第二章 神の左手悪魔の右手

第7話 紅葉邸

 僕と師匠の目の前には、真っ黒な板塀の門が構えている。

 何百年も前からそこに建っているはずなのに、古臭さや弱々しさは一切感じられない。むしろ時代の荒波を乗り越えてきた歴史を物語っているかのようで圧倒される。緊張のせいで手に持った風呂敷包みに汗がにじむ。


「ここが秋葉市あきはしの権力者で騙り部一門の雇い主でもある、秋葉一族のお屋敷だよ」


 秋葉家は元をたどれば石油の採掘で財を成したらしい。その資金を元手に運送業や倉庫業、不動産業などの事業で成功を収めてきたという。数百年以上の歴史をほこる名家で、現在も医者や弁護士、政治家や企業経営者などの優秀な人材を輩出しているらしい。


 また、僕らが通う秋功学園を経営しているのもこの一族らしい。言われてみれば校内には、たくさんのもみじの木が植えられているし、校章には鮮やかな紅葉が使われている。


「大きくて立派な門ですね」

「素直で正直な感想だね。誠実のそういうところ好きだよ」


 僕は師匠のそういうところが嫌いだ。

 綺麗な女性にそんなこと言われたら……。


「あれあれ? 顔も耳も……あ、首まで真っ赤だね」


 師匠は楽しそうに笑った後に咳払いを一つ。それから門を力強く叩いた。


 扉がゆっくり開いて腰の曲がった老人が顔を出す。しわだらけで男か女かも判別できないが、不機嫌そうな表情をしているので歓迎されていないのは明らかだ。


 老人の目がじろりと僕らを一瞥いちべつした瞬間、小さな悲鳴をあげた。

 まるで幽霊か化物でも見たような反応にちょっと傷つく。


 老女はなにも言わずに歩き出す。

 師匠が黙って歩き始めたので僕もその後をついていく。


 連れられてきた先には立派なお屋敷が建っていた。邸宅の外壁は門と同じく渋墨塗しぶずみぬりで、屋根にはもみじの家紋が彫られた瓦が敷きつめられている。

 玄関先では、ふくよかな中年女性が掃き掃除をしているところだった。その人も僕らの訪問に気づくと、ひどく嫌そうな表情をした。


 師匠はいつものようにニコニコ笑っているが、僕は上手く笑顔を作れなかった。


 案内役が中年女性に代わり、僕らは綺麗に磨き上げられた廊下を歩く。珍しくてきょろきょろ見ていたせいか、先導していた中年女性がじっと僕のことを注視していた。急に恥ずかしくなって艶のある廊下の板目に視線を落として歩く。


 中年女性が立ち止まり、もみじの家紋が描かれたふすまを引いて中へ入るよう促す。そこはい草が匂い立つ畳が敷きつめられた和室だった。けれど座布団にまで家紋が入っていて苦笑する。

 みんながこの屋敷を紅葉邸もみじていと呼ぶ理由もよくわかった。


「大丈夫? 気分悪くない?」


 師匠が心配そうに顔を覗きこんでくる。


「は、はい。大丈夫です」

「嘘はつかないでいいよ。あいさつが済んだら先に帰ってもいいんだからね」


 彼女の五感は今日も嘘を聞き逃さない。

 僕はその気遣いに感謝しつつ仕事の流れを覚えるためにもここにいると告げた。

 師匠は納得していないようだったが、最後には仕方なくといった風に了承してくれた。


「そういえば知ってる? 騙り部一門という名前は、紅葉邸の門と関係があるんだよ」

「どんな関係なんですか?」

「その昔、化物退治の功績として『騙り部』という屋号を与えられた古津家の先祖の言語朗げんごろうに『人の口に戸は立てられないが、騙り部の口には門でも建てておかないとうるさくてかなわない』と秋葉家のご当主様が皮肉を込めて言ったの。それをおもしろいと思った言語朗は『騙り部一門』と名乗るようになったんだって。ふふふ。洒落しゃれが効いてると思わない?」


 師匠が優しく笑いかけてくるので大きくうなずいた。

 その笑顔には懐かしさを覚える。



 僕の高校入学が決まった三月は、両親の急な転勤が決まった月でもある。未成年の一人暮らしは危ないということで師匠の家にお世話になることになった。


 同じ市内に住んでいながら一度も会ったことがないので少し不安だった。だが家を訪れた時、師匠は優しい笑みと共に迎え入れてくれた。

 

 それから開口一番こう言ったのだ。

「ねぇ、私の弟子にならない?」


 今思うと唐突なうえに意味不明である。

 それなのに僕は、なぜかすぐに了承していた。


 弟子になると決めた理由はよく覚えていない。

 それでも師匠のうれしそうな顔と頭を撫でてくる手の感触はしっかりと覚えている。


「ご先祖様が考えた騙り部一門の奥義があるんだよ! もう、すっごいやつ!」


 師匠は子どものように無邪気に笑いながら騙り部一門の歴史を話してくれる。今日は正装、高校の制服を着ているのでセーラー服の朱色のスカーフがぴょんと跳ねる。


「騙り部一門の奥義って……なんだか胡散臭うさんくさいですね……」

「あ、信じてないなぁ? それなら今度見せてあげる。きっと誠実もビックリするよ」

「楽しみにしてます。騙り部一門の人を楽しませる嘘はいいですよね。僕は好きです」

「……本当に誠実は素直で正直者だね。昔から変わらないなぁ」


 その時、襖がスッという音と共に開いたのですぐに姿勢を正す。


 部屋に入ってきた男を一目見て、ただ者ではないと感じた。

 鴨居に頭がぶつかりそうなほど高い身長、猛禽類もうきんるいを思わせる鋭い目つきとすっきり通った鼻筋、ワイシャツからのぞく首筋や腕は程よく引き締まっている。見た目は若いのに貫禄かんろくがあり、精悍せいかんな顔立ちをしている。


「遅れてすまない。道場の稽古けいこが長引いて……」

 低く太い声で話す男は、僕らを見た瞬間に口を閉じた。

 正確には僕と目が合ったからだ。


「おい! どういうつもりだ!」

 猛獣のような鋭い目がカッと見開かれたかと思えばすぐに怒号が飛んできた。


「あれあれ? なんのこと? ちゃんと言葉にしてくれないとわからないなぁ」

「とぼけるな! なんでここに……」


 師匠の軽妙な物言いに怒るその人は、なにか言いかけてやめた。

 それから気持ちを落ち着かせるように息を吸って吐いた。


「……その少年は誰だ。ここは部外者が入っていい場所じゃないだろ」

「部外者扱いはひどいなぁ。この子も騙り部一門だよ? だって私の弟子なんだからね」

「お前の、弟子?」


 その人の表情は険しくなり、目つきもさらに鋭くなる。


「紹介するね。秋葉実人あきはさねひと。秋葉一族本家の長男で私とは同級生。騙り部一門に仕事をくれるのも彼の役割。嘘や冗談が通じなくてめんどくさいけど、ま、そんなに悪い奴じゃないから」

 陽介さんが生徒会の人に騙り部のことを教えられたと話していたけれど、この人かな。


 それにしても師匠が余計なことを言うせいでまた怒号が飛んできそうで怖い。

 そうなる前にあいさつを済ませよう。

 僕は両手を畳に付いて頭を下げる。


「お初にお目にかかります。【歌詠うたよみの騙り部】こと古津詠が弟子、誠実と申します。この度、騙り部一門の末席に加わりましたことを報告いたします。よろしくお願い申し上げます」

「……誠実」

「はい」

「……これから騙り部として秋葉市のため、秋葉一族のために励めよ」

「はい。精進します」

 ついさっきまで激怒していた人とは思えないくらい優しい声だ。

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