第6話 鬼病⑥

 八瀬家を訪れてから2か月後。篠田は骨を返すために再び八瀬家に向かった。中身が頭蓋骨を使った工芸品とあっては、さすがに小包で送るわけにもいかないので、直接手渡しということになる。花本は“うれしいんじゃないんですか”と冷やかしてきたが、楽しみではないと言えばうそになる。少なくとも、話が合う人に会えるのは喜びがあった。

 相変わらず山のが出てきてもおかしくないような山道を移動し、山中の家を訪れた。何も変わるはずがないのだが、季節が移ったので空気がひどく冷えていた。10月ではあるが、山の中は肌寒さを感じる。

 あの大きな門の前に行ってインターホンを押した。前と同じぐらいの時間があれば返事が来ると思えたが、反応がなかった。しばらく経ってもう一度押し、留守だろうかと思われた時、ようやく返事があった。

『はい……』

 あの時と同じイントネーションで八瀬の声が聞こえてくる。だが、ひどくくぐもっていて小さかった。

「お世話になります。北東大の篠田です。例の物をお返しに伺いました」

「……お久しぶりです。母屋にどうぞ」

 どこか調子が悪そうに思えたが、ひとまず戸をくぐって正面玄関へと向かった。家の雰囲気は相変わらずだった。人が一人しか住んでいないという事実を知っていると、それなりに整えられているにもかかわらず、ひどく荒廃しているようにも感じる。

 玄関の戸の前に立ったが、以前とは違ってなかなか開く気配がない。仕方がないので、篠田はごめんくださいと声をかけながら戸を開いた。家の中は外にもましてひんやりしている。出てこないのかと思っていたが、ほどなくしておくから八瀬が姿を見せた。

 2か月前と同じように彫像じみた美しさがあったが、服装は部屋着と思われるスウェットスーツだった。顔色を見ると、元から白かった肌がさらに青ざめている。何か痛みがあるのか顔をややしかめ、乱れた髪が額と目の端を隠していた。

「こんな姿ですみません」

 様子に驚いた篠田に、努めて平静な態度を取ろうとしているが、いまにも倒れそうに見える。

「いえ……。大丈夫ですか? お体の具合がよろしくないのでは」

「少し、風邪をひいたようです」

「ああ……。大変な時に失礼しました。日を改めればよかったかもしれません。ひとまず。こちらを」

 篠田が差し出した箱を、八瀬はそっと受け取り、取り落とすのを恐れたかのように、足元へと置いた。

「突然だったので、ご連絡するのが間に合いませんでした。確かに受け取りました。検査の結果はわかりましたか?」

「CTなどで検査しましたが、まだ作り方や年代までははっきりとしていません。サンプルを成分検査とDNA検査に回しているところですので、そう遠くないうちに全部わかるでしょう。そうしたら報告書をお送りします」

「ありがとうございます」

 ここに来るまでは、八瀬と鬼についての話ができるのではないかと期待していたが、どうやらこの様子では無理そうだった。もう直に話すことはないかもしれないと思いつつ、踵を返そうとしたとき、八瀬が篠田を呼び止めた。

「あの……、DNA鑑定をされるとのお話でしたが」

「はい。それが何か?」

「よろしければ、私のDNAも調べていただけないでしょうか?」

「八瀬さんの?」

「もしも、あの骨に先祖か誰かの骨が使われていたなら、ちゃんと家の墓に葬ってあげたいと考えたので……」

 なるほどと納得しつつ、骨の持ち主が彼女の縁者ではないかと思い至らなかった自分を少し恥じた。本来ならばほほの内側を綿棒でこすってサンプルを取るのだが、あいにく採取キットは持っていない。仕方がないので、髪の毛を数本引き抜いてもらって、中身を抜いたポケットティッシュの袋に保管した。

「それでは、お大事になさってください」

「ありがとうございます」

 外に出るとき、八瀬はふとつぶやくのが聞こえた。あんな角が生えてくるとしたら、どれくらいかかるんでしょうね。


 それから1カ月半が経った。篠田は早速サンプルを解析依頼に出し、持ってきたデータをPCに取り込んだが、他にするべき仕事が数多く入ってしまった。8月から9月にかけてのシーズンには院試やその他の学会発表の準備などが入ってくる。似たような都合で依頼した先も解析が実行できるのが遅れ、じっくりと取り組めるまでにはそれだけの器官が開いてしまうことになった。

 出張とそれに伴う書類提出が終わり、篠田が改めて「鬼の骨」のデータをいじくることができるようになったのは、暑さが弱まって虫の声が高く響く季節に入ってからだった。

 他の学生や院生が帰宅した実験室で、篠田は一人、復顔ソフトを操作していた。このソフトを使えば、取り込んだ骨のデータに肉付けをして、生前の顔を再現することができる。白骨死体の身元確認の他にも、発掘した化石で古代の人々の顔つきを再現するのにも活用されている。

 画面の中では宮森に頼んでCTを取った時の3Dデータが浮かんでいる。それに筋肉を盛り付けることで、鬼が“生きている”時の様子を再現しようとしていた。高度に自動化されたソフトだったが、人間ではなく「鬼」の骨が相手ではなかなかてこずっているようだった。

 エラーが出た部分を手動で調整しつつ作業を続けていると、唐突に電話が鳴った。見ると、相手はDNAの鑑定を依頼した分子人類学者の高成陽介からだった。大学において、通常のまっとうな研究以外でも篠田に付き合ってくれる同好の徒の一人だ。

「よう、俺だ。今、PC使ってるか? 結果を送ったぜ」

「ああ、メールが来てる」

 パソコンのメール着信通知ボタンを押してソフトを開くと、添付ファイルが付けられたメールがあった。

 篠田が扱うDNA関連の物については、いつも高成に依頼しているが、依頼の際にはサンプルの出所は教えない。結果に先入観が入るのを防ぐためと、解析後の結果で当て物をして遊ぶためだった。

「解凍するから少し待ってくれ」

「OK。とりあえず概要だけ口頭で説明するわ。お前さんが送ったのは5サンプル。骨髄付近の残存物由来の物が4つ。人間の毛髪由来の物が1つ。結論から言えば、最初の4つは同じ人間の物だ。性別は女性。確率は限りなく100%ここまでは良いか?」

 それを聞いた篠田の動きが止まった。“すべて同じ”、“人間”。その言葉が頭の中で反射する。どういうことだ? 頭蓋骨の目の奥、顎、歯、そして角。それぞれの場所から採取したDNAは同じ人間の物だった。あの角も歯も、頭蓋骨と同じ人間の一部。あれは継ぎ接ぎではなかった?

「おーい。どうした。次言って良いか?」

「あ、ああ。すまん、続けてくれ」

「電話しながら寝ちまうなよ。で、だ。毛髪のサンプルだったが、これも女性。最初の4つとは血縁関係にあるな。3世代以内だ。あたりだろ?」

 それを聞いた篠田の動きは再び止まった。八瀬が血縁? あの頭蓋骨と? 祖先どころか3世代以内。曾祖母かその姉妹、あるいは祖母か? 角の生えた頭蓋骨と、あの女性は親族……。

「お、図星かな? それと気付いたのは偶然なんだが、サンプル取った女の人って何か骨の病気を持ってないか? 骨形成たんぱく質のコードに異常がかなりたくさんあったぞ。骨の方のサンプルにも同じ変異があったから、遺伝する病気の可能性があるな。ウイルス性疾患とか伝染性蛋白質だったらうつるかもしれん」

「骨の病気?」

「何かこう、変な形の骨の依頼で、うちの曾婆さんが宇宙人じゃないかどうか調べてくれ、なんて話だったりするのか? しかしこれは病院で検査してもらった方がいいかもしれん」

 次々と飛んでくる事実に反応できない篠田の様子を電話越しに感じ取り、高成は話を続けているが、篠田はもうほとんど聞いていなかった。あの鬼の頭蓋骨は本物で、八瀬と血縁関係にある。そして、両者とも骨の形成に関する異常を持っている。

 “もし本当にこんな形で角が生えてくるとしたら、どれくらいかかるんでしょうか?”

 八瀬の言葉がリフレインする。もしもこんな形になるとしたら……。

「おーい。大丈夫かお前? 電話の調子悪いのか?」

 何度も呼ばれ、篠田の意識はようやく現実に戻った。ファイルの解凍が終わり、解析された結果の報告書が展開されている。高成の言葉通りだった。

「ああ、悪い。結果はもらったよ。ちょっと今からやることが出来た。解析ありがとう。今度奢るよ。じゃあな」

 まだ何か話そうとした高成の声を遮断するかのように、篠田は携帯を切った。

 報告書のウィンドウを横に置き、篠田は肉付けされた「鬼」の顔を改めて眺めた。一言で表すならば、それは「真蛇」の面だった。嫉妬の罪業がこの上なく深くなって鬼になった女が、般若をさらに通り越した状態を表現した面だ。

眉の付け根が隆起しているため、その表情はきつく眉根を寄せて激しい恨みを発散しているようにも見える。発達した顎は口元をゆがませて、歯茎から幾つも飛び出た八重歯をむき出しにさせている。額が盛り上がったことで顔全体の皮膚が引き上げられ、目尻は吊り上がっていた。

 篠田の胸中に、急速に嫌な予感が膨れ上がってきた。その放出先を求めるかのように、八瀬に送るメールの下書きを用意し始めていた。

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