ブレーブ・サンズー小さな勇者ー

東雲一

プロローグ

01_日常

 数多の星々が美しく輝く夜空の下。怪しい影が一つ蠢く。暗闇の中、鋭い目つきを輝かせ、周囲をさっと見渡し獲物を探す。


『気のせいか……。一瞬、解呪の魔法使いの気配を感じた気がしたが……。早く、見つけてこの世から葬ってやる』


 フードを被ったしわくちゃな老婆は、目を充血させ、鋭い歯を覗かせる。両手をぎゅっと握りしめ、禍々しい強い殺意を漏らす。解呪の魔法使いの存在を確認できないことが分かると、殺意を抑え、夜の暗闇に溶け込み、一人どこかへ去って行った。


 ※※※


 温かな明かりを放つ家から、子供たちの元気な声が響き渡る。


「やったー!!絵本だ」


「はやく読んでよ、お母さん!!」 


 元気いっぱいの声を出した子どもたちは、コナタとカナタ。一歳違いの兄弟だ。まだ幼い二人は、ようやく小学校に通い始めたばかりだ。


 カナタとコナタは、母親カナが持つ絵本を見て大きく目を見開き、愛くるしく瞳を輝かせる。子どもたちの顔から自ずと笑みが零れる。


「ちょっと、待ってね。今から読むから。今日の絵本は、二人が大好きなファンタジーよ」


 カナは、目を輝かせる二人の頭をポンポンとした後、優しく撫でる。コナタとカナタは、カナに撫でられて嬉しそうに頬をりんごのようにほんのりと赤らめると、彼女に甘えるように身体をぐっと寄せた。


「うん」

「うん」


 二人の声が、重なる。二人にとって、就寝前にカナに絵本を読んでもらうことが毎日の楽しみだった。苦しい日も悲しい日も、絵本の物語に没頭すれば、現実を忘れることができた。カナが絵本を開けると、両隣の二人は、そっと絵本に目をやった。


「むかし、むかしあるところに、二人の子供が、いました。ある時、二人の子供は、森に迷ってしまいました。森の中で洞窟を見つけ、洞窟の中に入っていきます。その先は、今まで見たこともない異世界に繋がっていました……」


 カナは、絵本に書かれた文字をゆっくりと読み上げる。とても自然で心地の良い声だ。二人は、まるで絵本の世界に迷い込んだかのように、違和感なく物語に没入することができた。


 カナがしばらく、絵本の物語を読んでいると、物語を聞いていた二人は、いつの間にか瞳を閉じて気持ちよさそうに眠っていた。彼女はそんな可愛らしい二人の姿を見て、やんわりと微笑むと、二人が起きないようにそっと起き上がり、二人に布団をかけた。


「二人とも、寝たか?」


 父親セナが、二人が眠りについたタイミングで寝室に入ってきてカナに話しかけた。


「気持ちよさそうに寝てるわ」


 カナは、ベッドでぐっすり眠っている二人を見つめる。


「確かに気持ちよさそうに寝てる……こんな幸せが続いたらいいんだけどな」


 セナが思いもよらぬ言葉を呟いて、カナは驚いたように言った。


「何言ってるのよ。きっと、続くわ。不安にさせるようなこと言わないで」


 カナは、彼の肩に片手を乗せて、不安をかき消すような力強い声で言った。


「ああ……そうだよな」


 彼女の言葉にセナは、視線を下に向けて後ろめたそうにする。


 カナとセナの二人は子どもたちの寝室をそっと出て扉を閉じた。子どもたちが眠りについて一安心した時だった。カナは、突如、気分が悪くなって激しく咳き込んだ。


「ゴホゴホ!!」


 セナは激しく咳き込むカナの肩に手をやり、心配そうに言った。


「大丈夫か?気分が悪そうだ。顔色が悪いぞ」


「大丈夫。ちょっと、気分が悪くなっただけよ。すぐに、治ると思うわ」


 カナは心配させまいと、笑顔を浮かべて言った。とはいえ、顔はやはり青ざめていて、彼女は少し無理して話しているようにも思えた。


「そうか……なら、いいんだけどな」


 カナは、家に置いてあった薬を飲んでいつもより早い時間帯に眠りについた。一方、セナは誰もいなくなったリビングで一人、椅子に腰掛け思い詰めた表情を浮かべていた。


 翌朝、部屋の窓から温かな朝日が差し込み、カナタとコナタの顔に日が当たる。


 二人は、朝日を浴びて眠たそうに目をゆっくりと擦ると、目を覚ました。


「朝か……」


 カナタは、いつもと変わらない薄暗い部屋を見渡し呟いた。部屋には、小説、漫画などが置かれた本棚と学校から配付されたテキストが数冊置かれた勉強机があった。


「はぁ……今日もまた学校だ」


 コナタは、学校で授業を受けている自分を思い浮かべ、ため息混じりの声を漏らす。


「なんか学校に行くの面倒くさいよな。ほんとに……」


 カナタも学校に行くことを考えると、がくりと気落ちする。


「うん、毎日学校に行って帰っての繰り返しで退屈かも」


 コナタは、毎日毎日、同じように学校に行き授業を受けに行く日々に面白みを感じられなくなっていた。それはコナタだけでなく、カナタも同じだった。


「そうだよな。昨日読んでもらった絵本の世界みたいに刺激的でわくわくする冒険ができたらいいんだけど」


 カナタは昨日の夜、母親に読んでもらった絵本のことを思い出し、両手を頭の後ろにやりながら答えた。


「分かるよ!僕も、絵本の主人公たちみたいに異世界に行って、お兄ちゃんと一緒に冒険できたら楽しいと思う!」


 コナタは、絵本の物語を思い出して目をキラキラと輝かせる。


「ああ。つまらない学校の日々を送るくらいなら、いっそ、異世界に行ってしまいたい……」


 カナタは、視線を下に向けると、左手で何かを覆い隠すように右腕をぎゅっと強く握り締める。


 カナタとコナタは、二人で絵本の話をした後、リビングで軽く朝食を食べて、ランドセルを背負い学校へと向かった。

 

 カナタは、学校に向かう途中、皮肉にも雲一つない真っ青な空を仰ぎながら、物思いに耽っていた。


 異世界なんてない。


 そんなのは絵本の中だけの話だ。


 現実の世界は、基本、つまらないことの連続。


 俺たちが思い描くようなわくわくした世界ではない。むしろ、自分が思い描く以上に残酷だった。

 

 だけど……。


 絵本の中の出来事が起きるんじゃないかとありもしない奇跡を願う自分もまたいた。


 カナタは、のほほんとした弟コナタとは対照的に、現実的なことを歩きながら考えていた。コナタは、兄カナタのそんな様子に気づかず、優雅に飛び回る蝶々を見て騒いでいた。カナタは、自由で純粋な弟のことが少し羨ましく感じていた。


 学校に着くと、カナタは途中でコナタと別れ一人、教室に入った。カナタとコナタは学年が一つ違いだ。カナタは、3階の教室、コナタは2階の教室で授業を受けている。


 カナタは、教室に入りガラガラと扉を閉めて重い足取りで自分の机に行く。彼は、いつもと違う自分の机に気づき、思わず立ち止まるとぎゅっと拳を握りしめた。


 不意に、悲しみの感情が溢れ出てきて、それを押し殺すように、顔をクシャつかせ、歯をぐっと噛み締める。


 カナタの視線の先には、ガサツな文字で辛辣な言葉がいくつも机の上に書かれていた。立ち止まり、机の文字を茫然と見つめるカナタを見て、周りのクラスメイトは、くすくすと嘲り笑う。


 現実なんて、クソだ。


 カナタは、顔に影を落とし、ゆっくりと椅子を動かして座ると、落書きされた机に、上半身を倒れ込ませた。両腕で顔を包み込み、瞳から自ずと零れ落ちる涙が周囲から見えないように隠した。


 彼は、辛辣ないじめにあっていた。元々、いじめらていた訳ではない。いじめられていた女子を救おうとして、いじめの主犯の子供に目をつけられてしまったのだ。主犯の子供は、権力者の子供で、いじめは学校に認識されてはいたものの、主犯が権力者の子供であったため、いじめの問題は見て見ぬふりをされていた。


「あっ、お兄ちゃんに消しゴムを借りたままだった」


 コナタは、机に座って筆記用具を出していると、筆箱にカナタから借りていた消しゴムが入っていることに気づく。お家で勉強をしていて消しゴムをどこかに無くしてしまった時に、ほらよとカナタが自分の消しゴムを貸してくれていた。その消しゴムがコナタの筆箱に入ったままになっていたのだ。


 お兄ちゃん、消しゴムないと困るよな。よし、お兄ちゃんのところまで行って消しゴムを返しに行こう!

 

 コナタは、急いで階段を上がってカナタのいる3階の教室に飛び込むように入った。


「お兄ちゃん、昨日、借りた消しゴム返しに来たよ!」

 

 教室に入ると同時に、元気のいいコナタの声が響く。


 あれ、お兄ちゃん、どこにいるんだろう……。


 コナタは教室に勢いよく入ったもののカナタの姿はない。念のため、もう一度さっと見渡してみたが、やはり教室の中にカナタの姿はなかった。


 コナタがカナタを探していると、教室の外側の廊下の奥から、調子のいい叫び声がした。もしかしたら、今の叫び声がしたところにカナタがいるかもしれないと思ったコナタは、廊下の奥へと向かう。


「お兄ちゃん……」


 コナタは、廊下の奥に向かうと衝撃の光景を目の当たりにし、思わず声が漏れる。


 何人かのクラスメイトに囲まれ、廊下の奥の壁の前で兄がうずくまっている。その光景が視界に入った途端、コナタは瞬時に状況が掴めず佇む。


 視界に映る兄の様子は、お家で見る生き生きとした兄とは全く違った。虚ろな目をして、負のオーラを漂わせる兄の姿だった。

 

 カナタは、近づいてきたコナタに気づくと、光を取り戻した目を大きく見開く。


「コナタ……」


 コナタの予期せぬ登場に、カナタの心は酷く揺さぶられた。


 コナタに、見られてしまった。


 いじめられているところを。


 どうする……この状況。


 なんとも言えない緊張が走り、少しの沈黙がとても長く感じられた。周囲に漂う暗く淀んだ雰囲気に触れて、コナタは、ようやく兄がクラスメイトたちにいじめられていることを理解した。


 ーー僕が、お兄ちゃんを救わないと。


 



 


 

 

 

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