[30] 対策

「ここだ」

 不意に闇子が指し手を止める。

 鉄壁と思われていた穴熊が崩れて玉を露出させている。けれどもそれでもまだぎりぎり闇子が残している、ように見えた。


 後手の次の1手、玉の早逃げ、通称銀冠の小部屋へと藤山さばき玉は逃げ込んだ。

「この手で距離感を狂わされて負けました」

「確かに……攻めるんだか受けるんだか難しい局面ね」

「持ち時間も残り1分切ってた。わけがわかんなくなって慌てて指した手がまあひどかったよね」

 そこから急転直下、あっという間に闇子玉は詰まされてしまっていた。


「ついでにこの逆転負けがたたって3局目でも精神建て直せず連敗しました」

「思った通りクソザコメンタルじゃん」

「邪推じゃなかった! やっぱひどいこと考えてたよ、この女」

 結果1勝2敗、暗黒沢闇子は予選敗退したというわけだ。


 対策するならご自由に、ということで参加者には予選12局の棋譜がすべて配られている。

 藤山さばき、青のショートカットにメガネをかけてたような気がする。控えめなイメージ、開会式でもべらべらしゃべってた記憶はない。


 対抗形2局はいずれも四間飛車、残り1局は相振りで向飛車に振っている。早い段階で角道を止める、クラシックな振り飛車党。

 香波はそのタイプの振り飛車をあんまり指さない。別に嫌いではないが相手が穴熊ばかりで飽きるからだ。


 彼女は別にそうではないらしい。

 闇子と指した形も何度も経験があるのだろう。

 指しなれている。時間の使い方からも経験値の膨大な蓄積がみてとれる。


 自分との対戦を香波は空想してみた。

 恐らく戦型は相振りになる。

 勝てるだろうか?

 佐原カナミは暗黒沢闇子に負けた。暗黒沢闇子は藤山さばきに負けた。順当にいけば佐原カナミは藤山さばきに負けることになる。


 闇子が問いかけてくる。

「正直、一朝一夕でカナミさんが勝てるようになるとは思えませんね。何か作戦でも考えてるんですか?」



「V将棋王決定戦準決勝第2局、Bグループ1位藤山さばき、対Aグループ2位佐原カナミ。ルールは予選と同じく10分切れ負け。聞き手は第1局にひきつづき私、小川と金、解説はこちらの方に来ていただいております」

「どうも、Bグループで予選落ちした暗黒沢闇子です。よろしくお願いします」

「よろしく願いします」


 配信画面には将棋盤が大きく映る、初期状態。

 その左右には対局者である2人の少女の顔のアップが表示されている。某公共放送を意識したつくり。

 解説と聞き手は端の方にちょこっと小さなアイコンが配置してある。


「先ほど行われた準決勝第1局では男同士の熱い戦いを戸村龍三が制し、決勝へと駒を進めました。つづく第2局はうって変わって少女V同士の対局です。事前に聞いたところプライベート含めこれが2人の初対局ということですが、両方とも対局したことがあるという闇子ちゃんはどう見てる?」

「はっきり藤山さんが有利ですね」

「え、佐原さん連れてきてくれたの闇子ちゃんでしょ。いっしょに準決勝の対策立てる配信もやってたじゃん」

「それはそうですけど、指した感じやっぱり藤山さんの方が1枚上手でしたから」

「うーん、配信前にとったアンケートでもだいたい7対3でさばきちゃん勝ちって感じだったかな」


 だいたいそんなところだろう。それは闇子の感覚と一致する。強いのは藤山さばきの方だ。

「でも将棋ってのは性格が悪い方が強いって説があるじゃないですか」

「あるね。手を殺したり相手の嫌がることしたりってのが大事なゲームだからかな」

「短い付き合いですけど私は知っています、佐原カナミの性格は悪いです」

「それ言っちゃっていいんだ」

「いいんですよ。つまり一発勝負のトーナメントなら何が起きるかわからないってことです」


 例え単純にぶつかれば藤山さばきの方が強いとしても、それが絶対に覆らないというほどには2人の実力差は離れていない、と闇子はみている。

「対局開始。1手目、先手のカナミちゃんが7六歩と堂々と角道を開けました」

「振り飛車党なんで5六歩とか7八飛とかも考えられたんですが、オーソドックスな手で来ましたね」

「対する後手のさばきちゃんも3四歩と角道を開け、角と角が向かい合う形です」

「藤山さんも飛車振ってましたから多分今日は相振りになるんじゃないでしょうか」

「序盤はゆっくりした展開になりそうですね。さばきちゃんがわりとのんびり指すタイプですから」


 同じように闇子も考えていた。けれどもその考えは佐原カナミの次の一手でぶち壊される。

「早くも先手から角交換! ぱっと思いつくのは筋違い角ですが」

「違いますね。角を打たずに飛車を振りました」

「……これってどういう作戦なの? 闇子ちゃんは何か聞いてる?」

「何も聞いてないですね。なんか考えとけとは言いましたが」

「先手ははっきり手損だし意図がよくわからないんだけど……」


 解説と聞き手の戸惑いをよそに対局はじわじわと進行していく。

 後手の藤山さばきも飛車を振り、結局そこは予想通りに戦型は相振りに。

 けれども両者角を持ち合っているため駒組は慎重にならざるを得ない。

 なんとなく――カナミの意図が闇子には見えてきた。


「将棋って今、最善は解析されつつあるじゃないですか、AIによって」

「いきなりどうしたの、闇子ちゃん?」

「でも最強の戦法が見つかったとしてそれをそのまま人間が指すことはできないと思うんですよ」

「AIは恐怖心とかないからね、地雷原でも最短でつっきっていっちゃう」

「トッププロであっても非常に難しいし、アマならなおさらそんなマネはできない」

「なるほどね、なんとなく私もわかってきたかも」

「初段同士の対戦においては最善を尽くすより自分の得意な形に持ち込んだ方が有利になることが多い。カナミさんは力づくでそれを実現してきた!」


 角交換相振り。

 おそらく佐原カナミは考えた、普通の相振りの経験値は藤山さばきの方がまさっている。

 そのフィールドでの戦いは自分が不利になる可能性が高い。

 だったらどうするか、簡単なことだ。

 多少自分が損することになっても無理矢理戦場を変えてしまえばいい。

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