エイリアンVS魔王軍

闘骨

プロローグ

第1話 魔王の娘

 魔界

 魔王城 王の間


 王の間は相変わらず闇に覆われていた。光源は天井に吊り下げられたシャンデリアの、ささやかな蝋燭の灯だけだった。灯りが降り注ぐ場所は限られており、果たしてこの部屋がどれほど広いのか、はたまた慮外に狭いのかも判断できない。灯りの外に満ちる暗闇には一筋の光さえ入る余地が無い。純血の悪魔である魔王は光に弱く、この部屋には窓の設置すら許されなかった。

 灯りの届かない闇の奥から、低いしゃがれ声が響いた。

「……来たか。レイドよ」

 魔王の指名を受けて馳せ参じたイービル家第七十九王女レイド・イービルは、玉座の前に跪いた。

「はいお父様。ただいま、ここに」

 玉座に居る魔王は暗闇に隠れ、その姿を窺い知ることができない。時折闇の中で蠢く輪郭と、炎のように赤く灯る双眸が彼の巨体さを物語った。レイドの前に壁のようにそびえているのは、魔王の脛である。彼の顔を見上げるには、かなり無理して首を反らせなければならない。跪いていたなら、なおのことだった。

「此度のお前の戦いぶりはよく聞いておる。聖騎士団の連中を血祭りにあげたそうだな。褒めて遣わす」

「ありがたきお言葉。お父様こそ、歴代最強と謳われた勇者への勝利、お見事でした。傷のお加減はいかがですか」

 闇の奥で魔王が動く音がする。患部を撫でていると思われる。

「手足の一本や二本、また生えてくるわい。とは言え、不覚を取ったのは事実だ。じきに儂も二万歳だ、衰えは否定できぬ。次の勇者が産まれるまで、およそ百年……これまでのようにただ軍拡と略奪に時を費やすわけにもいかぬ」

 レイドはシャンデリアが薄っすらと照らす王の間の壁を、横目に盗み見た。壁には体を無残に切り刻まれた人間の男の死体が磔にされていた。死体はまだ新しく、死臭が漂った。

 その隣には遥か昔に果てたミイラが同じように磔にされている。その隣にも、その隣にもミイラが。磔にされたミイラは闇の奥まで整然と並び、対面の壁もミイラに埋め尽くされていた。そしてその全てが、一様に激しく損傷している。悪趣味極まりないインテリアだったが、魔王にとっては重大な価値を持つ死体だった。

 壁のミイラは全て、これまで魔王が討ち取った歴代の勇者たちだった。変わり果てた今では判別が難しいが、老若男女、稀に人間とは異なる種族の者も居る。その夥しい数だけ魔王は勇者を殺し、勝利を重ねてきた。ミイラは彼の輝かしい戦歴を誇るトロフィーに他ならず、魔王の権威の証でもあった。

 玉座に浮かぶ赤い双眸が瞬き、魔王は言った。

「そこでだ……兼ねてより備えていた計画に着手したいと考えておる」

「人間界への侵攻、でございますね」

「然り。神に選ばれ、人間界からこの世界へ転生した者が勇者となる。このメカニズムと転生元の世界を突き止めるのには、苦労したものだ」

 魔王は苦笑した。彼の笑い声はまるで地響きのような厚みがあり、王の間に数拍に渡って反響した。シャンデリアの蝋燭が微かに揺れ、レイドを照らす灯りが明滅した。

「この話は、お前には何度もしたことがあったな、レイドよ。神を真似てこの儂が向こうの世界から引っ張って来たのがお前だ。魔王軍初の転生者。転生の儀には多くの代償を払ったものだが、その甲斐もありお前は儂の血を継ぐ子の中でも五本の指に入る出来となった」

 レイドは深々とこうべを垂れた。

「あちらの世界で哀れな死を迎えた私を救済して下さったお父様への御恩は忘れません」

 もし勇者の方に転生していたら、自分も壁のミイラになっていたかと思うと、レイドは肝が冷えた。

「さて、転生の仕組みがわかったはいいが、どの人間が勇者に転生するかはランダムだ。それこそ神のみぞ知ること。向こうの世界に人間が存在する限り、神は幾度と無く勇者を転生させる。……儂も老いた。いつまで我が軍の隆盛を保てるかもわからぬ。で、あるならば……だ」

 魔王の語気が強まるほどに、彼の赤い眼光はいっそう強まった。

「二度と勇者が転生せぬよう、人間界を滅ぼすのだ。勇者さえ居なければこの世は我が軍の天下である。次の転生まで、猶予は百年。百年のうちに人間界へ侵攻し、全ての命を殺し尽くす。神の加護どころか、魔法すら無い世界など容易く滅ぼせよう」

 床を見つめたまま、レイドは固唾を呑んだ。遂にこの時が来たのだ。覚悟はしていた。かつての故郷の世界に攻め入る、この時がいつか来るとはわかっていた。

 レイドは冷静だった。覚悟していたほどの動揺は無かった。当然と言えば当然だったかもしれない。レイドが向こうの世界で過ごしたのはたったの十五年。魔王の娘に生まれ変わってからは、実に百年もの時が過ぎた。生きた時間も、想い入れもこの世界の方が遥かに長く、濃密だった。今さら怖気ることなど、あるはずが無かったのだ。

「レイドよ。お前に先遣隊を預ける。人間界の偵察、及び拠点の確保を命じる。向こうの世界を知るお前に相応しい役目であろう?」

 顔を上げるまでの一秒にも満たない間に、レイドは自身の魔王への忠誠に揺るぎが無いことを確信した。人間界が彼女にとって故郷であることは間違い無かったが、今居るこの世界もまた紛れもない故郷であり、今ここにいる恐ろしい魔王こそが親であり、ともに戦ってきた魔王軍の仲間こそがかけがえのない友なのだった。

 迷いなど、ありはしなかった。人間であった頃の良心は、魔王の娘として生きた百年の間に潰えた。その最後の良心の一欠片が、たった今、確たる決意とともに消え失せただけのことだった。

「お任せ下さい、お父様。必ずや、ご期待に添えてみせましょう」

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