第三話 神様とミルクティー
怪獣はその性質上、何かを忘れる事が無い。
でも、何故か私には、思い出すことのできない人がいる。確かにその人は存在していたはずなのに、その人の性別も年齢も、声も匂いも忘れてしまった。
覚えているのは、先生、という呼称だけだ。
生徒は私ともう一人。当時は、私にも名前が無かった。私は、もう一人の生徒の事を姉のように慕っていた。私たちはとても仲が良かった。
先生には、口癖のようなものがあった。私は先生の全てを忘れているけど、いくつかの言葉だけは脳の裏側に張り付いている。
「怪獣として生まれた私たちは、この力の行く末を決めなければなりません。この力を消し去るのも、上手く使うのも、あなたたち次第です」
この口癖を思い出す度、頭の中でもう一人の生徒が言う。
「私は、この力を使えば、先生にとっての理想の世界を創る事が出来ると思っています。世界中の、誰もが悲しまない世界を。きっと、今すぐにでも、それが可能です」
彼女はいつも同じような事を言っていた。先生の理想。悲しみの無い世界。
先生も、いつも同じように答えていたように思う。私の記憶の断片が、言葉を紡ぐ。
「私の理想は、私にだって分からない。もっとゆっくり考えましょう。みんなで、ゆっくり時間をかけて」
もう一人の生徒についての記憶は、はっきりしている。怪獣にとってはそれが自然な記憶の形だ。
「でも、私は知っています。先生にはあまり時間が残されていない。私は、先生の喜ぶ顔が見てみたいです」
私が覚えている先生の言葉は、とても少ない。脳の奥底、思い切り手を伸ばしても届かないような場所から、先生の声が反響する。
「ごめんなさいね。私は、とてもずるい。なんだって出来るはずの力を持っていながら、結論を出せずにいる。この力の結末を決める勇気が、私には無かったの」
今度は耳のそばで、大きな声が聞こえる。
「私にはそれがあります。今すぐにでも、誰も苦しまない世界を創る事が出来ます。それが、先生の理想でしょう?」
先生が何と答えたのかは分からない。でも、その次の名前の無い彼女の言葉は、その上擦った声さえ思い出すことが出来る。
「どうしてですか。私たちの力は、本当に世界から悲しみも苦しみも消すことが出来る。誰も傷つかない世界が作れるんですよ。きっとその世界は、どこより幸せだ」
きっと私に残っている先生の記憶は、先生が意図的に選んで残してくれたものだと思う。次の世代の怪獣としての私に、先生は言葉を託してくれた。
そして、先生が私に託した、最後の言葉は。
「ねえ。貴女は、どう考えているの?」
その言葉は、私の思考を加速させる。
「――アカリ、アカリ?」
悠馬の言葉で我に返り立ち止まった。赤信号を渡ろうとしていたらしい。目と鼻の先を車が通過していき、思わず冷や汗をかく。
「大丈夫? ボーっとしてたけど」
「ああ、うん。ちょっと考え事」
彼の父親が亡くなってから、一か月ほどが経った。七月の終盤、昼下がり。セミの鳴き声と強い日差しが夏本番を思わせる日だった。
「何を考えていたの?」
「暑いなーって」
「熱中症だね、それは。暑いって思いすぎて生活に支障が出るなんて」
「大丈夫だよ。車にぶつかったくらいで怪獣が怪我すると思う?」
「そういう事じゃないと思うけど」
「そうかな」
「うん。車って高いんだよ? へこんだりしたら修理費だってばかにならない」
「そういう事でもないと思うけどね」
この一か月で、私たちはけっこう仲良くなったと思う。彼は私の怪獣ジョークを真似するのにハマっているらしい。
この一か月、度々怪獣が出て私が戦ったけど、そのどれも特筆すべきものではなかった。あの人は次の怪獣にも私は勝てないと言ったけど、それは見当違いだった。戦いは全て私の圧勝だった。逆に不穏でもある。
私は週に二回か三回のペースで悠馬に会うようにしていた。彼はどうやら深夜徘徊の癖が治っていないようだ。なんだか見ていて危うくもある。やはり一度深く話を聞いてあげるべきかもしれない。彼は以前、私に吐き出したい事が沢山あると言ったが、あれからそんな事は起きなかった。現代の男の子はなんでもため込みがち、というのは本当かもしれない。
彼は間違いなく傷つき続けていると思う。心の整理がまだ出来ていないはずだ。仲良くなればなるほど、彼の不安定さが分かってくる。
例えば彼は、深夜の散歩で例の中学校に行く事が多いらしい。それだけでなく、怪獣の被害が出た場所に、彼はよく夜の間に歩きに行っているようだ。きっと、割り切れていない事が沢山あるのだと思う。
そんな風に考えていると隣で歩く悠馬の声が聞こえた。
「アカリ、後ろ、自転車」
「ああ、ありがとう」
彼の言葉で現実に立ち返ったが、私はまた考え込んでしまう。
私がやっていることは、正しいのだろうか。今回は、自身に課したルールを大きく逸脱している。それが正しいのか間違っているのか、分からない。
本当は、悠馬にこれ以上関わるべきではない。
私に関わらなければ、悠馬は人のよさそうな新しい父親と上手くやっていたのだろう。仲の良い両親と三人で、何の蟠りもなく過ごしていたのだろう。それは、幸せの一つの形と言ってもいい。
でも、私はそれを選ばなかった。彼を傷つけて、つまりは彼を不幸にして、色々な物に甘える事を選んでしまった。
まるっきりそれを後悔している訳でもない。悠馬と関わってしまった以上、この方法を取らなければ私はあの人に勝てない。このやり方でなければ、私の正義をあの人に見せつけることが出来ない。悠馬を傷つけるしか、私には無いのかもしれない。
世界のより良い形を見つける為に、私は友人を一人不幸にしている。
それが正しいのか間違っているのか、まるで分からない。名前の無いあの人みたいに、自分の道を信じる事が出来ない。悠馬には偉そうに言ったのに、私はそれを受け入れきれない。
彼は私を残酷だと評した。あの時はよく分からないふりをしたけど、本当はその通りだと思う。私は自分勝手に人を傷つけているだけなのかもしれない。
迷っているから、現状維持を選ぶことしかできない。でも、悠馬や悠馬の本当の父親のためにも――。
「アカリ、ちょっと何やってるの?」
「え?」
ゴンッ。
電柱にぶつかった。痛い。怪獣といっても気合を入れなければただの人間だ。額を抑える。
「アカリ、本当に熱中症なんじゃないの? 大丈夫?」
「平気平気。電柱の心配してあげてよ」
「そんな訳にはいかないでしょ」
悠馬はこういう、私の小さな失敗みたいなものを、絶対に笑わない。優しいのは良い事だけど、少しは笑って欲しい。私はおどけて言った。
「いやいや。私がこれまでに何本の電柱を倒してきたか」
「それはなかなかブラックな冗談だね」
彼は眉をひそめた。失敗だ。
「ごめんごめん。本当に大丈夫だよ」
悠馬は、その言葉でようやく笑った。八重歯がキュートな、良い笑顔だった。
数日後、本屋のバイトの休憩中。冷房の効いた休憩室で襟元をパタパタさせていると、正社員の田中さんに声を掛けられた。
「アカリちゃん、演劇って好き? あ、休憩中ごめんね」
田中さんは、二十代後半か三十代前半くらいの女性だ。黒縁の眼鏡と大きな口が特徴的で、お世辞にも美人とは言えない。でも、ハキハキと大きな声で喋るから私はこの人が割と好きだ。
「行ったことないんでまだ好きか嫌いか分かんないですね」
「なるほど。アカリちゃんって結構不思議ちゃんだよね」
「そうですか? 私が世界一まともに生きてるつもりですけどね」
「それはないよー。高校行ってないのに毎日制服着てる女子高生なんてそういないよ?」
「田中さんだって毎日スーツ着て出勤してるじゃないですか。どうせ店員用の制服に着替えるのに」
「それはあれだよ。社会人としての自覚ってやつだよ。適当な私服で通勤ラッシュの電車に乗るの、しんどいんだよ?」
「田中さんらしいですね」
「そう? あんまり褒められてる気、しないけど」
彼女は人の目を気にしがちだ。体裁、のようなものに縛られている感じがする。でもそのおかげで、田中さんの作るポップは人の目をよく引く。
私は言った。
「それで、演劇がどうかしたんですか?」
「あ、そうそう。チケットが余ってるんだよ。なんか友達が出るらしくてチケット貰ったんだけど、私その日行けなくて。だから良かったらアカリちゃんにあげるよ。最近頑張ってくれてるし」
「あー。ありがとうございます。いっつも大体暇なんで、助かります」
暇なのは本当だ。怪獣が出なければバイトと悠馬に会いに行く以外にやる事は無い。田中さんはチケットを私に差し出した。
「あれ、二枚あるんですか?」
「うん。こういうのって一人で観るより二人で観た方が楽しいよ。ほら、最近仲良くしてるあの男の子でも誘いなよ」
悠馬の事だ。彼は最近、放課後にわざわざ私に会いに来ることがある。
「あー。そう、ですね。ありがとうございます」
「えー。絶対誘った方が良いよー。あの子の事好きなんじゃないの?」
「いやいや。唯一の友達ってだけですよ」
「え。私はー? 友達だと思ってたのにー」
「それは申し訳ないです。はい」
「まあいいけど。じゃあ、行ったら感想教えてね」
「はーい」
「じゃあ、私仕事戻るから。アカリちゃんも、もうちょっとしたらお願いね」
「もう戻るんですか? もっと休憩すればいいのに」
「私もそうしたいんだけど、なんか最近人手が足りないんだよね」
田中さんは「やっぱりもうちょっとバイトの人数増やした方が良いよな」と呟きながら仕事に戻っていった。
私は手元のチケットを眺めた。演劇のタイトルは『ミルクティーとレシートについて』となっている。掴みどころが無い。ミルクティーとレシートについて演じたい人が、この世にいるのだろうか。世界は広いらしい。
チケットは二枚あるが、私に知り合いは少ない。まともに話が出来るのは悠馬と田中さんとバイト仲間の数名。あとは名前の無い彼女くらいのものだ。
このチケットを見せたら、彼はどんな表情をするだろうか。私に気を遣って笑うか、本心から笑うかの二択だろう。
私にその見分けがつくだろうか。単純な興味として、そう思った。
翌朝、午前七時三十分。私は彼の家の前に立っていた。自分でもこんなにすぐに行動すると思わなかった。問題の答えは早く知りたいタイプらしい。
玄関が開き、少年が目を擦りながら出てきた。悠馬だ。彼はこちらを見ると一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに笑った。
「おはよう、アカリ。玄関の待ち伏せ、流行ってるの?」
「流行ってるかは知らないけど、他に思いつかなかったから」
「なるほど。僕、今から学校なんだよね」
「さぼろうよ。私、朝ごはんまだなの」
「君たち、本当は仲良いんじゃないの?」
「何のこと?」
「こっちの話。今日は、どうかしたの?」
「そろそろ悠馬が私に会いたくなったかと思って」
彼は笑ったのち、歯切れ悪く答えた。
「まあ、うん。そうだね」
「行こう。学校、遅れちゃうよ」
私たちは並んで彼の高校へ歩き出した。
「そういえば悠馬、新しい環境には慣れた?」
彼の父親の事だ。私はいつも直接的な表現を避けながら彼の家庭について探る。
悠馬は、大体いつも同じように答える。言い回しは違うけど、ほとんど同じような事を彼は言う。
「そうだね。まだ受け止めきれてはないけど、なんとかやってるかな。雰囲気に身を任せれば、割となんとかなる」
「そっか。ごめんね」
「君のせいじゃないって」
「うん。ごめん。ありがとう」
この辺りの会話は、少し形骸化していた。悠馬はいつも、詳しい家庭の話をしようとしない。私としては、とても心配だ。
彼は話を変えた。
「そういえば、最近あの人によく会うよ」
「あの人?」
「ほら、君の知り合いの。名前の無いあの人」
「何それ。聞いてない」
「今言ったんだよ。別に隠してるわけじゃない。それに、僕は君につくつもりだよ」
「それはどうも」
「怒ってる?」
「別に怒ってないけど。私はやっぱりあの人の事あんまり好きじゃないから」
「そっか。僕は君たちに仲直りして欲しいけどね。そしたら、より良い方法が見つかるかもしれない」
私は彼にアピールするように、大げさに肩を落とした。彼は少し笑った後、「ごめんって」と言った。
こんな話をするために彼に会いに来たわけではない。私の事はどうだっていいし、あの人の事はなおさらどうでもいい。でもこれ以上悠馬の家庭事情に踏み込むべきだとも思わず、私は内心でため息をついた。
楽しい話をしよう。その為に会いに来たのだ。
私は声のトーンを一つ上げて言った。
「悠馬さ、お芝居とかって好き?」
「どうだろ。映画とかドラマはあんまり見ないかな。なんで?」
「バイト先でチケット貰ったんだ。良かったら、一緒に観に行かない?」
彼は一瞬何か考えたようだ。私はポケットからチケットを見せる。緊張で手が震えないように少しだけ力を込めた。出来るだけ自然になるように。
彼も、声を少し明るくしていった。
「いいね。是非行こうよ」
「ほんとに!」
「そんなに喜ばなくても」
「別に喜んでないよ。普通」
「これ、どんな話なの? 『ミルクティーとレシートについて』って」
「分かんない。そういえば教えてくれなかったな」
チケットには、空のペットボトルとレシートの写真が載っている。ストーリーを予想するのは難しい。
彼はチケットを見て言った。
「次の土曜日か。分かった。どこで待ち合わせる?」
私の声のトーンは落ちる事が無かった。浮かれているのが、自分でもわかる。
「この、なんとかホールっての、どこにあるの?」
「僕の家からだと電車で一時間くらいかな。行くなら電車が良いと思う」
「じゃあ駅にしよ。何時くらいにすればいいと思う?」
「九時、かな」
「じゃあそれで。楽しみにしてるね」
「うん」
彼がそう頷いて、そこで会話が終わりを迎えてしまった。
私たちは無言のまま少し歩いた。気まずい、という訳ではないが、折角なら何か彼と言葉を交わしたい。
私は言った。
「そういえばさ」
「ん?」
「こないだ、図書館に行ったの」
「アカリ、本、好きだよね。バイトも本屋だし」
「それもそうだけど、ただ涼みたかっただけだよ」
「ああ、なるほど」
「それでさ。絵本を読んだんだよ」
「へえ。いいね、絵本。どんな話だったの?」
「神様の話だった」
「なるほど」
「優しい神様がいて、人々に色んなものをプレゼントするんだよ。お腹を空かせた子供にはパンをあげて、生きる気力がない人には仕事をあげて、凍える猫にはこたつをプレゼントしてた」
彼は首を傾げた。
「仕事って、生きる気力になるの?」
「なるらしいよ。少なくともその人には、やりがいが必要だったみたい」
彼が「なるほど」と頷くのを見てから、私は続ける。
「でも、途中で神様が疲れちゃったんだよ。神様は皆に色んなものをあげてたけど、自分には何もプレゼントしていなかった」
「悲しい話だね」
「それで、ラストは、皆が神様にプレゼントのお返しをあげて、めでたしめでたし」
彼は頷いた。
「なるほど。貰ったものにはお礼として何か返しましょう。それでみんなで幸せになりましょうってわけだ」
「うん」
「アカリはその話、どう思ったの? 好き? 嫌い?」
「うーん。実は、あんまり好きじゃないんだ」
彼は目を丸くしてこちらを見た。
「実は、僕も」
楽しい会話が出来た訳ではないが、彼と価値観を共有できた事に、私は嬉しくなった。
「彼、ちゃんと誘った?」
その日の夕方、田中さんが言った。仕事中だった。
「誘いましたよ。ていうか、あれ、どんな話なんですか?」
「やるじゃん。意外と行動力あるんだね、アカリちゃん」
「田中さんが誘えって言ったんじゃないですか」
「まあ、それはそうなんだけど」
田中さんは噛みしめるように続けて言った。
「てかいいなー。デートじゃん。若いって羨ましいなー」
「そういうのじゃないですから」
それに、歳もこちらが上だ。怪獣をなめないでほしい。
私はもう一度聞いた。
「あれ、どんな話なんですか? 分かりにくいタイトルしてますけど」
「え。私もよく知らないな。観てのお楽しみだよ」
「そうなんですね。私は、ペットボトルが空なのが気になってます」
「どういうこと?」
「チケットですよ。空のペットボトルとレシートの写真が載ってたんです。でも、それなら『ペットボトルとレシートについて』じゃないですか? ペットボトルにミルクティーが入ってないのが、意味深です」
「鋭い視点だね。空のペットボトルとレシートは、似てる気がするよね」
「どんなところが?」
直感でそう言ったらしく、田中さんは少し考え込んでから言った。
「うーん。なんて言うんだろ。別に捨てても良いところかな」
「リサイクルした方がいいですよね」
「レシートってリサイクルできるの?」
「分かりません。まあ、観てのお楽しみですよね。タイトルはペットボトルじゃなくてミルクティーな訳ですし」
「そうだね。私も段々興味湧いてきたな」
演劇鑑賞というのはチケットを眺める段階から勝負が始まっているのかもしれないな、と私は思った。
土曜日、午前九時。駅に着くと、彼は既にそこにいた。彼の私服姿を見るのは初めてだった。彼は清潔感のある薄いベージュのセットアップの中にゆったりとした無地の白いTシャツを着ていた。迷いに迷った上で、客観的に見たときに間違えていない選択をした、という雰囲気が伝わってくる。ほんの小さく光るネックレスも、背伸びした高校生みたいで悪くない。可愛い、と言ってもいい。
私はと言えば、いつもと同じ、黒と赤を基調としたセーラー服を着ていた。彼の服装を見て、私はそれをとても後悔した。私が同じ服しか持っていないのにはそれなりの理由があるけど、頑張ればお洒落くらいできたはずだ。
デート、という訳ではないけど、それくらいの事はすればよかった。
悠馬はこちらに気づくと、イヤホンを外して、はにかんで言った。
「おはよう、アカリ」
彼は私と会話をするとき、多分意図的にできるだけ沢山名前を呼んでくれている。
私は答えた。
「おはよう。悠馬、いつも何聞いてるの?」
「友達のバンド。応援してたんだけど、解散しちゃって」
「そうなんだ。じゃあ、復活するといいね」
「そうでもないかな。解散したところまで含めて、僕は彼らを愛してるから」
「なるほど。素敵な考え方だね」
彼は腕時計を見て言った。
「行こうか。アカリ、ICカードとか持ってるの?」
「持ってない。電車も初めて乗る」
「飛んだ方が速いから?」
「それもあるけど、あんまり遠く行かないしね」
切符を買い、電車に乗った。冷房が効いていて気持ちいい。席が空いていたので、二人で並んで座る。列車の両端に真っ直ぐ席が並んでいるタイプだった。
彼は、正面の窓から外を眺めながら、落ち着いた声で言った。
「さっきの友達のバンドの話だけど、実は解散した訳じゃないんだ」
その言葉だけで、私には意味が分かった。返答が硬くなる。
「そう、なんだ」
「ベースの子と凄く仲が良かったんだけど、彼はいなくなっちゃって」
「……うん」
彼は、多分、無理矢理声の調子を上げた。
「ごめん、こんな話。でも、暗い話じゃないんだ。君がいたから、僕は彼を覚えていられる。君のおかげだよ。君には感謝してる」
「うん。話してくれてありがとう」
「……ごめん」
彼がこの話をしたのは、きっと嘘を吐きたくなかったからだ。私に誠実でいたかったからだ。
悲しい真実も真実として受け入れ、その姿を隠さず私に見せる事で、彼は私の使命を肯定してくれる。それが嬉しくない、と言えば嘘になる。
でも、こんなの、どう考えても悲しい会話だ。一人のベーシストが亡くなって、彼を覚えているのは一人だけ。こんなの、悲劇以外の何物でもない。
怪獣が出れば人は死ぬ。誰もそれを覚えていないが、私と悠馬だけはそれを覚えている。悠馬にとって大切な人が死ねば、悠馬は当たり前に酷く傷つく。
それなら、一体どうするのが正解だというんだ。一人のベーシストの記憶を悠馬からも消してしまうのが正しいのだと、名前の無いあの人は言うだろう。
でも、そんな訳ないだろう? 一人の人間が生きた記録と記憶が、誰の思い出にも残っていないなんて、そんなにも酷い事はないだろう?
だから、私は誰にも何も忘れて欲しくない。
でも。でも。それを悠馬に強要する私は、とても残酷だ。本来なら傷つくはずのなかった彼は、私に巻き込まれたせいで、重大な別れをいくつも経験した。私の勝手な都合と思い込みで彼を傷つけるのは、正しいとは思えない。
分からない。どっちが正解なのか、決め切る事が出来ない。
行き先が分からないまま、電車に揺られる。目的地がどこにあるのか分からないまま、私は電車に揺られている。
がたんごとん、がたんごとん。
私は、いつの間にか眠っていたらしい。
彼の言葉で目を覚ました。
「――アカリ、次で降りるよ」
そう言われて、目的地を思い出した。
そうだ、演劇を観に行くんだった。
改札を出て、会場に歩き出した。駅の前の広場では放水が行われており、多少は涼しかった。でも、電車の中のガンガンの冷房には及ばない。
歩きながら私は言った。
「電車って初めて乗ったけど、結構面白いね」
彼は笑った。
「アカリ、ほとんど寝てたじゃん」
「そんなことないよ。目を瞑ってただけ」
「それは気づかなかった」
彼は口角を上げたまま続けた。
「なんで電車、面白いと思ったの? 寝心地が良いから?」
「違うよ。なんていうか、乗ってる人が可愛く見えたから」
「なるほど?」
「電車に乗ってる人たちって、皆バラバラなことしてた。携帯見たり居眠りしたり外見たり本読んだり。皆それぞれ違う事やってたんだよ」
「まあ、そうだね」
「それなのに、皆同じ電車に乗って、大体同じ道を進んで行くんだよ。それって、なんだか可愛くない?」
彼は首を傾げた。
「それって可愛いの?」
「うん。むすっとしてたおじさんが電車降りる所見ると、なんだか、愛おしくなる。『あ、あの人怖い感じだったのに意外とこの駅で降りるんだ~。可愛いな~』ってなる」
彼は笑った。そして、多分適当に言った。
「ギャップ萌えってやつかな」
私も、自分で言っている事がよく分からなくなってきたから、適当に答えた。
「そうそう。ギャップ萌えってやつだよ」
会場は、思ったより大きな劇場だった。よくある体育館と同じくらいの広さ。席数は全部で二百か三百くらいだと思う。
私たちの席は、中央より少し後ろの方だった。椅子は、思ったより硬い。
「なんだか緊張してきたね」
悠馬が笑いながら言った。
「そう? 観るだけなんだし、別に大丈夫だよ」
「アカリは、こういうのよく来るの?」
「舞台は初めてかな。前はよく歌舞伎観に行ってたよ」
「歌舞伎? それって、最近の話?」
「二百年前かな」
彼は少し笑った。
そのとき「すいませーん」と女性の声がした。私たちの前を通りたいらしい。前の席との感覚が狭いから、足を少し折りたたまなければならない。
でも、その声に聞き覚えがあったから、私は顔を上げた。
うわ、最悪。
そこには、にんまりとした笑顔の、名前の無い彼女が立っていた。
「あれ。偶然だね、アカリちゃん」
私は大きなため息をついた。なんでいるんだ。彼女は憎たらしい笑顔で続けた。
「あ、悠馬くんもいるじゃん。もしかしてデート? そんな訳ないか。アカリちゃん、昔から男っ気無かったもんね」
「うるさい。偶然みたいな顔しないでよ。なんでいるの? ていうか、アカリちゃんって呼ばないで」
「偶然だよ、もちろん。あ、偶然席も隣だ」
こいつ、どこまで好き放題やってるんだ。怪獣の力を乱用しないでほしい。
彼女は私を気にせず悠馬の隣に座り、彼に声を掛けた。
「昨日ぶりだね、悠馬くん。元気にしてた?」
「まあ、はい。おかげさまで」
聞き捨てならない。
「昨日ぶりって、なに。何勝手に仲良くなってんの?」
彼女が答えた。
「別に仲良くなるのなんて私たちの勝手じゃーん。ねー悠馬くん」
「まあ、はい」
「ていうか、悠馬くん今日の服お洒落だね。結構好きだよ、私」
今度は悠馬は照れながら答えた。
「ほんとですか。嬉しいです」
なんだこいつ。
名前の無い彼女が意気揚々と続ける。
「あ、そうだ。これ終わったら、三人でご飯でも行こうよ。私、おごってあげるからさ」
「行くわけないでしょ」
「えー。冷たいな、アカリちゃんは」
「だから、アカリちゃんって呼ばないで。気持ち悪い」
「酷いな。昔みたいに仲良くやろうよー」
「思ってもない事言わないで」
私がそう言ったとき、後ろでおじさんの咳払いが聞こえた。少々騒ぎすぎてしまったようだ。私は小声で悠馬に言う。
「勝手に仲良くならないでよ」
「ごめん。でも、彼女どこにでも現れるんだよ。君と違ってさ」
「はあ!? 悪かったわね、偶にしか会わなくて」
名前の無い彼女が私に笑って言った。
「やっぱり親密度を上げるにはコツコツやっていかないとね。単純接触効果って知らない?」
「知らないよ、そんなの」
「そっか。それは残念だな。それに、もう一つだけ残念なお知らせ」
彼女がそう言ったとき、ステージの上で何かが光った。
そして、次の瞬間。
怪獣が、降ってきた。
劇場内全ての視線をくぎ付けにした怪獣は、自分が主役だと言わんばかりに全身で雄たけびをあげた。
「ああ、もう。マジでなんなの」
「じゃあ頑張ってね、アカリちゃん。悠馬くんだけは私が守ってあげる。あとは貴女次第だよ」
名前の無い彼女はそう言った。
「アカリって呼ぶなって言ってんでしょ。マジで覚えててよ。くそばばあ」
「怖いな。昔みたいにお姉ちゃんって呼んでよ」
急な言葉に、顔が赤くなるのを感じる。
黒歴史だ。この人は正確には姉ではない。
「最悪」
私はその場を走り去った。悠馬の前で怪獣になる訳にはいかない。
「じゃあ、私たちは逃げようよ」
名前の無い彼女がそう言いながら悠馬の手を引いて駆けていくのが、見えた。
なんなんだ、あいつ。勝手に手なんか繋ぐなよ。
二人から離れた後、私は劇場の駐車場にいた。ここなら、人を巻き込むことは無い。
私は拳を硬く握りしめ、目を閉じた。強く念じる事で、私は怪獣へと姿を変える。
全身の筋肉と骨格が全くの別物になり、とてつもなく肥大していく。皮膚は硬く、鱗のようになり、全身を覆い隠す。人間の腕だったものは空を駆ける翼になり、全身が戦いに適応した形になっていく。
五感が研ぎ澄まされ、周囲がスローモーションに見えるようになる。脳の回転速度も別物になり、私は完全に怪獣となった。全能感、多幸感が全身を満たす。
でも、私はこの感覚が嫌いだ。何も出来ない私が、何でも出来るような気になるのは、気持ちが悪い。
それに、私は怪獣が生まれる構造を気持ち悪く思っている。自分が怪獣になるのは、その構造に自分が組み込まれていることを実感して吐き気がする。
空想上の生物、ワイバーンによく似た怪獣となった私は飛び上がり、今回の相手怪獣を眺めた。
私と名前の無い彼女以外の怪獣は、いつも同じ見た目をしている。その仕組みを考えれば当然の事だ。二足歩行の体に長い尻尾。他には特徴が無い。言っちゃあ悪いが、ただの怪獣だ。
それゆえ、怪獣の強さというのはその大きさで判断する。単純な話だ。大きい怪獣は強いし、小さい怪獣は弱い。
さて、今回の怪獣は。え、まじか。そんな。噓でしょ。
デカい。明らかに、デカい。
先日、中学校に出た怪獣は、中学校のグラウンドに収まるぐらいの大きさだった。それが、平均的な大きさだ。
でも、今、私の目の前にいるのは、それを遥かに凌駕する大きさだった。ともすれば、街を全部更地にしてしまうんじゃないかと思わせるくらい、デカい。
私は心の中で深呼吸をして、戦いに向けて気合を入れる。
戦うのは、いつだって本当に怖い。深呼吸で、恐怖を全て吐き出した。
恐怖を吐ききった瞬間、相手怪獣はゆっくりとこちらに向かって歩き出した。
その歩みは、とても遅かった。体が重すぎるためだと思われる。でも、一歩ずつ、確実に相手は近づいてくる。
戦い方を考える。怪獣退治の基本は、燃やしてしまう事だ。怪獣の体は物質で出来ている訳ではない。それが理由かは知らないが、怪獣の体はよく燃える。
でも、今回の相手を燃やし尽くすのは骨が折れそうだ。まずは動きを止めたい。私は、とりあえず戦ってみて様子を見る事に決めた。
翼をはためかせて自分から相手に突っ込んでいき、腹の辺りに体当たりをする。私は、頭から相手にぶつかった。
直後。強烈な痛みが頭部から全身に痺れた。
相手の体が硬すぎる、と思ったとき、視界の左半分が黒く染まった。そして、次の瞬間には私は何故か青空を見ていた。ワンテンポ遅れて、背中から悲鳴が上がる。
突き落とされたんだ。私がそう気づいたのは、実際に墜落した数秒後の事だった。
相手怪獣は得意そうに私を見下している。なんだこいつ、知性もあるのかよ。
例外だらけだ。本来なら私は、もう死んでいてもおかしくない。怪獣というのは、人間の赤子と同じだ。視界に動くものすべてに興味を示して無差別に触ったり踏み潰したりする。
でも、こいつは、違う。明らかに私をなめた上で、こちらを眺めている。
一度の攻防で、互いが、互いの力の差を思い知った。
怖い。戦いたくない。逃げたい。死にたくない。
相手怪獣が、右足を上げた。
踏み潰される、と思ったとき。
視界の隅、さっきまで悠馬たちがいた方向で、何か光るものが見えた。
次の瞬間、怪獣は悶え苦しみ始めた。
右足を私とは関係のない所に落とし、両手で自分の首を抑えている。怪獣はその場にうずくまり、そのまま、消滅した。
マジか。
私には、その意味がよく分かった。名前の無いあの人が、私には出来ない方法を使った。まともな人間なら孤独に耐えられなくなるような方法で、怪獣を倒した。
でも、何故――
そう考えるよりも先に、私の意識は暗闇に吸い込まれていった。
*
僕はその戦いを、離れた場所から見ていた。明らかに大きい怪獣と、アカリの戦い。
それは、一瞬で終わった。アカリが怪獣に突っ込んでいったと思ったら、墜落していて、そして、名前の無い女性が怪獣を消した。
訳が分からない。そんな事が出来るなら、最初からやってくれよ。
僕は、アカリの元へと走り出した。
*
五分ほどで、目を覚ました。私は、人間の姿で、どこかの建物に横たわっていた。仰向けになると、空が見える。なんだか自分が目立っている気がして、ここがさっきまでいた劇場のステージの上だと分かった。傾いたステージで、観客も居ないのに、なんだか見られている気がする。
意外と、私の心は落ち着いていた。戦いに負けるのは初めてではない。それに、今回は使わなかったが、戦いの中で自分の命だけは助かる方法も、私は持っている。
感想としては、何故あの人が怪獣を消したのかが分からない、というのが大きかった。
もう少し、眠ろう。流石に疲れた。起きたら、また悠馬に会いに行こう。
そう考えたとき、彼の声が聞こえた。私を、アカリ、アカリと叫んで呼ぶ声。なんだか、笑える。
唯一、その名前を本当の意味で呼んでくれる人間。代替不可能な、彼にとっても唯一無二のアカリ。
悪くない名前だな、と我ながら思う。彼の苗字が青木だったからアカリにした。それだけの事に、彼が意味を持たせてくれる。彼が名前を呼んでくれれば、私はアカリになる。とても嬉しいし、綺麗な事だ。やはり、なんだか笑みがこぼれてくる。
でも、寝転んだまま彼に見つかる訳にはいかない。私は立ち上がって、自分の身なりを確認した。彼の声が近づいてくる。もう少し待って欲しい。近くに鏡でもあればいいのだが。舞台袖ならあるだろうか。
でも、その前に彼に見つかった。彼は、その舞台袖から出てきた。
やっぱり、なんだか見られている気がする。ステージの上で二人きり、というのはロマンチックと言えなくもない。ボロボロに壊れたステージだけど。
最初のセリフは、考えるよりも先に出ていた。
「うるさいよ、悠馬」
ああ、素直じゃない。これじゃダメだ。もっと、素敵なセリフが欲しい。これじゃあ、観客の前に私が、主演が満足しない。
でも、口は勝手に動いていた。
「来てくれたの?」
これは悪くない。お姫様みたいだ。ずっと助けを待っていたプリンセス。
悠馬は何も言わず駆け出し、私を抱きしめた。私の胸の鼓動が、一気に速くなる。それで、私は自分を客観視することをやめた。悠馬の言葉を、自分事として聞きたいと思った。
「アカリ、良かった。君がいなくなるんじゃないかと思って」
私より必死そうに、彼は言った。
私は彼の頭を撫でてみようかと思ったけど、なんとなくやめた。彼の背中を、片手でさすった。
「いなくならないよ。言ったじゃん、私が悠馬の隣に居てあげるって」
「ごめん。君に戦わせてばっかりで。君に背負わせてばっかりで」
やっぱり、彼はとても優しい。悠馬に出来る事なんか無いし、巻き込んだのは私だ。それなのに、何故か彼は責任を感じている。私は、それがとても嬉しい。
「大丈夫だよ。慣れっこだし」
しまった。ありがとう、と言うべきだったかもしれない。
彼は私を抱きしめたまま、強く言った。
「違うんだよ、アカリ」
「違う?」
別に何も違わない。何かおかしな事を言っただろうか。
「うん。本当に辛いのは君の方なんだ。僕じゃない。だから、大丈夫は僕のセリフなんだよ」
「どういうこと?」
本当に、意味がよく分からない。
「もう、強がらなくていいんだよ。君も、泣いていいんだ。だって、僕がいるから」
その言葉で、私の心のどこか堅い部分に、ひびが入った音がした。やっぱり、ありがとうを言えば良かった。
彼は必死に続ける。
「君なんだよ、全部。僕は君に慰めて欲しい訳じゃない。君の事が知りたいんだよ。君の悲しみを、一緒に悲しみたい。君の傷と同じものを、僕も抱えていたいんだ。君の力になりたい。僕を、もっと頼って欲しい」
その言葉で、私の心は決壊した。抱えていたものが、溢れてしまう。やっぱり言うべき言葉は、ありがとうだった。大丈夫だよ、なんて、言わなければよかった。
だって、大丈夫なんて、本心ではない。大丈夫な訳がない。
私も、いつの間にか泣いていた。両腕で、彼を強く抱きしめていた。彼を、もっと全身で感じていたかった。
私は、泣きじゃくりながら言った。
「戦うのは、怖いよ」
「うん」
「とても怖いんだよ。痛いし苦しいし、悲しい。本当は、戦いたくなんかないんだよ」
「うん」
「戦う理由だって、もう分からない。あの人――お姉ちゃんの事も、よく分からなくなってきた。私たち、凄く仲が良かったんだよ。あの人の事、大好きだった。でも、それももう分からないんだよ」
彼は、優しく相槌を打ってくれる。私を守り、包み込むように、彼は私の話を聞いてくれる。
だから、自分でも気づかなかった思いが、次々に溢れた。
「悠馬の事だって、私は傷つけてばっかりだ」
「そんな事ないよ」
「ううん。私が悪いんだよ。私もやっぱり寂しかったんだよ。君が、あの時あんな風に言うから、賭けてみようって思った。我儘なんだよ。私はとても弱いから、君を巻き込んで、傷つけている」
「僕はそんな風には思ってないよ」
「ほら。今だって、君は私に優しい。その優しさが、とても嬉しいんだよ。君の優しさに、私は甘えちゃうんだ。でも、それは本当は駄目な事なんだよ。私には君が必要だけど、それじゃ駄目なんだよ。君の優しさは、君自身を傷つけてしまう」
彼はまた頷いてくれるだろうと、思っていた。
でも、彼はそうしなかった。彼は、黙ったまま動かなかった。何か言葉を探しているようだった。
そして、彼は言った。
「そんな風に、言わないでよ」
「……え?」
「本当は僕に甘えちゃ駄目なんて、言わないでよ」
彼は強い言葉で、でも慎重に言葉を選びながら言った。
「そんなの、誰が決めたんだ。僕が言ったのか? 『もう僕に甘えないで』って。そんな訳ないだろう?」
彼は深く息を吸って、言った。決定的な一言を。
「僕は君が好きだ。ただそれだけなんだよ。だから、そんな風に言わないでよ。存分に僕を傷つけて欲しい。存分に、僕に甘えて欲しい」
一瞬、息が止まる。
次の一瞬で、その言葉の意味を考えた。考えなくても、分かる事だった。
だって、きっと私もそうだから。
そして、自分が言った事の愚かさに気づいた。なんてひどい事を私は言ったんだ。君に甘えちゃ駄目、なんて絶対に言ってはいけなかったんだ。
だって、私も同じなんだ。
私も、彼の事ばかり考えていたい。彼に甘えられたい。彼の力になりたい。彼の傷と同じものを、私も抱えていたい。
私は、悠馬を巻き込んでいたと思っていた。自分の勝手な都合で彼を巻き込み、傷つけていると思っていた。でも、彼からすれば、それは違うのだ。
今の私は、それをよく理解できた。私も同じだから。
きっと、そういう事なのだろう。相手の傷を知りたくて、自分の傷を知って欲しくて、相手の幸せを理解したくて、自分の幸せを理解してほしくて。
きっと、そんな風に渦巻く感情を、彼は一言で表したのだ。だから、私はもう何も言わなかった。
きっと、私も君の事が好きなんだ。
もう、それ以外の言葉は全て蛇足だ。私たちは、互いの体を強く、強く抱いた。
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