二次元オタクの旅
越後浪人
令和元年『海里』旅
令和元年の10月5日から羽越線を走る観光列車『海里』に乗る構想は平成30年の時点であった。ただ、何処へ行っても採用してもらえず、令和元年の8月に『海里』1番列車を単独の一般枠で申し込み、Triad primusの北条加蓮嬢が誕生日を迎える9月5日に席が取れなかったと通知されたので、第2希望の10月14日の便を申し込み、相席ではあるが同日の便が取れた。そんな状況でうちの親から『「海里」に乗りたい』と言われ、10月13日の便を申し込んだが、13日は都合が悪く、26日の便となった。10月12日と同13日の『がたふぇす』の中止が決まり、新津のレールフェスタも中止が決まった頃で、12日の台風が来る前の段階に14日の便と昼食にする予定だった酒田の洋食店『ル・ポットフー』をキャンセルし、『文章を書かないトラベルライター』横見浩彦氏と思考の系統で通じているうちの父H氏と同じ日の便にまとめた。鶴岡観光を出汁にH氏を体よく隔離しようとしたが、『家族じゃねぇな』と傲慢なことを言われ、失敗した。
『ラブライブ!』よりμ’sの飯田里穂女史のお誕生日である10月26日はipodのアラームにしているJupiterの『Over Again』で6時丁度に目覚めた。うちの母H女史には25日最終のカーフェリーで新潟に来てもらっているのでこの日の朝食は親子3人でパンとウィンナーである。H氏のSuicaをJREポイントに登録しようと思ったが失敗し、散歩がてら寺尾駅へ飛んで自分のSuicaに千円をチャージ。『海里』の車内で使うお金を補充した。
自宅に帰って、9時3分に折返し出発。9時15分発の列車を見送った後、Suicaに再びチャージして、『えちごワンデーパス』を改札機に通す。寺尾駅では予定通り、9時36分発の長岡行きに乗り、新潟駅3番線で下車。『海里』を待っている時間でコンコースに下りて特茶183円を買ったが写真撮影を終えた頃になると4番線に『海里』が来ており、エスカレーターを上がる時点でエンジン音を聞く。
行きの『海里』は2号車の8番D席を指定された。この列車は駅を出るごとに『全車指定席で自由席はありません』とアナウンスされるように、イベントスペースである3号車を除く3両が指定席であり、最後尾の4号車はパックツアー専用車両である。指定券自体も快速にしては高めの840円で、SLを除くと異例の金額である。但し、『海里』より前に小海線を走る『HIGH RAIL 1375』という先例があり、唯一ではない。列車は定刻の10時12分に新潟駅を出た。
『海里』の2号車は『リゾートしらかみ』初代青池編成の流れを汲むボックス席で、座席足元のレバーを下に引くと、座面を前に引き出してして足を伸ばしたり、横になったりできる仕様である。2代目青池編成にも踏襲されており、『海里』の設計ベースはその2代目青池編成である。
上沼垂信号場を通過し、貨物駅のある東新潟を通過。『きらきらうえつ』の停車していた豊栄駅を10時27分に通過する。途中、西新発田では対向の列車と交換すべく停車し、新発田駅に着いたのは10時38分。ここは1分停車で発車し、加治川を渡ったあたりから雲行きが悪くなった。胎内市で唯一の停車駅である中条には10時50分に着き、米坂線との乗換駅である坂町着が10時58分。村上に着いたのは11時9分で、停車時間は短く、デッドセクションを通過したのは11時11分だった。この列車はハイブリッド式の気動車なので惰力で走らざるを得ないわけではない。『海里』の車内で自宅から持ち込んだ漫画版『ガールフレンド(仮)』が活躍する。
村上駅を出て、三面川を渡ると日本海を望み、遠くに粟島を拝める。桑川の手前で清酒の試飲会が始まり、鶴岡まで行うという。軽く試飲して桑川に停車した。桑川駅では15分余の停車で、1番線に停まるので改札を出てWi-Fiを拾い、展望台から粟島を撮った。
11時42分に桑川を出て、出発前に予約しておいた『加島屋御膳』1,800円を開けて昼食にする。『海里』は桑川駅から2つ先の越後寒川駅まで速力を落として走る。
加島屋の 弁当開けし 列車旅 粟島望む 笹川流れ
焼き鮭は旨味が効き、松前漬けも癖が無い。海老しんじょうと柳ガレイも平らげた。しんじょうとは南九州でいうところの天麩羅、いわゆるさつま揚げに似た揚げ物で、柳ガレイは柳ムシガレイという細長いカレイのことだという。西の方では笹ガレイと言われ、実は北陸の日本海沿岸に広く分布する魚だという。
列車内でだだちゃ豆のクッキーと煎餅を袋で頂く。『だだちゃ』とは『父ちゃん』という意味だそうで、庄内藩の殿様に『誰が作った豆だ』と、訊かれて答えたのが由来だったそうである。
越後寒川駅を通過すると、勝木、府屋、鼠ヶ関と通過するが、親族イベントで一杯食わされた『舟小屋』の辺りから山形県沖地震の爪痕を感じる。小岩川駅を通過して12時19分あつみ温泉駅着。中線である2番線に停車し、『海里』の45分後に新潟駅を出た羽越線特急『いなほ3号』を待避する。今日の担当ははまなす色の編成で、折返しの『いなほ12号』もはまなす色である。
『いなほ3号』があつみ温泉駅を出た3分後の12時29分に『海里』も出発する。霧の中を走り、庄内平野を走る。鶴岡市もあつみ温泉駅より北のエリアを走ると田んぼが目立ち、この辺りも米どころ、という印象である。山形県のうち、毎年のように新酒祭りが行われるのが鶴岡市の大山地区で、例年、新酒祭り毎に特急『いなほ』号2往復と『海里』の前任だった『きらきらうえつ』1往復が羽前大山駅に停車する。事実、『有加藤』の純米吟醸は飲んで美味しく、首都圏で暮らしていたなら送料を払ってでも飲みたい清酒である。鶴岡には12時54分に着いた。
鶴岡を出た後、余目を出て最上川を渡ればラストスパートである。この羽越線は日本海縦貫線に組み込まれており、往年の寝台特急『日本海』と『トワイライトエクスプレス』は言うに及ばず、20年ほど前なら1千キロを超える走行距離と13時間余の所要時間を誇った昼行特急『白鳥』が有名だが、貨物列車も多く、単線区間が多い割に物流街道で、時々貨物列車に遭遇する。このときの余目駅がそうで、北から来た蒼い電気機関車が列車の先頭に立っていた。
酒田駅に着いたのは13時19分。定刻、それも改札真ん前の1番線だが、自転車に乗ろうとすると、枠がいっぱいで、タクシーを借りようか、バスに乗ろうか、と迷った。結果はH氏の機転で2台だけ借りることができ、追加料金を払う必要がなくなった。
酒田駅を出るとき、H女史が馴れない自転車に苦戦する。実際、以前乗っていた自転車よりサドルが高く、全く足がつかない。10月14日に行くつもりだった『ル・ポットフー』があるビルと移転すべく建設中のビルを通過し、本間家旧本邸を指して進む。自転車に追いつくべく、歩いたり走ったりしたので、10月末と言えど、汗を大量にかく。右折する通りを間違えたが、『清水屋』の看板でそれに気づき、左折して旧鐙屋を指す。人から聞いたりもして何とか探し当て、両親が自転車を停めている時間で入場券330円を3枚買う。そのうちの1枚は障害者割引で安くなったので、160円になり、170円安くなった。ここは酒田三十六衆の筆頭だったそうだが、本間家は更に別格だという。商談をするための区画と船主を泊める部屋があり、船を保有しているわけではなかったという。『鐙谷』の姓は伊達政宗公の母方の伯父である最上義光公から授かり、『鐙屋』の屋号もそれに由来するという。13時46分に着いて14時11分に出発したので随分慌ただしい見学だったが、行った甲斐はあった。帰りは自転車の1台を入れ替えて旧本間家周りで帰るが、遠く離されてしまった。
酒田駅に戻ると上りの『海里』は既に3番線に居り、新潟からの特急『いなほ5号』が来る頃だった。今日は瑠璃色の編成が担当し、折返しで最終便の『いなほ14号』も瑠璃色、ということになる。
15時前に改札を通過し、3番線に行くと『海里』のドアは既に開き、最後尾の1号車に乗る。指定された席は6番のA・B・C席で、指定席料金は往復とも片道1枚840円だが、消費税増税前に申し込んだので820円である。えちごワンデーパスときらきら日本海パス、往復のお弁当を足しても1万円余である。
『海里』の1号車秋田方には立ち席型の展望スペースがあり、お茶屋や酒類を飲める。そこは前任の『きらきらうえつ』より若干劣化し、別のところで強化されたところである。座席は今までみたこともない形状のリクライニングシートが若干窓側を向いて、配置され、小田急VSEロマンスカーに範を取ったか、という仕様である。シートピッチも特急列車のグリーン車より広く、テーブルとの間が大幅に開く。この辺りは『リゾートしらかみ』の2代目青池・橅の両編成で見たことが無く、信州の『リゾートビューふるさと』や陸奥の『リゾートあすなろ』でも見た覚えがない。
列車は定刻の15時2分に酒田駅を出て、アナウンスがなされるが、行きも帰りも『全車両指定で自由席はありません』と念を押している。そもそも行先表示からして『快速 海里』と『全車指定 新潟』または『全車指定 酒田』の交互表示で、停車中から『全車両指定席』とアナウンスしている。
列車が出て直ぐは『海里』のメイキング映像を流している。そこは良い傾向であるが、乗車前に帰りの『庄内弁』2千円3人分のバウチャー券を持たされ、当初、後述の『FOODEVER』を出汁に体よく隔離するか、羽越線のダイヤクラムを使って体よく逃げようかと思ったが、それも1枚のバウチャー券で見事に潰された。『海里』の売店で駅弁を売ってくれないのである。衛生的になったという考え方もできるが、やはり駅弁を売ってくれないのは悲しい。純米大吟醸も十分ではなく、出発前にTシャツで包んで持ち込めばよかったと後悔している。うちの父には『北雪』の純米カップを持たせた。
途中、陸羽西線の列車と離合した後、余目に停車し、鶴岡駅に着いたのは15時26分。この駅では23分停車する。その23分で庄内の食を売り込む施設で、料理や酒類、お菓子を楽しめるのが鶴岡駅から左手に歩いた『FOODEVER』である。流石に藤沢周平先生を追うことは叶わないが、女性の知り合いでも誘いたいくらいの物件である。『海里』の4号車、すなわち旅行商品枠専用の待合室『彩鶴』もそこにある。駅舎にあるNewDaysでだだちゃ豆のシフォンケーキと列車内で飲むお茶を買い、列車に戻ると、遅れの貨物列車が通過する。出発直前に笹川流れがアナウンスされ、定刻に発車。
『温泉むすめ』より、あつみ詩鶴嬢の故郷、あつみ温泉の玄関口であるあつみ温泉駅に着いたのは16時14分で、駅の階段にはエレベータやエスカレーター、スロープは見受けられなかった。『海里』があつみ温泉駅を出た直後に酒田からの『いなほ12号』が鶴岡駅に着く。新潟からの『いなほ7号』と離合した後、鼠ヶ関で『きらきら日本海』から通過待ちを受け、何台分かのレンズに迎えられた。『きらきら日本海』号とは8時51分に秋田駅を出て、午後に折返し新潟駅を出て秋田に帰ってくる列車である。10月の25日から27日だけ運転される臨時列車で、車両は前線から引退した『きらきらうえつ』であり、車両自体も12月15日でラストランを迎える。
鼠ヶ関の後、府屋と勝木を通過し、越後寒川付近で速力を落として窓を開ける。越後寒川の次の今川駅では客扱いをせず、村上方からの列車をやり過ごすのみである。対向列車は国鉄世代の気動車が2両編成で、既に日も落ちつつある。
桑川駅に着いたのは16時51分。跨線橋を渡って『道の駅 笹川流れ 夕日会館』に入りレストランでアオサ汁百円を買った。この日は寒いので温かい物が嬉しい。駅の方を見ると17時を過ぎたあたりで羽越線特急が通過していた。
桑川の 夕陽に浮かぶ 粟島の 雄々しき影こそ いとをかしけれ
この日は生憎の天候で茜空を拝めなかったが、晴れていれば格別の夕陽である。上りの『越乃Shu*Kura』が青海川駅から見る夕陽を目玉にしているように、上りの『海里』では桑川駅で沈む夕陽を目玉にしている。それゆえ停車時間も長く、待避している時間を有効に使える。アオサの味噌汁で温まった後、列車に戻り、『庄内弁』を受け取った。蒸し卵は今まで食べたことのない味で、めっこい巻きは鮭の旨味が効いている。山形牛のローストビーフも嬉しく、パプリカは酸味が強かった。
30分停車を終えた17時21分に桑川駅を出た。桑川で抜かれた『いなほ12号』は既に村上駅を出ている。外を見れば既に暗くなっていた。
桑川を出た後、デッドセクションを通過し、村上駅に着いたのは17時36分で、『きらきらうえつ』が通過していた坂町、中条と停車する。加治駅の手前、即ち18時ごろに『海里』の売店は閉店。明るいとき、鶴岡から流していた運行中動画やPVも酒田を出たときのメイキング映像に戻り、18時7分に新発田駅を出ると、白新線を走行、豊栄駅を通過していつの間にか上沼垂信号場すら通過し、新潟駅の高架橋を走っていた。列車は1分早い18時半に新潟駅に着き、同日行われていた『コスプレガタケット』に行くこと叶わず、2番線に待つ内野行きに乗り換えて帰り着いたのは19時18分だった。『海里』の車両自体も18時35分頃に越後線の白山駅へ引き上げており、うちの両親とではなく聖櫻学園のガールとでも乗りたい列車だった。
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