ひるふぇんこ ➖大地の使者➖

久路市恵

檸檬色の空



 ➖ 月は敢えて姿を隠し

     異郷の番人 守りの天使

       君を想い 大地は願う ➖




 高層ビルが立ち並ぶ、

 洗練された街並み、

 多くの人が行き交うオフィス街。


 誰もが前を向き上を見上げ、

 き生きて共存しあう場所。


 日中、このき生きとしているオフィス街は夜になると明かりは消え、物静かに落ち着きはらいまるでゴーストタウンのようだ。


 並木通りの銀杏いちょうの木の下で女がきょろきょろと辺りをうかがっている。


「あそこでいいのよね」


 路地の入り口を確認し、こくりと頷き人目をはばかるようにして小走りにビルの谷間へと入って行った。


 路地を抜けるとそこは一般女性が生涯立ち入ることのない店が軒を連ねている。

 

 花街と言えば聞こえは良いがいわゆる風俗街のことだ。


 真上の街灯はカチカチと音をたてながらついたり消えたりを繰り返し、闇を照らす灯の明暗は女の視界をぼやかしてみせた。


 何度も目を擦っては細めて擦ってはこらして見入る。


 そこはイメージしていた歓楽街とは違う風貌で薄気味悪くて足を踏み入れたくない印象が先に立った。


「なに……ここ」


 赤提灯や青提灯、紫色や緑色した暗灯が混じり合ってネオン街とは少々違う趣きだ。


「さっき見たのとよく似てる」


 ここに来る途中、普段気にも留めない店先に貼られたポスターを思い出した。


 キュウフンという台湾の観光地の街並みによく似ている気がする。


 だけどここは澱んだ空気が覆い被さり闇に蓋をされているようだ。


「下品な街だもの……こんなもんよ」


 その時、不意に右肩をかすめて、なにかが通り過ぎた。


「うっ……」


 心臓がぎゅっと締め付けられ思わず身を縮めた。ヨレヨレのスーツを着た小太りの男がくたくたの靴を引きずりながら歩いて行く、


「はぁぁ……」


 と安堵し背筋の力を抜いた。


「びっくりさせないでよ」


 と頬を膨らませる。男の後姿うしろすがたを眺めていると電柱の横にふわりと人影が現れた。なんとなくその身姿に惹きつけられて一歩、また一歩と歩みを進める。


 街灯は華奢きゃしゃな貴公子然の青年を仄かに照らし照らされた白い肌は透き通るような美しさで自ら光を放っているようだ。


 すると小太りの男は目の前にいるはずの青年に気づかずその身体を通り抜けて行った。


「えっ……今の……なに」


 立ち止まって無意識に呟いた。


 薄暗い街を異常な程に明るい『ナイトラブ』の電飾スタンドが錯覚を起こさせたのかもしれない。


 そんな思いを巡らせながら男の行動を目で追っていると不意に電飾スタンドにピタッっとへばり付いた。


「蛾か、気持ち悪っ!」


 しまりのない男の顔を見ると虫唾が走る。嘔吐えずきそうになる胸をさすった。


 電飾スタンドに照らされた顔は悦に入りうっすらと笑っている。緩んだ口元からとろりと垂れる唾液、股間のイチモツに両手を添えると先程までの重そうな歩行とは違って軽々と素早い足取りでいそいそと店内へと入って行った。


「クズ!死ね」


 侮蔑ぶめつする目つきは鋭く再び目を擦り目線を上へと向けた。


「ナイトラブ🤍ソープランド」


 淫らな文字に顔を歪める。噂で聞いた通りここら一帯は垣根の低い店が建ち並んでいる。垣根の低い分、草むらにすだく虫のような男たちが群がってくるのだ。


 嫌悪感を抱きさげすむ眼差しで口をへの字に曲げて首を二、三度振った。


「こんな所、私が来る所じゃない」


 来るべきではなかったと踵を返した時、


「待ってたよ」


 間近に声が聞こえ振り向くと貴公子然の青年の澄んだ瞳が目の前にあった。


「うわっ!」


 そのまま地面に倒れ手を着く間もなく後頭部を打ちつけた。次第にぼやけていく意識の中に顔が入り込む。


「あんたたち……だれ」


 朦朧もうろうとする意識は目を閉じるとともに落ちた。

 

「あぁあ。殺ちた」


「殺してないよ。大丈夫かな」


「大丈夫かなって心配してる時点でんだ」


「死んでないよ」


「後頭部打って脳挫傷、死亡ちぼう


「死亡してないよ」


「後頭部打ちつけたから記憶喪失」


「少々打ったくらいでそんなことにはならないよ」


んだらんだで構わないけど、んだらんだで、ボーデンの餌になるだけ」


「餌って言わないで」


「餌は餌だ。お前が殺ちた」


「僕は命を奪うタイプじゃない」


「じゃあ!あたちが殺ちた。あたちの勝ち」


「勝ちではないよ。勝負をしているわけではないだろう。その……すぐに『あたちの勝ち』って言うのやめて」


「あたちの勝ち、あたちの勝ち!バカじゃないの!この世に生きてる限り全ては勝ち負けなの!わかる!それがこの世界の掟」


「……」


 グードは呆れ顔で女を抱きあげた。


「無視するな。グード」


「さぁ、ブーゼ空を見上げて」


 二人が揃って闇夜を見上げれば暖かな風がくるくると渦を巻き地面をうように吹き抜ける。


 卑猥ひわいな文字が散りばめられた脂粉しふん漂う歓楽街の時間ときは止まり、ページを捲るように景色が移ろい、檸檬色れもんいろした空の下、荒涼とした景色に聳え立つ石造りの館、ブーゼが門扉に指さすと門番が現れ扉を開き二人は館へと入って行った。




 




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