第17話 脅威
小鳥遊さんの母親が倒れたのはそれから三日後のことだった。
コウトリバコの効力が消えたことによるもので間違いない。
一日目、二日目は――もしかしたら、大丈夫なのではないかという期待もあったのだが、三日目にして期待は打ち砕かれてしまった。
小鳥遊さんは学校を二日ほど休み、母親に付き添った。
少しだけ……そう、少しだけ安心したのは、今のところは命に別条はないということ。ただし、ギリギリ、なんとか――という状態。これから更に悪くなる可能性だって十分にある。
今までのような生活は当然できない。安静にすべく、体に負担をかけないよう、日中はなるべく横になっていなければならないのだとか。
移動は、常に車いす。
数日前まで自分の力で歩いていたというのに。
彼女が以前に治した猫も、今朝見つけた。既に事切れていたため、近くの公園の木の下に埋葬した。
そして、小鳥遊さん自身にも変化はあった。
なんというか、次第に彼女の友人関係は糸がほぐれるかのように一人二人と去っていき、彼女は徐々に孤立していった。
周り曰く――なんとなく、魅力がなくなったのだとか。
彼女の持ち合わせていた魅力、それもコウトリバコの効力によるものだったようだ。コウトリバコを手に入れた最初の頃に、願ったらしい。
とはいえ完全に孤立したわけではない、久理子がいる。
小鳥遊さんの学校生活は少し静かになった程度だ。いや、久理子が騒がしい分そんなに学校生活は変わらないか?
それはいいとして、小鳥遊さんは今後とも日常に何かしら影響があるのは確かだ。
大ごとにならなければいいのだが。
まあしかしだ、立花さんの手を借りずに幸鳥を退治できたのはよしとしようじゃないか。
それにしても立花さんはあれから姿を見せないがどこに行ったのだろう。
また喫茶店にでも行けば会えるか? 幸鳥を退治できたことくらいは報告しようと思うのだが。
そんなわけで今日は街に繰り出している。
目的地は喫茶店モンブラン。
ちょいと小腹の空く夕方時なのでモンブランでついでに何か軽く食べようかな。
モンブランへ到着したのは夕方四時半。
学生ら、主に女子学生が多く、今日も繁盛している様子。
立花さんの姿を探してみるも店内には無し。
電話も出なかったし、今日はいないのだろうか。
どうしようか。
入って早々に店を出るのもな……。ここはやはり予定通り、モンブランで何か食べよう。
一番奥のカウンター席に座り、先ずはコーヒーを注文する。
目の前に運び込まれて、そう、これこれ――この心地良く鼻孔を撫でるこのコーヒーの香りがたまらない。
またガトーショコラを注文しようかな。
……いや、待てよ。モンブラン、あるじゃないか。
この喫茶店モンブランの店名にもなっている、モンブラン。
食べなきゃならんでしょうがこれは。喫茶店モンブランのモンブラン。
気になるぜ、うん、食べよう。
てなわけで注文、数分後にて運ばれてきたモンブランを早速いただく。
ああ、うん、うま~……。
栗のくどくないまろやかな甘さ、ふんわりとしたスポンジケーキも口当たりがよく、一口一口食べるたびに幸福を感じる。
喫茶店モンブランのモンブランを満喫していると、カランッと入り口の鐘が鳴り客が入店してきた。
コツコツといった足音は俺のすぐ隣へ。
着席するなり感じるお隣からの視線。
これはもしかして――と、俺は隣を見やる。
「やあ、着信があったからもしかしてと思って来てみたら、やっぱりいたのね~。ふふっ、美味しそう」
やはり立花さんだった。
「ああ、どうも。いやあ美味しいですよ」
「わたしも今日はモンブランを食べようかな」
立花さんは微笑を浮かべて注文をし、淑やかにモンブランをいただく。
黙っていれば本当に、いい女性だと思う。
「コウトリバコのこと、なんですけど」
「ん……」
「幸鳥、無事に退治できましたよ」
「それはおめでとう。これを食べ終えたら、出ようか。ここ以外で話そう」
「……? まあいいですけど」
二人で黙々とモンブランを食べて、コーヒーをすする。
至福の時間を過ごした後に、喫茶店を出た。
行き先は、立花さんに任せる。
ひと気の少ない道を立花さんは選ぶや、煙草に火をつけて歩き煙草を始めた。一応、携帯灰皿は持っているとはいえ、行儀がいいとはいえない。
「煙草、吸っていいかい?」
「もう火をつけてるじゃないですか」
「おっ、そうだった~」
ふはは、と笑いながら煙草の煙を吐く。
うーん、煙い煙い。どうしてこんな煙いものを喫煙者は吸っているのだろう、俺には理解できんね。
「喫煙者は味覚が少し鈍くなるとか、聞きますけど」
「そう? そんなに変わらんよ、味わっているかどうかの話さきっと」
「そういうもんですかね」
「そういうもんさ~」
どうなのだろう、実際のところは。
歩くこと数分。
近くの公園を見つけるや、立花さんは「おっ♪」なんて躍った声を上げて公園へと入っていった。
夕方過ぎの公園はひと気もなく、空いていたブランコに彼女は座る。
そして、一服。
やれやれ。子供連れの大人がここにいたらきっと立花さんに怒っていただろう。今の時間帯だから許される行為。
いや、そもそも公園って喫煙はいいのか? 駄目な気がする。灰皿なんか設置されていないし。
「実はきみと幸鳥との戦い、見てたんだよね」
「えっ、見てたんですか?」
「うん、ばっちし」
そうか、となると……だ。
俺の怪我が再生するところなんかも見られたわけだ。
「――ひどり。火に鳥と書いて火鳥。正式には鳥に非ずと書いて非鳥。鳥だけど、鳥ではない何かっていうんでねぇ」
立花さんはゆっくりと煙草の煙を吐いて、呟いた。
「超がつくほど有名な怪異だ。全てを焼き尽くす炎、そして高い再生能力を持ち、暴虐の限りを尽くした。怪異界隈でも名を爆ぜていたものだね」
「はあ……」
「十年ほど前かな~、非鳥を討伐しようとわたしと同じ怪異専門家――陰陽師やら祓魔師やらが立ち向かったのだがね、多大な被害を被った上に取り逃がしてしまったよ」
十年ほど前――か。
俺が非鳥に出会ったのも、その頃だ。
「非鳥には傷が治らないよう様々な力を施したから、追いつめられると思ったのだが、結局見つからなくてね。それ以来消息が不明ってわけだが、まさかきみが取り込んでいたとはね~」
「……取り込んだというか、食べたというか」
「えっ、食べたのかい?」
「はい、食べました。美味しかったですよ」
あの時は空腹というスパイスも相まってたから、尚更。
「ほう……それで非鳥の能力を取り込んだのか。それはとても興味深いね」
「話は、非鳥について、ですか?」
「ん~、まあそうだね。というのも、わたしはこれでも怪異の専門家で、それなりに怪異から人々を守ってもいるわけでね~」
何が言いたいのだろうか。
俺はブランコには座らず、ブランコの囲いである手すりに腰を下ろした。
「つまりは、うん。非鳥そのものであるきみは脅威だ」
「は、はあ……」
少し、空気が変わった。
立花さんが常に醸し出しているふんわりというかふわふわとした雰囲気が消え、ぴりっとした雰囲気へと変化する。
その双眸も、俺を見る双眸も、まなざしは鋭い。
「この街は鳥の怪異が多いが納得がいったよ、みんな非鳥の気配を察知していたんだねえ」
「そうなんですか」
「前に、幸鳥は上位となる怪異の一部をもらい受けてコウトリバコに保存するって話をしたよねえ」
「してましたね」
「おそらくだけど、幸鳥は過去に非鳥の一部をもらい受けていたんじゃないかな~」
「非鳥の一部を……?」
「きみはコウトリバコの中身をもう見たかい?」
「ええ、見ましたよ。骨が入ってましたね」
「何か感じなかったかい?」
「……ああ、なんか、感じました」
ぞわぞわとした、妙な感じだった。
「じゃあ、確定だ。うん、確定確定」
立花さんは煙草の煙を深く吸って、吐いた。
火を消して、微笑を浮かべてブランコを漕ぎ始めた。
スーツ姿の大人がブランコを漕ぐ姿を見るのは、初めてかもしれない。なんというか、シュール。
探せば何かしらのコマーシャルではありそうな光景だ。
「脅威となりうる怪異は退治しなくちゃあならない」
「退治、ですか……」
「そ。非鳥そのものであるきみは特に、その対象となるわけなのだが」
話している内容は深刻そのもの。
しかしながら立花さんがブランコを漕いでいるおかげでどうにも雰囲気は深刻さに呑まれずにいる。
「非鳥に関しては、見逃せないよね~」
「ど、どうするっていうんです? 戦いますか?」
「ん、そうなるなぁ」
マジか……。
……この人と、戦うのか。
けれども立花さんは相も変わらず微笑を浮かべたままで、戦うという雰囲気は一向に感じない。
「できれば戦いたくないんですけど」
「ん~、でも非鳥討伐ってさ、実は金になるんだよね」
おいおい金かよ。そういえばじいちゃんが怪異討伐でお金が得られる組織があるとかどうたらって以前ちょっとだけ聞いたな。
まいったね、俺ってばそんなに、ある意味価値のある人間だったのか。いや、人間というか――怪異か、うーん、でも俺としては人間味が強い、ここは半怪異で。
「ああ、別に今すぐってわけじゃあないからそう身構えなくてもいいよ」
「そう、ですか」
とはいっても、宣言されてしまってはね。
体が自然と強張ってしまっていた。
「ただ、近いうちに、わたしはきみに仕掛けるよ」
立花さんはブランコから飛び降りて、器用にも手すりに着地する。
そのまま懐から煙草を取り出して火をつける。
「今日はそれを知らせたかっただけさ」
「……あの、俺って、非鳥そのものではなく、半怪異ってとこだと思うんですけど」
「そうかもしれないねえ。でも非鳥の特性を含んでいるというのが、いけないんだよね」
「……どうにか見逃してくれないですかね」
「こっちも生活がかかってるし、何より怪異専門家としてのプライドもあるしねぇ」
怪異専門家のプライド、か。
この人に、そういうものがあったのかよ。
そんなプライドがあるのならば、依頼者にセクハラしようとするなよな。
立花さんは手すりから降りて、公園の外へと向かった。
「じゃ、そういうことだから。またね~」
「……はい、また」
立花さんを見送った後に、俺は空いたブランコへ腰を下ろした。
同時に、ため息が出る。
どうして戦わなければならないのか。
……非鳥、我ながらなんでもんを取り込んでしまったんだ。
まあでも、あの時は……あまりにも空腹だったしなあ。仕方がなかった、うん、仕方がなかったんだ。
それで非鳥の特性を受け継ぐとは思いもよらなかったけど。
まさかそのおかげで今度は俺が退治される側になるとはね。
世知辛い世の中だ。
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