2023/07/22 自己肯定感


 昨日医師に話した、過去の母の言動が、もし仮に虐待に当たるのだとしたら、小さい私は学校に行っていじめられて、家に帰って虐待される、という生活を送っていたことになるな……と気がついた。

 本当に虐待かどうかはともかく、結構ハードだ。そりゃ脳に影響が及んでもおかしくない。


 まあいじめといっても、無視されるとか、除け者にされるとか、笑いものにされるとか、意地悪を言われるとか、置いてけぼりにされるとか、そういうちゃちなものばかりだったし、虐待といっても、ご飯を抜かれたり紐で縛られたり痣だらけになったりしたわけではないので、いずれもごくごく軽いものではあるが……。


 ただ、例えば人間関係については、私が友達に大事にされるということを理解したのは、大学生になってからだった。

 サークル活動で、友人たちと一緒に帰っていた時のことだ。私は忘れ物に気がついた。そこで、先に行ってて、とみんなに言い置いて、ダッシュで忘れ物を取りに行き、ダッシュで戻った。こうやって急げば、みんなが電車に乗る前に、駅のあたりで合流できるだろうと思ったのだ。

 だがその予想は外れた。友人たちは、私が引き返した地点で立ち止まったまま、雑談などして私一人のためにただ待っていた。私のせいで自分たちの帰りが遅くなることなど気にもしないで。

 私は非常にびっくりした。そしてこれが、私の人生の中で一番良い瞬間だった。冗談抜きで。

 だって私は、他人にわざわざ待ってもらえる程の価値が自分にあるなんて、知らなかったのだ。他人にこんなに親切にしてもらえる資格が自分にあるなんてことも、知らなかった。


 要は、幼稚園から高校までは、何やかやあったせいで、無自覚に自己肯定感がダダ下がりになっていたということだ。私は私だから価値がないのだと本気で信じ込んでいた。友達に置いてけぼりにされるなんて当たり前だと思っていた。そこに疑念の余地などなかった。


 そういうわけで、これまでの私の人生は、死ぬほど過酷ではないものの、ちょっとハードモードだった可能性があると思った。

 だからって、自分は不幸な人間だとかいうのは全く真実ではないので否定させてもらうし、幸せなことだっていっぱいあった。でもほら、嫌な思い出ほど強く記憶に刻まれるから……。

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