【後譚】はなれないで、はなさないで(壱)

 ちょっと蛇足的な、その後に繋がる後日談です。


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「アッカー様、人生には三つの坂があるそうですわ。ご存じでしたか?」

 カタリーナが扇で上品に口元を隠しながら言えば、正面に座る彼の顔が少々引き攣る。その顔色も悪く、生気も薄い。本当なら隣に座り、背中でも摩ってあげたいところだが、今のカタリーナは全くそんな気になれない。


 今二人がいるのは、皇都の王宮へと向かう馬車の中だ。

 さすがヴェルトフェス公爵家の馬車、クッションはふかふかしていて、揺れも少ない。座り心地も最高である。ーーーほんの数時間前まで乗っていた船に比べれば。



 ■■■■■



 カタリーナたちティグノス諸島王国の一行が、皇都に着いたのは今朝。十五日かかった船旅で、さすがに一同疲労の色が濃い。特に体力のないアッカーやフィリーネは皇都の港に着いた時は、死人の形相だった。


 帝国の皇都ヴィンダリアは、巨大な湖のほとりに広がる湖港都市だ。街は大きくいくつかの区画に分かれており、一行は商業地区の港に船をつけた。


 その港で、見慣れない高級な馬車が待っていた。


 残念ながら、ティグノスは皇都では馬車を所有していない。さらには、タウンハウスのような邸宅も持っていない。貧乏なので。


 皇都に常駐している叔父のルスト伯は行政区の中にあるアパートメントで暮らしている。移動も乗合馬車を使っていて、必要な時は王宮の馬を借りているらしい。

 年始の大人数での上京の際は、商業地区内の宿を一軒丸ごと借りていた。見栄もへったくれもない貧乏ぶりである。


 なので、首を傾げる一同に対して、痛む腰をさすりながらアッカーが微妙な顔をした。その馬車が彼の実家、ヴェルトフェス公爵家のものだからだ。

 大事な令息を迎えに、公爵家から馬車が来たのだろう。兄など『やっぱりお坊ちゃんだなァ』とゲラゲラ笑っている。相変わらず兄は性格が悪い。


 そんな下品な兄に対しても、馬車近くに控えていたナイスミドルな侍従がお手本のような一礼をする。そしてアッカーににっこりと微笑みかけた。

「おかえりなさいませ、ヴァイツ子爵様。お疲れのところ大変申し訳ございませんが、すぐに宮廷に出仕するようにとの皇帝陛下からのご命令でございます」

 そう言いながら、恭しく何かの書面をアッカーに差し出した。


 ヴァイツはアッカーが持っている爵位の一つだ。宰相府で働く時に使う名前だと聞いていたので、つまりはこれは正式な皇帝からの呼び出しなのだろう。


 アッカーは大きくため息をつく。

「せめて休みたかった……」

 その一言がなんとも情けない。カタリーナは彼の隣でふふっと笑った。


 この度、無事に婚約者兼恋人になった彼は、最近いろいろな表情を見せてくれる。一見、作り物のように美しい彼が、困ったように笑うのがとても楽しい。


「いってらっしゃいませ。私たちはお家でお待ちしていますわ」


 しかも今回はティグノス一行のために、皇都滞在中はアッカー子爵家所有の邸宅を貸してくれるのだ。いくらかの謝礼はするつもりだが、宿と比較できないほど楽な旅になる。彼には感謝しかない。


 そんな彼女を目を細めながら、アッカーも見返す。

「ありがとう、カタリーナ。でも残念ながら」

 彼はその書状をカタリーナに見せる。

「君も連れて行くように、と書かれている」


「え?」


 慌てて覗き込んだ書状には、確かにアッカーの名前とカタリーナの名前がある。皇帝印もしっかり押してあるので、いわゆる貴族の召喚状というものだろう。カタリーナは初めて見るそれを、まじまじと眺める。

 その召喚状に、メモのようなものが添えられていた。


『君の自慢する可愛い奥さんに会ってみたいので、必ず連れてくるように』


 走り書きのような字体だが、読みやすい綺麗な字だった。それを穴が開くほど眺めてから、カタリーナはアッカーを見上げる。


 アッカーは苦笑いして言う。

「どうやら主君が君に興味を持ったらしい」

「はあ!?」


 帝国貴族の彼が主君と呼ぶのは、この世界にたった一人しかいない、皇帝である。

 カタリーナはあんぐりと口を開いたまま、アッカーと召喚状を交互に見る。アッカーは困ったように笑いながら、そのカタリーナの肩を抱く。

「仕方ない。カタリーナ、少し俺の野暮用に付き合ってくれないか」

「ええ!?」


 さっきから変な声しか出していないヴィレ伯爵令嬢ことカタリーナは、こうして驚きと生暖かい目で見るティグノス一同に見送られ、今二人きりで馬車に乗っている。


 そこで冒頭の発言が飛び出た。


「まさか! 一番最初にまさかが来るなんて思いませんわよ!」

 本気で怒っているカタリーナを、アッカーがなぜか楽しそうにみている。


 彼が今、カタリーナを見ながら全身の毛を逆立てて威嚇する猫を連想して和んでいるなど、知るはずもなく。

「そんな話、どこで聞いてくるんだい?」


「城おばばたちが教えてくれましたわ」

 つんとして答える仕草まで、なんとなく猫っぽい。


「ともかく、わたくしは可愛くもなければ奥さんでもありませんのよ!? どうして皇帝陛下にこのように伝わってしまっているのですか!? それに、この格好ですのよ!」


 二人は今、旅の装備のままだ。二人とも普段用のコートを羽織っており、カタリーナは軽く化粧こそしているが、髪も自分で括っただけだ。間違っても皇帝陛下に面会できる格好ではない。


「それはあちらも承知の上だろう。気にしなくていい。それよりも、カタリーナ」

 アッカーはにこりと微笑む。

「ニコラウスと」


 うっとカタリーナは言葉を詰まらせる。

 最近、アッカーが自分の要求を飲ませたい時にする笑顔だ。カタリーナは目を逸らしながら、唸る。この顔には弱い。


「ニコラウス様、揶揄わないで」

 真っ赤な顔を隠そうと両手で顔を覆うと、

「本当に……心配になってきた」

 アッカーがボソリとそう呟くので、カタリーナは彼を見る。


 無理をしているのだろう。やはり顔色は悪い。その状態で額に手を当てて考え込むようなそぶりを見せられると、どれほど気分が悪いのだろうかと不安になる。


 カタリーナは身を乗り出して、彼の顔を覗き込む。

「どうしましたの?」

「……俺と同じ顔の男がいたら、どうなるかなと」

「はい?」

 カタリーナは首を傾げる。


「俺と同じ顔の男がいたら、君はやはり見入ってしまうのかな、と」


 アッカーが本当に真っ青な顔でそんなことを言うので、カタリーナはきょとんとするしかない。

「それは、そうでしょうね」

 その返答が衝撃だったのか、アッカーが愕然とした表情でカタリーナを見る。


「だって、同じ顔の男なんて、あなたご本人しかいらっしゃらないでしょう?」


 アッカーは瞬きも忘れて彼女を見つめる。


「ティグノスでは人を形作るものは四つあると言われていますわ。帝国では、言いません?」


 アッカーは最初驚いたようだが、すぐに答える。


「北方の国では聞くね。人は身体、魂、力、記憶で形作られている。記憶は体に宿り、力は魂に宿る。古代王国からの伝承だが、ティグノスにも伝わっていたんだね」


「はい、つまり身体を形作るのは記憶で、どれだけ器が同じでも記憶が違うと顔は違いますわ。なので同じ顔はこの世界に存在しない、と」

 そこまで一気に言った後、

「つまり、あなたのお顔はあなただけで……」

 声が小さくなって行くカタリーナを、アッカーは愛おしげに見守っていた。


 確かに彼の顔は好きだが、記憶、つまり人格も好きだと言ってしまったようなものだ。そのことに気がついて赤面するカタリーナだが、一方のアッカーはとても嬉しそうに見える。


「やっぱり揶揄っていらっしゃる! もう知りません!」


 彼から目を逸らし、カタリーナは馬車の外を流れる街並みを見つめる。

 これから行く場所は王宮、この世界の中心と言っても過言ではない場所だ。

 不安がないわけではない。

 だが、好奇心が沸き立つ。

 現皇帝に直接会うのも初めてだ。もちろん王宮に行くのも、実はカタリーナは初めてだ。


 内心、ちょっとわくわくしているのはアッカーには秘密だ。


(でも失礼がないように、しなきゃ)

 そう考えると緊張する。

 自分が失敗したら、おそらくアッカーの名誉に関わってしまう。それだけは避けたい。


 カタリーナは頭の中で、復習する。


 現皇帝はユリウス・ジル・ゴルドメア。確か現在三十五歳で、十数年前の内乱で大怪我を負い、それを隠すため今でも常に仮面をかぶっている。

 皇妃は数年前から体調を崩して療養しているそうだ。元々の身分が低いため、后ではなく妃とされている。公の場には姿を見せない為、あまり多くの事は知られていない。


 その二人の間には、六人の子供がいる。

 これは実は長い歴史を誇る皇帝家の中でも珍しい。子供が三人以上生まれたこと事態、なんと銀の王朝では初めての事なのだとか。


 それから頭の中で、帝国の勢力分布を思い出したりするが、その複雑さにだんだん疲れてしまう。カタリーナは無意識にため息を吐く。


「大丈夫だよ、カタリーナ」

 そんな彼女をいたわるような、アッカーの優しい声がした。

「あまり気負わず、近所付き合いの挨拶程度だと思えば」

 そう言いながら、アッカーは常に耳につけているイヤーカフを外す。途端に、髪の色がいつもの濃い茶色から輝くような金に変わった。


「!!!」

 目をまん丸にして自分を見るカタリーナを、楽しそうに見つめながらアッカーは笑う。


「だけど王宮には男が多いから、俺から離れないように」

 アッカーらしからぬ満面の笑顔で言い含めるように言われて、カタリーナはただかくかくと頷くしかない。

 もうどこに驚いていいか分からない状態だった。

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