繋ぐ糸の色を教えて

新巻へもん

第1話 歌声

 私が見つめる中、ヴォーダンはリュートを抱えると弦をつま弾く。

 下を向いていてた顔を上げると私の方を見て、ニコリと笑った。

 私の方を見た、というのは比喩的な表現だ。

 ヴォーダンは赤い布をぐるりと顔の目の周りに巻いているので、少し癖のある黒髪の下にあるはずの目は見ることができなかった。

 この世界に来て最初に出会ったときから、布の下を私が目にしたことは無い。

 改めてヴォーダンの様子を観察する。

 年の頃は二十歳を少し過ぎた頃だろうか。

 私より数歳は年上なのは間違いない。

 常に穏やかな微笑をたたえている口が開かれた。

「アヤネ、いいかい? 弦のここを指で押さえて」

 私もヴォーダンの真似をして左手の指でリュートの首に当たる部分の弦を押す。

 ヴォーダンは右手で弦を弾いた。

 焚火のはぜる音に混じって音が紡がれる。

 周囲の木々に吸い込まれて消えた。

 たった一音なのに深く心と体に染みわたる。

「さあ」

 ヴォーダンに促されて私は右手を弦に添えた。 

 指で弾く。

 びぇん。

 なんとも情けない音が出る。

 ああ。恥ずかしい。

 伏せた顔が熱くなった。

 これは決して焚火の照り返しのせいではないだろう。

 こんなことを思うのは不謹慎だけど、ヴォーダンが私の顔を見られなくて本当に良かった。

 拍手の音がする。

 顔を上げるとヴォーダンが手を叩いていた。

「素晴らしい」

「そんな……。師匠の音とは比べものになりません……」

 ふふふ。

 ヴォーダンはふんわりと笑う。

「そりゃ、私はこれで食べていっているからね。生徒より少しは巧くないと。でもね。最初にリュートを手にしたときは、アヤネとそれほど変わらなかったよ」

 私がくじけないようにと励ますためというのが明らかな台詞を言った。

 私は唇を尖らす。

 見えないはずなのにヴォーダンは右手の指を振った。

「そんな表情はアヤネに似合わないよ。大丈夫。私を信じなさい。君には才能がある。私に君の紡ぐ音楽の音色を見させて欲しい」

 深く低いイケボイス。

 これだけで、ご飯三杯は食べられそうだ。

「では、師匠。模範演奏をお願いします」

「相変わらず調子がいいことを言っているね」

 ゆるゆると首を振る。

 本当にしようのない子だ、という風を装っているが、それも長く続かなかった。

「では、簡単なものを一曲だけだよ。それが終わったら、練習を再開だ。いいね?」

「はい」

 素直に返事をしてみる。

 ヴォーダンはリュートを抱えなおすと、ゆっくりと弦を弾きだしながら歌いだした。

 我が子の幸せと健やかな成長を願う歌。

 呪歌歌いバードの伸びやかな声が響き渡る。

 私が初めてヴォーダンと出会ったときと同じように。


 ***


 私、中山文音十三歳は、花も恥じらう女子中学生だ。

 少なくとも、この世界にやってくるまでは、制服を着て学校に通い、来年に控えている高校受験の陰に頭を悩ませつつ、それなりに青春をしていた。

 まあ、周囲でチラホラとでき始めていた初々しいカップルのようにお付き合いをしているカレは居なかったけど。

 そんな生活が一変したのは、課外授業で出かけた牧場でのこと。

 男女三人ずつのグループで、オリエンテーリングをしているときだった。

 私は木の根につまづいて、チェックポイントが書いてあるしおりを飛ばしてしまう。

 少し離れたところに落ちたしおりを拾い上げて、他のメンバーを振り返ってみると、もう誰も居なかった。

 薄情だなあ、と思って早足で追いかける。

 木々が生い茂る細い道を進んでいくと前方が明るくなった。

 やれやれと森を出たところに居たのは、同級生とは似ても似つかない格好のおじさん達。

 髭ぼうぼうで、顔は何日も洗っていなさそう。

 薄汚れた格好をして、継ぎの当たった袋からピカピカ光る装飾品を手に大声を出していた。

 人を見かけで判断してはいけません、とよく言われる。

 いやいやいや。

 これは明らかに反社会的な活動をしている人ではないでしょうか。

 不意に飛び出してきた私にぎょっとしたのは一瞬で、五人のおじさん達は相好を崩した。

 にちゃあ。

 他より頭一つ分背の高いおじさんが私を指さすと、聞きなれない言葉で一言叫ぶ。

 知らない言葉だったけど、なんとなく意味は分った。

 捕まえろ、とか、逃がすな、とか、そんな感じ。

 日本語で危ないと叫ぶと、out of mindと聞こえるのと似た感じかも。

 何を目的としているのかは正確なところは分からなかったけれども、道に迷った私を送り届けてくれるという親切心ではなさそうなのは分かった。

 だっと私に向かって駆けだしてくる四人の手に握ったギラリとナイフが光る。

 私はくるりと向きを変えると元来た道に走り込んだ。

 毎朝遅刻しそうになりながらも約二キロの距離を走って教室に滑り込んでいる私の俊足をなめてもらっては困る。

 しかも、登校時には、教科書や支給されたノーパソ、辞書、水筒、その他もろもろでパンパンに膨れて重いったらありゃしない鞄を肩から下げていた。

 オリエンテーリング中は小さなナップザックを背負っているだけなので、比較にならないほど身軽だ。

 すたこらさっさと走りながら、頭の隅で考える。

 後ろから喚きながら追いかけてくる人たちの格好は、現代日本におけるファッションの本流からかけ離れていた。

 何の動物かは分からないけど、毛皮でできたチョッキはなかなかお目にかかることはない。

 それに加えて、よく分からない謎の言語を話している。

 認めたくないけれども、某県に所在する観光牧場の敷地内とは思えなかった。

 私が走っているところも、明らかに整備されておらず自然のままで、いつの間にか道のようなものも消えている。

 アップダウンも激しかった。

 堆積した落ち葉を踏みしめ、蹴散らしながら脚を動かし続ける。

 灌木にひっかかれながら、木々が道を塞いでいないところを探して必死に走った。

 追手はそれほど近づいてきていないけれども、叫びかわす声は全然あきらめる様子はない。

 走り過ぎたのとは別の理由で胸の鼓動が激しくなった。

 このしつこさ。

 捕まったら私はどうなるのだろう?

 絶対、絶対に、良からぬことをされるに違いない。

 前方に明るくなっているところが見えた。

 私は心臓は口から飛び出しそうになるほどに激しく鼓動させながら、助けの手を期待してラストスパートをかける。

 森から飛び出して、絶望した。

 髭面のおじさんが嫌らしい笑みを大きくする。

 なんと、私は方向感覚を失って森の中を走り回った挙句、先ほどの空き地に戻って来てしまったのだった。

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