【夢堕ち】

「悪い夢を全部食べてもらえるとしたら?」

「……大食漢だな」

「私が食べるんじゃないから!」

「分かってる」

「で、どう?」


「この退屈な毎日という悪夢を食べて欲しい」

「残念ながらこれは現実よ」

「でも現実で俺にこんな可愛い彼女できるはずない」


「……じゃあ、もっといい夢見ちゃおっか」


***


 そう言って彼女からプレゼントされたのは、不思議な飾り物。なんでも寝室に飾るらしい。


 ――これを飾るとね、いい夢だけを見ることができるんだよ。


 あの日、俺の期待は外れた。

 もっといい夢を見よう、と言うものだから、てっきりお泊りデートでもしてくれるのかと思ったのに。


 ……そんな風に考えてしまう自分が、少し嫌になる。


 でもさ、もう付き合って3か月。

 ちょっとくらい進展があっても良くないか?

 俺たち二人、キスだってまだなんだぜ。


 まあ、彼女はすげー美少女だし、毎回のデートは楽しい。

 大学生活は充実している。

 人並み以上に幸福な生活であることに間違いはない。


「でも、刺激が足りないんだよなあ」


 思わず口に出してしまうくらいには、退屈している。

 ちょっとこの飾りは趣味に合わないけれど……。

 夢でもいい。刺激的な何かが起こって欲しい。


「これでよし、かな」


 寝室の窓のふちに飾りをかける。

 何かが変わればいい。そんな期待を込め、布団にくるまった。


***


「――って、夢見らんのかい!」


 起床して第一声、俺は思わずツッコミを入れた。

 誰に、と聞かれると困るが、あえて言うならこの現状に。

 いい夢も何も、第一、夢を見た記憶が無い。


 まあ、こんなものは、所詮オカルトグッズ。

 退屈をこじらせた大学生が、馬鹿な期待を外しただけだ。


 布団の上、あくびと伸び、それから着替え。

 ああ、今日もまたそれなりで、退屈な日常が始まる。



「いたた……」


 家を出て、駅へ向かう途中。

 曲がり角で女子高生と衝突した。

 

 ――それも、どえらい美少女と。


「だ、大丈夫か?」

「平気です」


 俺の彼女にそっくりなその子は、見えそうになっていた所をスカートで「ばっ!」と隠し、立ち上がる。くそ、惜しかった!


「……変態」

「あ、いや、ごめん」


 視線には気をつけていたつもりだったが、初対面の男に堂々とツッコむくらいにはスケベな目つきをしていたらしい。


「こういうのがいいんでしょ?」

「……へ?」


 いきなり、何言ってるんだ。


「あれ、違った? オーダー間違ったかな」

「ごめんね。ちょっと病院行く?」


 どうやら頭のおかしい子らしかったので、一度お医者さんに診てもらうことを提案した。


「んもー、馬鹿なの!?」

「ええ!?」


 嘘だろ、馬鹿に馬鹿と言われるとは思わなかった。

 これでも学年で10位以内には入るぞ、現代文の点数だけは。

 Fランだけど。


「夢に決まってるでしょ、夢」


 予想だにしないことを言われて、理解が追い付かずにいる。


「呼んだの、あなたでしょ。私、夢喰い少女だから!」


 そんなドヤ顔で言われても、ピンと来ない。なんだそりゃ。


「夢喰い少女、ってなに?」

「ふふん、アンタって、ホント馬鹿なやつね!」

「また馬鹿って言った!」

「退屈な悪夢を食べて、って願ったくせに、退屈を求めるの?」

「は?」


 確かに、そう願ったけれど。


「説明なんて退屈でしょって言ってる!」

「ああ、そう言うことか」


 しかしながらいまだに信じられないのだ、これが夢だと。


「あーもう、じれったい!」


 言うが早いか、彼女は俺の手を掴み、身体ごとぐいぐいと引っ張っていく。


「えっ、ちょ、おい!」

「刺激が欲しいんでしょ? だったら、私が解決してあげる!」


***


「いや、お前さあ。確かに刺激が欲しいとは言ったけど……」


 目の前にあるのは、お城みたいに豪華で、綺麗なホテル。


「なによ。い、いやなの!?」


 強気な言葉に反して、彼女の身体は震えていた。


「無理すんなよ。しかもお前、女子高生だろ? できねえよ、そんなこと」

「ふ、ふーん。あなたって童貞意気地なし陰キャラくんだったんだ?」

「ああ!?」


 なんだこのメスガキ。


「なによ、悔しいんなら胸の一つでも揉んでみなさいよ!」

「くっ……」


 彼女は見せびらかすようにして自らの胸を揉んだ。

 夢喰い少女って言うか、半端なサキュバスみたいなヤツだな。


「あのなあ。お前が可愛いのは認める。正直、すっごい可愛いよ」

「はあ!? ……ええ、まあ、分かってるわよ? そんなこと」

「しかしだ」


 大事なことには順番がある。


「俺には、彼女がいる。お前には悪いが、お前の100万倍は可愛くて性格も最高な彼女がな」


「い、1000万倍……?」


 目の錯覚か、桁がひとつ増えたようだが。

 まあいい。増える分には誤差だ。


「だから、お前のことは抱けない」

「……」


 自らに言い聞かせるようにして、ドヤる俺。

 ……本当は、自らに言い聞かせるようにしている時点で、ドヤ顔なんてできるほど人間できちゃいない。それは分かっている。


「……パンツ見ようとしてたくせに」

「それを言われたらおしまい」


 鋭い切り返しに肩をすくめる。

 まさにぐうの音も出ない。


「でも、分かった。あなた、彼女のことを大切にしているんだね」

「おう」

「じゃあさ、こうしようよ」


 夢喰い少女を自称する美少女は、後ろ手を組んで一歩、二歩と軽やかに俺の前を行く。

 それから振り向いて、こう言ったのだ。


「大切な彼女をもっと大切にするために、エスコートする練習をしよう」


 差し伸べられた手は、白魚のように白くてほっそりと美しい。


「……ん-、まあ、それくらいなら良いかな」

「夢なんだから、それくらい良いって!」


 ゆっくりと掴もうとしていた手を、彼女はぱしっと掴んで強く握る。


「はい、ほら、どこに連れて行ってくれるの?」

「ん-、そうだな。あいつの行きたいところと言えば――」



「すーいぞーくかーん!」


 目の前の大きな水槽を前に、両手を上げてバンザイする夢喰い少女。

 実際にデートする時のことを考えてこの場所を選んだが、思いの外、この少女にとっても好みの場所だったらしい。


「見てよ、あの魚。めーっちゃおっきい!」

「だな」

「うわー、エイじゃん。下から見ると変な顔してる」

「ははっ、本当」


 はしゃぎまわる少女を見ていると、心が洗われるようだった。


「あはは、ダイオウグソクムシ」


 順路を進むと、期間限定の深海生物が展示されていた。


「俺、こういうの好きなんだよな」

「あー、そう言えば言ってたよね。ちょっと珍しい生き物が好きだ、って!」

「? ああ」


 どうしてだろう、少女のセリフに、どこか違和感を覚えた。


「なによ、変な顔ね!」

「あ、いや、別に」


 疑問符を浮かべていた顔を、にししと満面の笑みで覗き込む夢喰い少女。


「そんな楽しそうな顔、できるんだなって思って」

「……あら。キュンとしちゃったの? 童貞くん」

「茶化すな」


 あと、童貞をばかにするなっ。



「もうすぐ始まるのよね?」

「おうよ」


 ここは水族館の中でも特別に広いホール。

 すり鉢状の部屋の真ん中には、大きなプールが備えられている。


「来た!」

「うおー、すっげえ!」


 飼育員さんの合図で数頭の海洋生物――イルカたちが空中へ高く高く跳び上がる。


「きゃあー! 冷たい!」

「はっはっはっは!」


 イルカたちが水面にぶつかる時に、沢山のしぶきが跳ねた。

 まるで水遊びに興じるように、俺たちはイルカと同じようにその時を楽しんでいたと思う。


「う、うええ、うええん」

「いい子、いい子」


 最中、隣の席の母子の赤ちゃんが泣き出した。

 母親は困った表情で、必死に赤ちゃんをあやしている。


 直接的とは言わずとも、冷ややかな視線が周囲から浴びせられているのを感じた。


「……おい、見とけよ」

「……うん」


 俺は少女に耳打ちすると、母親の死角から、赤ちゃんに向かって変顔をかました。

 ふと、泣き止む赤ちゃん。笑顔を浮かべる余裕すらあるらしい。


「これでよし」

「おお、すごい」


 変顔のクオリティには自信があるからな。――とか一息ついていると、


「う、ううえ」

「よしよし、大丈夫よ」


 また泣きだそうとした赤子。再度、俺は変顔をかます。


「これでどうだ」

「鉄板ネタだね」


 赤子はちゃんと泣き止む。イイ子だ。

 俺たちはイルカに向き直る。が、


「うええ、うええ、うええ」

「ああ、大丈夫、大丈夫だから」


 三度泣き出す赤子。

 これはもう俺の変顔を求めているのだろう。赤子なりのアンコールなのだ。


「べろべろばあ~」

「ぷふうっ!」


 俺の渾身の変顔に、赤子のみならず隣にいる夢喰い少女まで笑った。

 一瞬で泣き止んだ赤子が俺の方を指さして笑うものだから、こちらを振り向いた母親とも目が合ってしまう。


「あっ、どうも」

「うふふ。素敵なお気遣いをありがとう」


 照れくさそうに頭を掻く俺の肩に、夢喰い少女が身を寄せる。

 そっと触れた彼女の体温は、やけに熱っぽく感じた。


「……き」


 何か言ったようだったが、イルカが水面にぶつかる音でほとんど聞こえない。


「すまん、もう一回言って?」

「聞き返すのは野暮なセリフだったわ」

「ごめんごめん」


 いいからイルカ見る、と少女。


「ま、楽しいからいいよな」


 宙を舞うイルカたちを見つめ、その後はしばしその生命力に圧倒される俺たちだった。


***


「は~、楽しかったあ~」


 建物を出ると、すっかり日が暮れていた。

 あたりは暗く、もうお開きにしたっていい時間帯である。


「最後に観覧車でも乗ろうぜ」

「ふふっ、いいわね」


 エスコートを意識した俺は、イルカショーの後も積極的に夢喰い少女を連れまわした。


 ラッコを眺め、ペンギンに触れ、お土産を買い。


 俺の彼女が行きたいと言っていたカフェにも行った。

 

 自己満足かもしれんが、最高に楽しいデート……の予行演習は、ばっちりと言えるくらいには上手くいったんじゃないだろうか。


「観覧車とか、いつぶりかしら」


 ゴンドラに乗り込み、揺蕩たゆたうように天へと向かっていく俺たち。


「確かに、俺も久しぶりな気がするな」


 小さなゆりかごから望む町の夜景は、残念ながら100万ドルとは言い難い。

 なのに、どうしたってロマンチックだった。


「綺麗。……すっごく」

「良かった」


 俺は、その頃にはもう、取り返しがつかないところまで来ていた気がする。


「なあ。このままさ、止まっちまったらいいのにね」

「……」


 ずっとこの夜が続けばいい。

 と過ごす、この夜が。


「……」


 お互いに何か言うのも、野暮な気さえした。

 捨て去りたいと願った進展の無い日々。

 欲しいと願った刺激的な毎日。


 虚構を通してでしか、ありのままでいられない、俺と君。


 ゴンドラはゆっくり、ただゆっくりと、空に昇っていくのに。

 俺たちは堕ちていくようだった。深い深い、の底まで。


「なあ、プレゼントがあるんだ」

「?」


 静寂を切り裂いたのは、俺の方だった。

 肩にかけていたポーチから、ごそごそと包装紙を取り出す。

 ポーチの中にものが多くて、少しまごついた。


「……ふふ」


 それを見た彼女がくすくすと微笑む。


「な、なんだよ?」

「んーん。締まらないなあって」


 そこが良いところ、とかボソッと呟いて。


「……ほら。こういうの、どうかなって」

「わあ……」


 どんくさい俺の仕草はさておき、彼女へとプレゼントを見せる。

 水族館の売店で買ったイヤリングだ。イルカの形をしている。


「つけてよ」


 無言で首肯する。

 極力丁重に、彼女の耳に付けてみせる。


「……今の私、多分、無敵ね」


 ふふん、と自信ありげな彼女。そこには普段はなりをひそめているような、今日を通して俺の隣に居た「夢喰い少女」の姿があった。


「さて。そろそろかしらね」

「え――」


 がこん、とゴンドラが揺れる。

 かと思えば、観覧車の頂点で停止した。


「え、何だ!?」


 窓から見える夜景は、空と大地の境界線の部分から、俺たちが居る場所に向かって崩壊していく。

 まるで、オープンワールドゲームの世界が消滅していくような、そんな異形の景色が広がっていた。


「夢って、いつか必ず終わるものよ」

「え、夢? え、これ、夢じゃな――」


 がこんっ、とゴンドラが揺れる。


「最初に言ったでしょー? 夢だって」

「は? な、なんで」


 嘘だ。これは君の言い出した冗談で。

 俺たちは夢ということを免罪符に、ありのままの自分を見せ合うことができたんじゃないのか?


「悪い夢を全部食べてもらえるとしたら?」


 そんな突拍子もない質問を、つい最近も聞いた気がする。


「……大食漢だな」

「くすくす」


 君が上品に微笑むから、俺は呆れて笑う。もう、何が何だか分からなかった。


「じゃあ、私が全部食べてあげるから」


 ただ、この世界が滅ぶのが嫌だ。

 刺激なんて要らない。もっと君と居たい。


「私、夢喰い少女なの」

「――!」


 俺は彼女の名前を叫ぶ。夢喰い少女は、ゴンドラの扉を蹴り破った。


「彼女をよろしくね。――くん」


 そして崩壊していく世界に飛び込んで、そのまま俺の意識と一緒に消えていった。


***


 カーテン越しに差し込む陽の光。

 やけに重たい身体を起こし、まぶたをこする。


 なんだか、酷い夢を見ていた気がする。


「ん?」


 こすった手には、水分がついていた。


「あれっ」


 なぜだか分からないが、俺の目からは大量の涙がこぼれだしていた。

 どうしてだ、どうしてか分からない。

 だけど、何だか大切なものを忘れている気がする。


 それなのに、大切なことを思い出した気がする。


 ――会わなきゃ、彼女に。


 身支度もそこそこに、俺は自分の部屋から跳び出していた。


***


「どうしたのよー。急に呼び出すなんて、珍しいじゃん」


 目の前には、俺の彼女。


「いや、なんか、急に会いたくなって」

「なにそれ」


 くすくす、と彼女が笑う。


「よくわかんねえけどさ、言いたいことがあるんだよ」

「へ?」


 取り繕いも何もなく、ただそれだけの気持ち。


「好きだ。俺は君と、もっとデートしたい」

「え、ええ?」


 我ながら突拍子も無いことを言うと思う。

 彼女も混乱しない訳が無いだろう。


「どうしたどうした私の彼氏! な、なんか、変な夢でも見ちゃったんじゃない~?」

「ははっ、そうかもな」


 自分でもおかしいと思う。それなのに、こうやって思いの丈を伝えることは、不自然なことではない気がした。


「もっと沢山話して、もっと手をつないで、もっと君のことを知りたい」


 気づけば手を握っていた。彼女の白魚のような手を。


「だから、よろしく頼む」

「……も、もう。仕方ないなあ」


 俺の猛攻にたじろぐ彼女。


「困った君も最高に可愛い」

「あー! やめ、やめ! それ以上言われるとどうにかなっちゃう!」

「やめない。好き」

「はー……」


 何かを諦めた様子だ。


「あ、ところで、その耳のイヤリングは?」


 彼女の耳に、綺麗なイヤリングが付いている。


「ああ、これね」


 それはどうやら、イルカを模したものらしい。

 幾ばくか、逡巡するような間が空いて。

 ――それから彼女は、こう言ってのけたのだ。


「大切な人にもらったの。すっごく、すっごく大好きな、私の大切な人に」


<了>

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