ひとくち布団ちゃん

谷村ともえ

おならスイッチ

 私は仕事を終え、いつものように帰宅すると、小さなテーブルに割引シールが張られた総菜を並べた。今日は金曜日、明日は休みなのでそこに冷蔵庫でキンキンに冷やしたビールを二缶追加する。


 タブを引けば、白い泡が飲み口から溢れて零れかける。私は急いで口をつけてそれを阻止した。僅かな炭酸を含んだクリーミーな泡が舌の上で踊っている。


 晩餐の準備が整いつつある。最後に、スマホにインストールされた動画配信サイトを起動した。画面には現在配信中の動画がLIVEの赤い文字で表示されている。


 ごはんを食べながらゲーム配信を見るのが私の楽しみだ。他人がゲームに翻弄されて騒いでいる様は実に面白い。



「布団...ちゃん?」

 

 見慣れない配信者が、注目の配信欄に並んでいる。このアプリを使って一年ほどだが、聞いたことの無い人だ。


『アクションゲームをやる35歳のクズ』 


 尖った配信タイトル。いつもなら敬遠するようなタイトルだが、意識する前に人差し指はタップしていた。


 前髪を上げ、イヤホンを着けた髭面の男が画面に映っている。

 

「ちょっと待ってて。あっ....」

 ―プゥッ


 哀愁漂う一言の後、男の尻から屁が一発放たれた。身が出たか疑う、高い音程だった。男は顔を両手で多い赤面を隠した。


「恥ずかしい....お婿に行けない。お婿にィ....」


 すすり泣いているようだが、手の間からは白い歯が見える。不意に、男はその手を下げ、真面目な顔で話し出した。



「まあ、あのぉ。ホントに屁をしていることに関してはぁ、凄く恥ずかしいのでぇ」


 一瞬の間を置いて。


「どうします?僕がここにぃ、スイッチがあったら。あんなにいつも爆音を鳴らす、”おならスイッチ”って言うのが、あるかもしれませんよ」


 気づけば男は不敵な笑みを浮かべていた。ゆらゆらと揺れ始め、画面の前にいる私たちの反応を楽しんでいるようだ。


「やでしょ、もうこれから。おなら聞くたんびに皆は頭を抱えて....」


 目を見開いて気分が絶頂に達した男は叫ぶ。


「悩めば、イイ!」


 銀色に金星がプリントされた缶ビールを一口。


「さあ、逝きたいなあと思います」


 そのまま画面は暗闇に落ちた。




『配信は終了しました』


 


 

 ゲームなんて一ミリも関係ない、低俗で汚い動画だった。しかし、謎の満足感と充実感が心を満たしている。それと同時に、違和感が残った。


 暗転する直前、ビールと取った際に画面が少しずれた。ブレた画面の端には、銀色の土台に茶色のボタンが付いた”何か”が映っていた。


 本当に存在するかもしれないおならスイッチに、私は頭を抱えた。

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