ネロの使命1

 ベルはパラケルススの杖を拾い上げると光の幕に手を伸ばした。

 

「ベル駄目だ! その光に触れると跳ね返されるんだ」

 

「大丈夫。入ることは出来るって言ってる……」

 

 ベルは目をつむって手を前に突き出しながら光の幕をすり抜けて神殿へと入ってきた。そして自分の背丈より大きい杖を抱えたままネロのもとに走ってきた。

 

「ベル! 無事だったんだね!」

 

「うん……声が聞こえて逃げろって……一人であの鉄の扉の中に逃げろって……わたしネロや皆が心配で……本当は残りたかったんだけど……逃げないと皆を助けられないからって……」

 

 ベルは涙で声をつまらせながら話した。服や顔は汚れ、小さな傷や破れがいたるところにあった。どうやら声を頼りに、ベルも危険な道をくぐり抜けてきたようだ。

 

 ネロはベルの手を引いてみんなのもとに戻った。

 

 そこではスーが震えながら泣いていた。

 

「ネロ……ツァガーンが……息をしてないんだ……」

 

 ネロはツァガーンに目をやった。邪神の青い血に染まったツァガーンが、スーに抱かれて眠っているのが見えた。

 

 大丈夫。そう聞こえた気がした。

 

「大丈夫。眠ってるだけだよ」

「大丈夫。眠ってるだけよ」

 

 ネロとベルは同時に同じ言葉を口にした。二人は驚いて互いに顔を見合わせた。

 

「ネロ! ネロも声が聞こえるの?」

 

「うん。実は何度かこの声に助けられたんだ。僕は光の妖精さんって呼んでる」

 

 カインとスーが困惑した表情をしながら尋ねた。

 

「いったいどういうことなんだ?」

 

「とにかく祭壇へ急ごう」

 

 ふと目をやるとパウは一人地に塞ぎ込んでいたが、誰も声をかけることが出来なかった。

 

「今はそっとしておいてあげよう……」

  

 ハンニバルをスーとベルが担ぎ、ツァガーンをカインとネロが引っ張って、一行は祭壇へと続く階段を登った。祭壇には石の台が置かれており、そこには石像ではなく本物の天使の骸が横たわっていた。

 

 白く美しい羽はそのままに、天使の肉体は干からびて骨に張り付いていた。腕を胸の前で交差させ、膝を立て、美しく長い金髪が表情を隠している。

 

 しかし亡骸の状態の良さとは裏腹に、天使は頑丈な鎖で石台に縛り付けられていた。その姿はまるでこの地下の神殿に封印されているように見えた。

 

 ベルはその亡骸の前に進むと亡骸に向かって囁いた。

 

「起きて。

 

 ベルがルチフェルと言った瞬間に、言葉そのものが光の粒子になって天使の亡骸に向かっていった。光の粒子は天使の口から体内に入り込むと先程まで干からびていた天使の身体に生気がもどった。骨に肉が甦り、透き通るような白い肌に血の気がもどり、胸が上下に動いて呼吸を再開した。

 

「こんにちは。ネロ。やっと会えましたね」

 

 天使は顔を横に向けてネロに挨拶した。

 

「私はルチフェル。あなたが光の妖精と呼んでいた存在の本体です」

 

「君が僕を助けてくれていたんだね…?」

 

 ネロはルチフェルの美しい目の奥を探った。その目の奥には美しさと裏腹に底知れない闇があり、闇の中に途方も無い力を秘めているのがわかった。

 

「正確にはここに導くために。どうしてもこの身体に、私の魂を戻す必要がありました。それにあなたにこの世界を見て欲しかった」

 

「僕に世界を?」

 

 ルチフェルは黙って頷いた。

 

「あなたがたと、堕天の燈火の真実をお教えしましょう」

 

 ルチフェルは静かに語り始めた。

 

「世界にはかつて堕天の燈火に並ぶ強力な火がいくつもありました。神が人間に与えた火は、世界滅ぼすほどの力を持っていました。しかし人々はそれを破壊に用いることはなく、その力を活用して高度な文明を発展させました」

 

「現存する古代遺物アーティファクトはその文明の名残です。すべてが強力な力の恩恵で造られています」 

 

「当時の人々は古代遺物を日常的に使って生活していました。その文明は豊かさの最高地点でした。人間はさらなる幸せを求めて魔法や科学を発展させていきました。しかしそれにともなって欲望は無尽蔵に増大していきました」

 

「とうとう人類は燈火の力を争いに使い始めました。資源が枯渇し始めたからです。国々は同盟を結び、裏切り、燈火の力で造った兵器で争いました」

 

 不思議なことにルチフェルが話すと過去にあった出来ことがまるで体験したかのように目に浮かんだ。

 

「世界は滅亡の寸前でした。そこで古の王達が会合を開き、燈火を封印して放棄する協定を結びました。その王の一人がブラフマンとアーリマンの祖先にあたります」

 

「祖先の名はゴーグ。彼は協定を破り、自分だけが密かに堕天の燈火を隠し持って世界の覇権を握りました。しかしいつしか王国は南北に二分しシュタイナー王国とルコモリエになりました」

 

「堕天の燈火はシュタイナー王国の手に渡りましたが、火の保管場所はすべてルコモリエの領内にありました。祭壇とよばれるこの場所は、本来堕天の燈火の力を制御するための場所です」

 

 一行は驚愕した。まさかそのような成り立ちで世界ができていたとは誰も知らなかった。

 

「正しく制御できない燈火はいつしか暴走し始めました。名だたる魔術師が幾度となく封印を試みましたが、堕落した人類の知恵では堕天の燈火を制御することは不可能です」

 

「人類は堕天の燈火を祭壇に返そうとしました。しかし燈火は完全な人間の遺伝子を持つ者しか触れることができません。戦争とそれに伴う環境汚染、魔術汚染の影響で、人類は本来の遺伝子を失い人族ヒューマンになり下がりました」

 

「こうして人間のために与えられた堕天の燈火を持つことが出来る者はいなくなりました。たった一人を除いて」

 

「まさか…!?」


 ネロはルチフェルの目を見た。ルチフェルはネロに微笑んで言った。

 

「そうです。ネロ。あなたこそ、この世に残る最後のです」

 

「アーリマンとパラケルススはそのことを知っていました。そこで二人は一計を案じました。世界の破滅に繋がる危険因子、すなわち自分たちの創った支配構造を壊しかねない力を持つ者達を、堕天の燈火もろとも、亡き者にしようとしたのです」

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