2話目 真夏の大冒険
児童公園の外に出ると、相変わらず住宅地は静まり返っていた。
暑い日差しが照りつけ、たまに聞こえる蝉の声で、静寂という印象は受けない。
でも、人がいないという不思議な空間が広がる。
それは、自分以外の人間が居ないという異質感だった。
歩いてゆくと、急に視界が開けるところがある。
そこで道路は突き当たり、左右にしか行かれない。
そこは断崖になっていて、眼下に家々が見える。
昔地理で習った、河岸段丘というやつだなと思う。
そしてまた、私は当て所もなく夏の住宅街を彷徨う。
この先に北斗君の家があると思うと、冒険の足取りも軽くなる。
でも視界が変わらない。
確かに家は、新しい三階建の家、古い木造の家、大きい家、平屋の家、空き地、とさまざまだけれど、住宅地というフィルターをかけると、みんな同じに見えてくる。
自分がどのくらいこの住宅地を彷徨っているのか、すでに分からなくなっている。
おそらくこの暑さで、自分の体にも相当の負担がかかっているのはわかる。
でも、冒険の高揚感がそれをかき消していた。
段丘を下る坂があり、そこを下る。坂は木々に覆われ、そこだけ少し涼しかった。
坂を下ると少し大きな道路があり、車が行き来している。
今まで彷徨っていた住宅街の下がトンネルになっていて、大きい道路が通っていたようだった。
百メートルくらい行ったところに、大きな交差点がある。
その先に大きなマンション。
私はこのマンションをどこかで見たことがあると思った。
北斗君に見せてもらった、家の後ろに写り込んでいたマンションだ。
えっ、じゃこのあたりか。
この交差点のどこかの角から、二軒くらい入ったところだ。ここだ、この当たりだ。
思い出すんだ、あかり。あのマンションがどういう角度で映り込んでいた。
私は暑さで朦朧となった自分に喝を入れた。
一階にコンビニ。
コンビニが見えたということは、今自分が立っている角か?
渡った角だ。
私は交差点を見渡す。
渡った角に細い道が見える。
あの奥かもしれない。
そして私は横断歩道を渡って、その細い道に入った。
そこは私道というもので、そのまま抜けることができる。
でもその途中に、北斗君から見せてもらった家があった。
ここだ。
急に私の全身から力が抜ける感覚がした。
玄関先でおばさんが、ジョウロで水を撒いていた。
私は安堵感からか、その場に立ち尽くした。
「あら、どちら様。うちに何か用?」
「あっいえ、なんでも、いや、ここは斎藤北斗君のお家ですか?」
「うーん、厳密にいうとちょっと違うけど。そうよ」
「あっ私、北斗くんと同じところでバイトさせてもらっていた」そこまで言って、おばさんは私の言葉を遮った。
「あかりちゃん。あなた、修学館大学のあかりちゃん」
「あっ、はい、なんで私のことを?」
「北斗が言っていた。秀岳館大学って何処って。目白じゃないって。なんでって聞くと、そこの女子大生と一緒にバイトしているって言っていた。あかりちゃんてあなたのことね」
「あっ、はい」私は北斗君が、私のことを家族に話していたことが嬉しくなった。
「今日は、北斗に会いに来たの?でも北斗もう茨城に行っちゃって。こっちには帰ってくるかわからないのよ」
「あっいえ、別に」と言ったところで、私は気が遠くなって、壁にもたれかかった。
「あっ、ちょっと、あかりちゃん」という声が聞こえたけれど、さらに私はその場に崩れ落ちた。
「あかり、バカだな。なんでこんなことを、頑張りすぎだよ。あかりになんかあったら」
「北斗君、ごめんね。でも私、北斗君がカナダに帰るまでに、もう一度きちんとサヨナラが言いたかったの」
「バカだな」
「えっ」私は、弾かれるように起き上がった。
おでこには、冷たいタオルが置いてあったらしい、起き上がった拍子に胸とお腹の上に落ちている。脇と胸にも冷たいタオルが刺しこまれていた。
「あっ、すみません、私」
「気がついた。驚いた、急に倒れるから。もう少し待って気がつかなかったら、救急車を呼ぼうかと思ったくらいよ」その言葉は全然非難がましくなく、私は迷惑をかけた事がわかっても少し安心した。
「ごめんなさい。私」
「でもよかった。北斗いなくて」
「なんでですか」
「うん、ちょっと体が熱かったから、冷やすためにちょっと胸を開けた。ごめんね、下着が見えたけれど、女だから許して」
「いえ別に」
「あっそれ、北斗の口癖でしょう」
「あっいえ」
「移っちゃった?。よほど言っていたんだね」
「そんな」
「その布団、汗臭さかったらごめんね。北斗が寝ていた布団だから」
「そうなんですか」じゃ私は北斗君に包まれて寝ていたのか。
「まあ、そもそもこの部屋は、北斗がいた時に使っていた部屋だから」おばさんは冷蔵庫から、麦茶らしきものをコップに注いで、持ってきた。
「そうなんですか」
「まあ、冷たいものでも飲んでよ」
「すみません、いただきます」冷えた麦茶が美味しかった。
迂闊にも一気飲みしてしまった。
「はいおかわり」と言ってさらに注いでくれる。
「基本、北斗ここにいないから。連絡してあげようか」
「連絡取れるんですか?」
「うん、電話はできないんだけれどね。メッセージなら送れるから」
「いえ、いいんです。私、ただ北斗君がどんな街に暮らしていたのか見てみたくて」
「ここ教えてもらったの?」
「当てずっぽうで、だからお昼くらに着いたんですけれど。ぐるぐる彷徨って」
「えっ、彷徨うってもう四時近いよ、じゃこの辺、二、三時間歩き回ったの?」
「はい」
「今日、この夏一番の暑さだよ」
「はい、暑かったです」
「呆れた。でも何事もなくて良かった。じゃあ、涼しくなるまでいなさいね。また倒れたら大変なだから」
「いえ そんなご迷惑は」
「いや、いや、うちに来て、その辺で倒れられた方がよほど迷惑だから。お願いだからゆっくり休んでいって」
「あの」と私は言った。意を決して、尋ねることにした。
「何」
「北斗君、いつカナダに帰るんですか」
「ああと、明後日だったかな。羽田」
「成田とかじゃないんですか」
「今は羽田からも出ているから。あっ見送りに行く。だったら、メッセージ入れておいてあげるよ。羽田でお茶でもすればいいじゃない」
「いえそんな、そんなつもりでは」私は滑稽なほど狼狽えてしまった。その狼狽え方でわかってくれたようだった。
「まあ、母親と妹も一緒だからね」
「ご家族とご一緒なんですか?」
「今回はね」
私は、仏壇にある写真に目がとまつた。
北斗君ともう一人女の子の写真だった。
「ああ、あれ、北斗が高校を卒業した時の写真。卒業祝いに撮ったらしいの。おばあちゃんに報告する意味で、妹とともに立てかけてあるの」
「そうなんですね」
「あっ、もっと見る。アルバム持ってこようか」
「いえそんな」
「いいから、いいから、持って来てあげるね。それでも見て休んでいって」そう言って奥からアルバムを持ってきた。
「どうぞ、私は洗濯物取り込むから」おばさんがいなくなると、遠慮する気持ちはなくなり、アルバムを開く欲望に贖えなくなった。
開いたアルバムには、北斗君の小さい時からの写真があった。
そこには北斗君の全てがあるような気がした。
私とは全然接点がない人なのに、なんだか近くに感じられた。
私は、北斗君が高校の卒業の時に撮った、写真を写メした。
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