【夢譚】あなたはわたくしの親友

 「これは一体、どういう事ですの!?」


 エルヴィラ・アショフは思わずそう叫んだ。


 それは新年の儀の前に皇都に戻り、実家であるヴァルドフェス公爵家の別邸に一歩踏み入れてすぐのこと。そこでは学生時代からの友人が箒を片手に、使用人達と楽しそうに談笑していた。


「どうして将来のヴェルドフェス公爵夫人が使用人の真似事をしているのかしら」

 エルヴィラは既婚者になった今でも肩身離さず持っている扇子で口元を隠し、紅玉髄カーネリアンの瞳で睨むように言う。今日はしっかり亜麻色の髪を結え上げているので、威圧感も半端なかろうと思う。


 友人は罰が悪そうな顔で誤魔化すように笑い、周囲の使用人達は真っ青な顔で俯いている。

 慌てた様子で家令長のアスマンが駆け寄るまで、彼らは蛇に睨まれた蛙の如く、動くことができなかった。



 ■■■■■



 兄がようやく、エルヴィラの友人であるカタリーナ・ヴィレと思いが通じ合ったと報告をくれたのは、今年の秋の事。

 もうすでに皇帝に接見し、結婚の許可も得たという。喜ばしい事だ。


 エルヴィラはその報告を聞き、我が事のように喜んだ。

 なにせ、兄がカタリーナに想いを寄せるようなきっかけを作ったのは自分である。あの数年前の学祭の夜に感じた、カタリーナなら兄は好きになれるかもしれない、という直感に従った自分を褒めてあげたい。いやそれでなくともエルヴィラは終始、自分を褒め称えているが。


 エルヴィラは自分が気位が高く、付き合いにくい人間だと思われている事を知っている。学園に入学した当初、周囲からあからさまに距離を置かれた。ぴーちくぱーちく五月蝿い小雀達には興味はないが、聞こえよがしに陰口を叩かれたのはちょっとだけ傷ついた。あの頃は自分も十三の小娘だったのだ。


 特に何かと嫌がらせをしてきたのが、アンガーマン公爵家の令嬢、ヴィクトリーアだった。ちょうどエルヴィラの年代には、他の大公爵家や大公国家の子供がいなかったので、自然アンガーマン家と彼女の実家のヴェルドフェス家が身分的に一番高い事になる。

 そして社交性皆無のエルヴィラに対して、ヴィクトリーアは多くの友人を侍らせ、堂々とエルヴィラを『平民公爵家』と罵ったのだ。


 帝国十家のうち、公爵位を持つ家は四家ある。

 どの家も広大な領地を持ち、帝国内での発言力も大きい。特に大公爵家のサヴァーラント、シュヴァルツエーデは領土だけでも帝国直轄地に並び、国土収益は他より群を抜く。

 それに続くアンガーマン、この三家はルーツは黄金の女神に由来する。元々皇帝家の血統のスペアとして発展してきたのだ。

 そして、この三家からは度々皇帝の伴侶が選ばれてきた。今は断絶しているシュヴァルツエーデの前当主が現皇帝の父親、その祖母の女帝には配偶者がいなかったが、女帝の母親はサヴァーラントの姫だ。


 それに対して、エルヴィラの家ヴェルドフェス家は歴史が新しい。

 およそ400年前に帝国は大きな変革を迎えた。

 ひとりの青年が、当時の腐敗しきっていた王朝を廃し、新たに新しい王朝を打ち立てたのだ。

 新しく皇帝として立ち上がった青年は前皇帝の私生児だったという。彼は前王朝と区別するため、自分の打ち立てた王朝を『ジル』と呼んだ。


 その銀の初代皇帝の第二皇子が臣籍降下し、叙爵されたのがこのヴェルドフェス公爵家だ。

 以来400年の間、銀の皇帝に忠誠を誓い、今や帝国十家の中ではアンガーマン家を上回る力を得ている。

 だが、ヴェルドフェス家には銀の恩寵も金の恩寵もない。

 初代当主は亜麻色の髪に紅玉髄カーネリアンの瞳を持ち、それは彼の母親の色をそのまま受け継いだのだという。銀の初代皇后についてはほとんど文献で残されていないので、どのような人物だったのかはわかっていない。さらに銀の初代皇帝自身も、その母親の出自は知られていないのだ。


 それゆえに、『ゴルド』の誇りを持つ彼らは、ヴェルドフェス家も、さらには皇帝家に対してさえも、口さがなく平民だと罵るのだ。


 だが、そのヴィクトリーアの執拗な嫌がらせがきっかけで、カタリーナと友人になることができた。これだけは唯一、エルヴィラがヴィクトリーアに感謝していることである。



 ■■■■■



「ああ、『あなた、よくそんな蛮族の娘と会話ができるわね』だったわね」

 カタリーナが懐かしむように眉を落としながら、そっと紅茶に口をつける。


 先程、『あまりにお屋敷が立派すぎて落ち着かなくて……』などと言いながら使用人達に混ざって掃除をしていたのを叱り、メイド達に公爵家の人間として身を整えさせて改めての挨拶とお茶会である。

 エルヴィラは苦笑した。


 あれは学生時代のなかで一番鮮烈に記憶に残る出来事だと、懐かしく思い出す。

 確か二人で初めて挨拶を交わし、どこかでお話をしましょうと移動しようとした矢先だった。

 背後からそんな不躾な事を言ったのが、ヴィクトリーア・アンガーマン。兄の異母妹にあたる。


 実はあの頃、兄ことニコラウス・ヴェルドフェスの身の置き所であちこちで論争が起こっていた。

 兄は既にその俊秀さを周囲に知られ、皇帝のお気に入りの側近になっている。ヴェルドフェス家の継承は是非とも兄にしてほしい。それがエルヴィラの実父の現当主と、魔導具士になりたいエルヴィラの本心だった。

 だが、当主を失ったシュヴァルツエーデの家臣達までもが兄を欲し、既に処刑されていた前公爵の遺言状まで持ち出したのだ。


 過去に迫害しておいて、よくもいけしゃあしゃあと、とエルヴィラや父は大激怒したのだが。

 結局、そんな身元の不安定さから、兄はつい最近まで全く結婚を考えられなかった。後にカタリーナという想い人がいたにも関わらず、動き出せんかったのはこれが原因だ。



 兄がシュヴァルツエーデを継承するという噂を聞きつけてから、ヴィクトリーアはますますエルヴィラに噛み付くようになった。しかも、公衆の面前でエルヴィラを蔑むような事を言う。

 しかもこの時は、一緒にいたカタリーナを侮辱した。

 許せない。かちんと来たエルヴィラは即座に扇子を広げる。これは彼女流の、戦闘開始の合図だ。


 だがそんなエルヴィラとヴィクトリーアの間に入るように、カタリーナが一歩前に進んだ。その行為に、一瞬エルヴィラは驚いて行動が遅れてしまった。


 カタリーナは真っ直ぐにヴィクトリーア・アンガーマンと対峙する。明瞭な声で、

『今、私のことを蛮族とおっしゃいましたかしら?』

 と返した。


 学園の一年生の中で最も華美な装飾を身につけ、ぞろぞろと取り巻きを引き連れたヴィクトリーアに臆することない姿に、エルヴィラは驚いた。一方のヴィクトリーアも言い返されるとは思わなかったのだろう。きつく巻いた金の髪を後ろに払いながら、不愉快そうに眉を顰める。


『ティグノスの男たちは剣ではなくて斧を振るうのだとか。野蛮な一族よねぇ。どうしてそんな者がこの学園にいるの?』



「あの不躾な女に、よくもまあぁはっきりと言い返したわよね。あれには感心したわ」

 エルヴィラはくすくすと笑いながら、懐かしい思い出に浸る。


 あの時のカタリーナの反論はそれは見事だった。なぜか戦斧の実用性を熱く語り、次いで現在アンガーマン家がティグノスの協力を得て行っているという黒河の河川港の開発事業について語った。

 ヴィクトリーアはその事を知らなかったのか、ただ目を丸くしていただけだったが。

 さらに、今ヴィクトリーアが身につけている髪飾りに使われている紅珊瑚は、ティグノスが帝国に友好の証に贈った物だとはっきり告げた。

 ヴィクトリーアはこの髪飾りを大変自慢し、皇后ですらこれほどの紅珊瑚は持っていないと豪語していたのに、その由来までは知らなかったのだろう。最後には顔を真っ赤にしていた。


「だってやばいって思ったんですもの」

 カタリーナはちょっとだけ唇を尖らせる。

「あそであなたとクルックルが激突したら、私、すごく気まずいじゃない。巻き込まれたくないし」


 六年越しの本音に、思わずエルヴィラは声を出して笑う。

「あなたらしいわね」

 この友人は、まっすぐな正義感を持っているが、どこか少しだけずれている。それがたまらなく楽しい。


「あれからも散々絡まれたけど、でも蛮族とはもう言われなかったから、万々歳よね」

 カタリーナは誇らしげにそう語る。


 確かあの後、アンガーマン公爵家からティグノス諸島王国への正式な謝罪文が届いたのだ。

 カタリーナは見事に、自国の名誉を守った。


 努力家で、勤勉。

 それが今までの付き合いの中で抱いた、カタリーナの印象だ。五年の学園在学中も、誰よりも一生懸命勉強し、総合テストではいつも学年十位のどこかには居た友人。


「ええ、そうね」

 過去を懐かしみながら、エルヴィラは窓の外を見る。あれから二人は親友になり、この親友のお陰で学園にいた五年間を楽しむことができた。

「あなたはわたくしの誇りよ」


 エルヴィラの言葉に、カタリーナの表情が綻ぶ。照れ臭そうに笑う様の、なんと可愛らしいことか。


「わたしもよ、エルヴィラ」



 複雑な出自ゆえに、多くのものを抱えている兄は、未だに過去の呪縛に囚われている。だが、その兄の隣にこの友人がいてくれるなら、兄の人生はきっと晴れやかなものになるだろう。


 エルヴィラはそう確信していた。

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