第2話 決起集会

 魔王城 第六闘技場


 レイドが決起集会の会場に選んだのは、大型種族用の広い闘技場だった。最大百人の巨人族を収容できる広大な会場には、つい先日行われた決闘の跡が生々しく残っている。壁には巨大な斧が突き刺さったまま放置され、地面には大規模な血痕が染み込んでいる。

 勇者との戦いが終わってからというもの、軍内では仲間内での殺し合いが絶えない。城内の闘技場は毎日のように埋まっており、この闘技場も決起集会のために何日も前から予約しておかなければならなかった。

 人間はそんな魔王軍を野蛮と揶揄するが、彼らにとってはむしろ日常が戻って来たとさえ言えた。もとより、粗暴で野蛮な種族だからこそ魔王軍に属するのだ。略奪も殺戮も当然の嗜みであり、人間との戦争に忙しくて仲間同士で決闘すら出来なかったここ数年こそ、魔王軍にとっては異常事態だったのだ。

 人間の軍隊、例えば聖騎士団の集会ならば騎士が綺麗に整列し主催者の登壇を沈黙して待つものだが、魔王軍の戦士にそんな気の利いたことなどできない。多種多様な種族の魔物が思い思いの場所に陣取り、ある者は酒をかっ食らい、ある者は武器を研ぎ、ある者は連れ込んだ奴隷を凌辱し、蛮族らしく騒いでいる。集会にあたって唯一、喧嘩と殺し合いを禁止したルールだけは守ってくれているらしかった。

「うわ、めっちゃ集まってるじゃん……」

 人間界侵攻先遣隊として選抜した戦士は実に千体に及ぶ。何かと時間にルーズな魔王軍だが、隊長が王女というだけあり定刻までに全員集まっていた。

 レイドはその様子を、闘技場の入場口にあるカーテンをほんの少し開けて覗き見た。誰かに気づかれる前にさっとカーテンを閉じ、レイドは壁に凭れた。

「なんで時間通り来てんだよぉ……時間通り演説始めないといけないじゃん……」

「そりゃあなたが呼んだからでしょう」

 隣に居る側近のルラウが呆れた声で言った。メドゥーサ族である彼女は蛇の頭髪を緩く結わえて肩から垂らし、目には覆いをしていた。レイドが赤子の頃から側近を務めるルラウは姉のような存在だったが、覆いの下にある目は一度も見たことがなかった。それもそのはずだ、メドゥーサ族の目を見たらその瞬間が最期となる。

 レイドは壁を指でなぞりながらぼやいた。

「嫌だなぁ、緊張するなぁ。私、演説とか初めてなんだけど……いつもはお父様やお兄様やお姉様の後ろに居るだけだったし……あんな大勢の前で話したこととか無いんだけど……しかもこんな大事な決起集会とか……」

「なに弱気なこと言ってるんですか。いつもの威勢はどうしました? あとその壁、血が付いてて汚いから触るのやめて下さい」

「私はいつもこんなんだよ……」

「聖騎士団をボッコボコにしてた時のテンションはどこへいきました?」

「あの時はちょっとハイになってただけで……あぁ怖いなぁ、噛んだらどうしよう。笑われないかな。あんな大勢に笑われたら恥ずかしくて泣いちゃう」

「怖がられてるのはあなたの方だと思いますけどね……あなたを笑えるほど豪胆な戦士が居たらむしろ褒めて上げて下さい」

「だってこんな小娘が隊長だよ? たった百歳だよ? 皆二百歳以上のベテランだし、納得してない魔物とか絶対居るでしょ……背中を刺されて下剋上されるかもしれない。寝首を掻かれるかも。どうしよう、今夜から寝れないよ私」

「なんでそんなにネガティブなんですか?」

 遂にレイドはその場にしゃがみ込む。ルラウはため息を吐いた。そろそろ登壇の時間だ。手のかかる主だ、と内心で愚痴りながらルラウはレイドの手を引いた。

「ほら、行きますよ」

「なんで私が……ガルズの方が隊長に向いてるじゃん……なんで私なんかが隊長に……」

「ま~だブツブツ言ってるんですか?」

 レイドは立ち上がろうとしない。ルラウが全体重をかけて引っ張ってもびくともしなかった。

「もう~早くして下さいよ。折角皆集まったんですから」

「今夜は中止で……」

「無理です。もう三か月先までこの闘技場は空いてません」

「そんなに込んでるの!?」

(まぁ嘘ですけど)

 ルラウはレイドをよくわかっている。壇上に立ってしまえば演説くらい簡単にこなせるはずなのだ。要は腹を決めるまで時間がかかるというだけで、問題は如何にこの駄々をやめさせるか。決起集会の成功の是非は、レイドの演説ではなく今、ルラウの手にかかっていると言っても過言では無い。

「も~う、なーんでそんなにやる気無いんですか? 魔王様から指名を受けたのに」

「別にやる気が無いわけじゃ……」

 ルラウはレイドの前にしゃがんで目線を合わせた。もっとも、覆いに阻まれて目を合わせることはできないのだが。

「じゃあなんですか。ちょっとくらい演説失敗しても誰も笑いませんよ。もし笑う奴が居たら私がぶっ殺しますよ」

「でもぉ……」

「……」

 逡巡してルラウは尋ねた。

「……前世の故郷に攻め入るのは、やっぱり抵抗がありますか?」

「!」

 レイドは目を泳がせた。

「それは、無い……と、思う」

「じゃあ何が不安なんです?」

「……自信が、無い」

「自信?」

 腕の中に顔を埋め、籠もった声でレイドは話した。

「お父様が期待してくれるのは……嬉しい。でも……魔王軍の存続がかかった大事な作戦だと思うと……体が竦む。お兄様や、お姉様。もっと他にも相応しい指揮官が居るんじゃないかって……私でいいのかなって、考えちゃう……どうしても」

「……そうなんですか」

「うん……」

「……」

 ルラウは立ち、レイドの手を引っ張った。

「じゃ、早く立って下さい」

「え!?」

「もう時間ですので」

「えぇ!? 励ましてくれるんじゃないの!?」

「甘えないで下さい。いいから立って檀に上がって下さい」

「そういう流れだったじゃん! なんで訊いたの!?」

「励まして上げるだなんて一言も言ってません。ただ私が質問してレイド様が答えただけです。自信が無いんですね、了解しました。では演説に行って下さい」

「えぇぇぇぇえええ……何か、何か元気が出ること言ってくれたら頑張ろうかなって思ってたのに……!」

「元気が出ること……おっぱいとかですか?」

「元気は出るけども! 今それを言われても!」

「ドラゴンのステーキ」

「元気は出るけども!」

 ルラウがカーテンに向かって声を張った。

「お静かに! これより先遣隊隊長レイド様より演説を行います! お静かに!」

 闘技場の喧騒がぴたりとやんだ。レイドは青ざめてつい立ち上がり、小声でルラウに詰め寄った。

「ちょっと!? 何勝手なこと言ってくれてんの!?」

「もう登壇するしかなくなりましたね。早くお行きなさい」

「この人でなし!」

「人ではないので」

「あぁ~マジで静まり返ってるじゃん!」

「ほら、皆さんお待ちしてますよ。早く行け」

 レイドはとぼとぼと闘技場の方へ歩いた。カーテンの前で一度立ち止まり、深呼吸する。もう覚悟を決めるしかない。ルラウが傍らに立ち、カーテンを掴んだ。

 カーテンを開ける直前、ルラウは言った。

「魔王様がレイド様を選んだのは、転生者だからという理由だけでは無いと思いますよ」

「え?」

「さあ、行ってらっしゃい。レイド様」

 ルラウがカーテンを開ける。レイドは反射的に姿勢を正し、悠然と歩いて闘技場に踏み入った。

 沈黙した戦士たちの視線が痛いほどにレイドに集中する。千体分の魔物の眼差しを浴びながら登壇し、レイドは彼らを一望した。恐ろしい容姿の魔物たち。数え切れないほどの命を奪って来た凶暴な戦士たちだ。

 獰猛な彼らの目に、ほんの微かに畏怖の念があることにレイドは気がついた。レイドは自分もまた、彼らと同じかそれ以上に命を奪い、壊し、暴虐の限りを尽くした魔物であることを、思い出した。

「……えっ……と……」

 拡声器なんか無い。声を張らなくてはならない。レイドは息を吸った。

「諸君、よくぞ集まってくれた。知っての通り、これは人間界侵攻先遣隊の決起集会である」

 レイドは冷や汗をかいた。

(やべ、考えてた原稿、ど忘れした……)

 致命的なピンチに心拍は上がる一方だったが、レイドをじっと見つめる魔物たちに気取られまいとして、とにかく言葉を紡いだ。

「長い話をしても退屈だ、手短に済まそう。諸君らはこの誉れある作戦に選ばれた優れた戦士であるわけだが……まず、断っておくことがある」

 もう原稿は思い出せない。レイドは勢いに任せることにした。

「諸君らの仕事は、戦うこと――では、ない」

 魔物たちがざわつきかけたが、レイドが眉間にしわを寄せると彼らは飛び上がり、再び静まり返った。本当は睨んだのではなく原稿が思い出せないことに苦悩していたのだが、結果オーライだった。

「我々先遣隊の役目は、人間界を調査し敵の戦力と情勢を把握すること。そして拠点を築くことだ。そのために、我々の存在は人間に悟られてはならない。これはただの戦争とは違う。如何に悟られることなく準備し、如何に相手の不意を突くか。本隊による侵略作戦の可否は、我々がどれほど隠密に事を運び、敵の懐に忍び込むかにかかっている。ここには血に飢えた戦士が多いことだろう。先の戦争で武勲を挙げられず、燻っている者も居ることだろう。しかし今作戦において、我々が戦闘する機会は限り無く少ない。不要な血を流さないことが諸君らの使命と心得よ。故に、我々は人間界へ踏み入ったのち、人間に紛れて活動することとなる。諸君らに求められるのは自制と隠密性だ。戦わないことこそが、我々の戦いなのだ」

 どんどん鼓動がうるさくなり、レイドはハイになって怒号を上げた。

「いいか、魔王軍の未来は諸君らの双肩にかかっている! 従えない者はここから去るか、今この場で私を殺して隊長の座を奪ってみせろッ!」

 広い闘技場にレイドの声が反響した。魔物たちの沈黙は本来の時間よりもやけに長く感じた。顔にこそ出さなかったが、レイドは内心で焦っていた。

(ほ、本当に殺しに来る戦士が居たらどうしよう……決起集会で戦士をブチ殺したら……お父様に怒られちゃうかも……っ)

 永遠のように思えた沈黙を破ったのは、最前列に居た巨漢のオークだった。先遣隊副隊長のガルズである。先遣隊の中で最も豊富な戦歴を持ち、単純な実力ではレイドに次ぐ。

 ガルズはその場に跪き、地面に分厚い拳を叩きつけ、レイドに向かって深々とこうべを垂れた。

「仰せのままに、隊長殿……!」

「! ガルズ……」

 思わず感涙しそうになるのをレイドはぐっと堪えた。

 魔物たちが次々とガルズに倣い、跪いた。気づくと千の戦士全てがレイドの前に跪いていた。ルラウも戦士の中に混ざっている。暴れていたレイドの鼓動は、いつの間にか治まっていた。

(皆……!)

 レイドが魔王の娘だからか。ガルズに便乗しただけなのか。どちらでもいい、それでもいいとレイドは思った。どいつもこいつも野蛮で外道のどうしようもない屑野郎ばかりだが、今のこの姿を見ると信じても良い気がする。いや、彼らから信じられたいと思える。

「面を上げよ」

 戦士たちがこちらを仰ぐ前に、レイドは急いで目尻を拭った。彼女の顔は晴れ晴れとしていた。

「諸君らの意気込みはわかった。それでこそ魔王様に仕える戦士たちだ。それでは……」

 レイドは拳を振り上げた。

「作戦開始は一週間後! 向こうの世界で暴れられない分、それまで毎日村を焼こう! 町も襲おう! 早速、今から皆で略奪に行くぞ!」

 魔物たちは一斉に起き上がり、雄叫びを上げた。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」

「奪え! 殺せ! 犯せ!」

「イェァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

「行っくぞ~!」

 レイドを先頭に、戦士たちは大はしゃぎで闘技場を走り去って行った。がらんとした闘技場で、ルラウは一人呟いた。

「そういう所ですよ、レイド様……元人間のくせに、魔族より魔族に染まってるんですから」

 ルラウは笑みを溢し、レイドたちの後を追った。

 その後一週間、人間の村や町が立て続けに魔物の略奪に遭い、天災級の被害に見舞われることとなった。

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