跡もある。履物の習慣は持っているようだ)
足跡はどこから続いているわけでもなく、鳥居の周囲に唐突に出現していた。まるで蜂尾のように空を飛んで、この場に初めて降り立ったかのようだった。
(一体は飛べるそうだが……八体とも飛んで来たのか?)
蜂尾は鳥居を振り向いた。
(いや……謎のエネルギー反応からして……おそらく、テレポートだ。こいつらは突如、この場に現れた……)
足跡は登山道から外れ、人目を避けるように森の中へ進んでいた。蜂尾は足跡を追った。山に慣れているのか、何者かたちは獣道を易々と歩き迷うことなく麓まで到達していた。足跡は暫く道路を進んだ後、また森の中へ引き返し、ある場所から忽然と途絶えていた。
(飛んだか、それともテレポートか。いずれにしても足跡の追跡はここまでか)
蜂尾は麓に戻り、飛行能力が確認されている一体が飛んでいた場所を見上げた。監視衛星によれば、この個体は空から街を眺めた後、すぐに降下したという。
(空から偵察といったところか……さて、どこへ向かったか)
監視衛星が捉えた個体の画像を、蜂尾は凝視した。白髪に灰色の肌。真上からの写真であるため顔はよく見えないが、人間でないことは確かだ。
「お前は何者だ……?」
暫く山の近辺で足跡を捜したが、手掛かりは見つからなかった。蜂尾はありのままを報告した。
正体不明、目標ロスト。
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