第14話 風景、無自覚なタラシこみ


 運転手さんたちに涙で見送られながら、俺と西園寺さんは神社の境内に入る。


 手を握ってからというもの、西園寺さんはすっかり静かになっていた。ちらりと振り返って様子を見る。つばの広い帽子に隠れていたが、少しだけ見えた口元は、プルプルと震えながら口角が上がっていた。

 笑みをこらえているようだ。


 ゆっくりと歩く。

 境内を横切り、墓所に入る。


 俺が入り口で軽く一礼すると、西園寺さんも一度手を離し、ゆっくりと淑やかに頭を垂れた。

 先祖の御霊に礼を尽くす。彼女も同じ気持ちになってくれたのが嬉しかった。


 無言で再び、手を繋ぐ。

 墓所を抜け、山道に入った。ルリの鳥居がある、いつもの場所だ。

 ここでも祈りを捧げる。ただ、このときの西園寺さんは手を離さなかった。


「こんにちは、ルリ。ふふ、いいでしょう? これから礼哉さんとデートなんだよ」


 珍しく砕けた口調。西園寺さんにとって、今もなおルリは親友なのだ。

 まるではやし立てるように、梢がかさりかさりと鳴った。

 西園寺さんが帽子を押さえながら、言う。


「ここは心地よい場所ですね。私にも見えるような気がします。ルリの……山の生き物たちの魂が」

「そうだね。だけどさ西園寺さん。別に俺、幽霊が見えてるわけじゃないからな? 何度も言うけど」

「礼哉さんなら不思議じゃありません」


 なぜか自慢げに胸を張られた。俺が笑うと、西園寺さんも笑った。


 ルリに挨拶を済ませると、俺はさらに山道の先へと西園寺さんを案内した。この先は地元の人ですら滅多に利用しない。

 ただ不思議なことに、ふたり並んで歩くには全然支障がないくらいには、道の状態は良かった。


 春先。植物たちは道を塞ぐことなく、その生命力豊かな姿を俺たちに見せてくれる。


「あ、西園寺さん。あれ見てごらん。ウグイスカグラだよ」

「わあ……可愛いお花。ウグイス、カズラ? ですか? その名前にしてはつるが見当たりません……」

「惜しい。カズラじゃなくて、ウグイスカグラ。『うぐいす』の『神楽かぐら』って書く」

「へえ……」


 西園寺さんが帽子を取り、ウグイスカグラに顔を近づける。

 山道脇に生えた細い低木。その枝から、ひっそりとピンク色の花が咲いている。まるで小さなユリの花がお辞儀をしているような、慎ましやかな咲きぶりである。


「綺麗な色形をしているのに控え目なところ、なんとなく西園寺さんに似てるよな」

「……」


 何気なく感想を口にしたところ、西園寺さんが固まった。パッとつば広帽子を被り直し、うつむいている。


「鶯神楽って名前もさ、すごく綺麗な言葉だよね……あー、西園寺さん?」

「ひゃい!?」

「もしかしてキモかった? いきなりこんなこと言ってさ」

「とんでもないことでございますっ!!」


 すごい言葉遣いで否定された。

 やや気圧されながら、俺は苦笑する。


「ならいいけど。この散歩は西園寺さんに気晴らしをしてもらいたかったからさ。嫌だったら言ってくれよ」

「嫌だなんて、そんな」

「や、さっきうつむいてたから。もしかして恥ずかしかったのかなって」

「恥ずかし、くは、な――むぅ」

「ごめんな。だけど、綺麗だと思ったのは本心だから、勘弁してくれ」

「……礼哉さんはときどき、無自覚にヒドイです」

「へ?」


 首を傾げる俺を、西園寺さんは頬を膨らませて見上げてきた。繋いだ手を、ぎゅっぎゅっと強く握りしめてくる。さらに首を傾げながら、応えるように俺の方からも強く握り返すと、急に西園寺さんは大人しくなった。


「ほらぁ……そういうところです……」

「んん?」

「なんでもありません」


 そう言いながら、西園寺さんが歩き出した。心なしか、さっきよりも距離が近かった。


 ――その後も、西園寺さんのペースに合わせながらゆっくりと山道を登る。

 彼女の言うとおり、何か特殊な訓練でも受けているのかと思いたくなるほど、西園寺さんの衣服は綺麗なままだった。さすがである。

 里山だから標高はあまりない。道沿いに咲く花々を観察しながらでも、間もなく登り切る。


「さ、着いたよ」

「うわあ……ははっ!」


 俺が手を離すと、子どものように西園寺さんは駆けた。


 山道の先は、ベンチも標識もなにもない野っ原。手つかずの雑草が地面を覆う。

 ただ、視線を上げると、街を一望できるパノラマが広がっていた。

 沈みゆく太陽に照らされて、建物の陰影が美しく浮かび上がる。さらに視線を遠くに向けると、山の稜線やグラデーションを見せる快晴の空が見える。


 春の風が控えめに吹き上がってきた。気持ちの良い山のさざめき。稜線上の草や葉っぱが、「どう? どう? 見晴らしいいでしょう?」とぐいぐい迫ってくるような感じだった。


 瞳を輝かせて風景に見入る西園寺さん。その隣に並ぶ。


「ここ、俺のとっておきの場所なんだ」

「すごい。素晴らしいです!」

「そっか。良かった、気に入ってもらえて」


 ポケットに手を入れる。


「本当は駅前とか、もっと気の利いた賑やかなところがいいんだろうけど……ま、変わりモンのおっさんにはこれが限界ということで」

「礼哉さん」


 ふと、西園寺さんの声が低くなった。


「ご自分を卑下するのはやめてください。私は今、本当に感動しているんです」

「ん。悪かったよ」

「本当に、本当に、感動しているんです。私にここまでしてくださるなんて」

「西園寺さん」


 今度は俺の方から言い返す。


「西園寺さんこそ、卑屈にならないこと。今日のこれは、西園寺さんに元気になってもらうためなんだからさ」

「礼哉さん……」

「実家の方で何があったかは、詳しくは聞かない。ただ、遠慮なく頼ってほしい」


 そう言うと、西園寺さんはしばらく黙った後、「ありがとうございます」と目尻を押さえながら応えた。


 ふたり並んで、黄昏たそがれ時の緩やかな空気を味わう。


「――そろそろ下りようか。暗くなったら危ないし、運転手さんたちも心配する」

「はい。……あの、礼哉さん!」


 踵を返した俺に、西園寺さんが声をかけてくる。


「今日は、本当にありがとうございました」

「うん」

「ついては……私に、このお礼をさせてください」


 気にしなくていいよと答えようとしたが、彼女の真剣な表情につい、黙る。


「今度の週末、お時間をいただいてよろしいでしょうか」

「ああ、うん。予定はないから、構わないけど」

「ありがとうございます。ありがとうございます!」


 二度言われた。

 念のため、伝える。


「……そんな気張らなくていいからな?」

「はい」


 と答えつつ、彼女は宣言した。


「西園寺ことりの名にかけて、全身全霊、慨然臨之がいぜんりんしの精神で礼哉さんをおもてなしたいと思います」


 ……覚悟してくださいと言われたように思うのは、気のせいですか?



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