■ EX39 ■ 閑話 それぞれの悩み:フロックス家 Ⅴ






 そこからどうやって家に帰ってきたのかもアレジアはよく覚えていない。

 気付けばベッドの上で呆然と座りこけていて、頬をしとどに濡らす涙は止まらず、身体を動かすことすら億劫だった。


 ストラムが部屋にいない、ということはどうやら自分が叩き出したのか、もしくは空気を読んでストラムが自分から部屋を去ったか。

 いずれにせよ自分はろくでなしな行動を取ったのであろう。それだけはアレジアにはよく分かってしまう。


 何せアレジア・フロックスはどこにでもいる凡百な男爵令嬢の域を出ないのだから。

 その心の強さも、やはり凡百の域を出ない。自分の失敗で他人に八つ当たりしてしまう程度には。


「私、なんで特別になりたいなんて思ったんだろう……」


 そもそもプレシアやフィリーと張り合いたいと思うこと、それ自体が思い上がりだったのだ。

 今の時点でも十分に幸せなのに、もっと見て貰いたい、もっと頼りにされたい、もっともっと役に立ちたいなどと分不相応な願いを抱いて、そして自分勝手に破滅した。

 そんな自分の愚かしさにほとほと嫌気が差す。馬鹿だから、失われない限り自分が恵まれていたことを理解することもできないのだと。


「唯一の救いは明日私が消えてなくなっても、アーチェ様たちが困ることはない、ってことね」


 終わりにするなら早い方がいい、とアレジアは己の両目を覆うように右掌を頭に当てる。

 幸い、アレジア・フロックスはそこそこ殺傷能力に優れた雷神の加護を授かっている。男爵令嬢故に総魔力量と瞬間出力は控えめだが、それでも頭を焼き切る程度の火力は出せるはずだ。


 そう、やるなら早い方がいいのだ。

 アレジアが憂鬱な顔をしていれば、それだけ周囲の皆はアレジアを心配してくれるだろう。


 ミスティ陣営の面々は、こいつは使えないからもう放置でいいや、なんて考えるような人たちではない。

 だからこそこの権謀術数渦巻く貴族社会でも、ミスティ陣営中核メンバーにアレジアは絶対の忠誠を誓った。

 彼女たちの役に立つためにアレジアができることはもう、余計な心配をかけさせないだけなのだから――


 顔を掴んだ右手に、意思を込めて、雷神に希う。

 願わくば、この非才の魔術であっても苦しまず一撃で終われますように。





 そう、願って。





 そうして、魔術は発動しない。





「ふぐッ……うぅ、あぁああああっ……」


 己のあまりの愚かしさにアレジアは嗚咽し、力無くベッドへと倒れ込んだ。

 もう自分にできることはこれしかないのに、たった一つ残された恩返しすらも自分には怖くてできない・・・・・・・。身体が動かない。


 魔力が満ちているのに魔術が発動しないなんて、神々はそんな差別や贔屓を行なうはずがない。

 魔術が発動しないのは、アレジア自身がそう願っているからだ。


「最低だ……最低のクズよ、私は……ぁあ……」


 まだ死にたくない。皆が幸せな未来を目指しているのに、一人だけ無様に脱落したくない。

 こんな目に合っても、こんな目になってもまだアレジアはみっともなくそんな楽観的希望に縋り付いて、生きることを止められないでいる。


 この先生きていたって、決してアーチェたちの役に立つどころか足を引っ張ることしかできないと分かっていても、もしかしたらと考えている。

 今日一日で、それこそたった一日で散々打ちのめされる程度の雑魚の分際で、愚かにもまだそんな夢想を抱いている。

 それは無理だと理性はキチンと理解しているのに、感情が生き汚さを手放してくれない。楽観的未来をがっちり掴んで放そうとしてくれない。


「今日一日だけで、永久に自分を嫌いになれるわね」


 一度無様に傷つけば、その傷口から醜い地金が露呈する。アレジア・フロックス男爵令嬢は偽善という薄いメッキで舗装した薄汚い屑鉄に過ぎないと、嫌と言うほど分かってしまった。

 零れる自嘲と共に、アレジアは改めて己の頭蓋目掛けて雷を放つ。もっともそれは人を殺すどころか痺れさせることすらできない極低出力の雷で――


「――え?」


 それと同時に、一瞬、確かにアレジアの視界に己の手が映った。

 常時形を変える四次元立体のそれではなく、きちんと五本揃った、白魚のそれとはちょっと言いがたいペンだこができかけている己の手だ。


「いったい、どうして……」


 再び己の頭に雷を放ったアレジアは「はうっ!」っと情けない悲鳴を上げてベットの上をのたうち回った。今度は出力が強すぎたのだ。

 さっきのように視力も戻らずチカチカする視界の中、手探りで位置取りを確認しポーション瓶に手を伸ばして蓋を開け、中の液体を軽く顔に塗ってようやく一息。


 生理現象で涙がボロボロと零れること鬱陶しいが、今やアレジアの胸中には失いかけた希望が再び舞い戻ってきていた。


――見えた。今、ちゃんと手が見えたのは幻なんかじゃない。現実だ!


 改めて、とにかく、極めて細心の注意を払って、再び【発雷】を発動。可能な限り出力を絞った雷が眼球を駆け抜けると――


「見える、見えるわ! 私にも刻が見える!」


 確かに部屋の様子が一瞬だけだが、確かにアレジアの目に映った。

 見慣れたいつもの部屋。落ち着ける場所。殺風景な貧乏男爵家の娘の部屋が、確かに。


 何故雷を放つと見えるのかなどアレジアにはさっぱり分からない。フィリーほど探究心が強くないアレジアに重要なのは過程ではなく結果だった。

 必要なことは、雷神の加護を可能な限り極低出力で。しかし低出力を意識すると放たれる雷は一瞬で止まってしまう。見えるのもその一瞬だけだ。


――雷神の加護を、手を翳さずとも、とにかく弱く、限界まで弱くしつつ、常に眼に流せるようにする。


 だがフィリーほどの探究心はないとはいえ、アレジアもアーチェに学習の重要さを説かれて鍛えられた腹心の一人だ。

 問題を直視し、解決策の糸口が見えたなら、そこで投げ出すなんて絶対に有り得ない。そこで諦めたらアーチェに呆れられる。

 他人からどんな感情を向けられても笑顔を堅持、とアーチェには厳しく指導されていたが、それでもアーチェに失望の目を向けられたら、きっともうアレジアは笑っていることなどできやしない。


 己の醜さを嫌と言うほど知って、しかし自殺もできないような情けない十把一絡げの男爵令嬢だからこそ、


「貪欲じゃなきゃ、生きていけないもの」


 拳を握りしめ、アレジアは再起する。

 誰もが己の魔術能力を高めたいと考えている貴族社会で、この時より唯一。

 アレジア・フロックスは自分の魔術行使を極限まで弱めようとする魔術師となったのである。


 まあ、ある意味それも特別で唯一無二であろう。

 無論、それは世の中において殆ど役に立つことのない唯一無二であるのだが。






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