エミューナと、これから

「でも、ネヒティアは最近力をつけてきているのでしょう?そううまくいきますか?あなたたちの考えなら、ワーネイアを先につぶすのが手じゃないのですか?」

アンゼが椅子に深く座り直しながらクリウスに尋ねる。クリウスは真顔になり、注意深くアンゼの反応を探るように答えた。

「そうですね、そうしましょうか…と言ったらどうします?」

「…協力できないと思います、まだそこまで決心はつきません。」

「でしょう?ネヒティアは確かに歴史ある国で、また最近再興の兆しもありますが、今は小国にすぎません。それゆえ、兵の足並もそろっていません。ウイニアの軍と革命党、そしてあなた達の力があれば、勝てます。」

自信満々といった様子のクリウス。

「今は、二人の協力がまず必要なのです。」

クリウスの隣でフィーアールも重ねて言う。

「ハァ…。」

エミューナとしては、ワーネイアを先につぶしましょうか、などと言われては、不快に思わざるを得ない。改革が必要なのには同意するが、それは父とアンゼの仕事だろうとも思うのだ。

「…。少し時間をください。エミューナ様、お話があるからちょっといっしょにいらっしゃい。」

アンゼとエミューナが別の部屋に移動する。

残されたフィーアールは、クリウスにそっと囁いた。

「勝てますか、ね。」

クリウスはフィーアールの方を見ず、目を閉じて頷いた。

「ああ。二人がこちら側にいるというゆさぶりは大きい。」


先程通されていた応接間の隣、控室のような小部屋の卓上に、アンゼは禁書庫で集めた資料を拡げた。

「エミューナ様、この資料を見てくれる?」

「はい。」

「まず、これはルルグの町で私達が知った異教徒狩りについて。アリョーシカが当時行った大規模な異教徒狩りは、本当に異教徒を潰す目的で行われたものでは無かった、というのはルルグで聞いた通り。

 で、どういう基準で狩りが行われたかというと…、ここを見て。これは各都市や村落の国に対する『貢献度』を表しているわ。つまり、税金、人夫、上納品。これらを納められない貧しい土地から順に、多くの『異教徒』が見出されていた。

 つまり、飢饉に喘ぐ貧しい土地から人を減らすことで飢饉を解決しようとしたらしいの。そして『異教徒』達は、特殊な例を除いては、一律で植民地開拓に送り出されている。エマさんが言うように殺されてはいなかったけれど…、もう二十年前の出来事よ?彼らはそこから一度も、本国に帰ることが出来ないでいる…。死んだも同然の絶望でしょう。

 …この四半世紀ですでに九つもの街が地図から消えてる。二つは合併したからだけど…、五つは黒死病で全滅したから。一つは海賊の襲撃にあって。そして残りの二つは…最初からなかったことになってるの。つまり、神官達が都合の悪い町を消してしまったのね。これはお父様が『浄化』の計画にサインした書類よ。でも、裏も表もインクが擦れてるでしょ?きっと、いちいち書類を確認することなく、流れ作業で署名したのね…それがどんなものかも知らずに。アリョーシカの持ってくる書類に、よっぽど絶対の信頼をおいていたんでしょうよ。権力…、恐ろしいものね。一行のサインのある紙切れが、あんな悲劇を起こすなんて。」

アンゼは一度言葉を切り、エミューナの顔を確認した。エミューナはアンゼが指し示す資料を手に取り、難しい顔をしている。

「こっちは、財政の話ね。正直、過去にも何度か飢饉は起こっていたわ。二十六年前の飢饉で反乱が起こったのは、飢饉に際して金融緩和策が不十分だったから。何故不十分だったかというと、アリョーシカを招く際に教会に莫大な寄進をしたからよ。お父様はもともと派手好…信心深い方ですから。

 国庫が正常であれば、しのげる規模の飢饉だった。でも、そのタイミングでのそれは、ただのトドメだわ。お父様としては、教会に寄進をしたのだから、教会に頼りたくもなるでしょう。そこでアリョーシカに泣きついた、という流れかしらね。そして手段はともかく結果的に反乱は収まった。お父様が反省なさることは、無かったのでしょうね。それからも国庫に余裕が出来たら軍備と教会に…これは、クリウスからも聞いた通りの流れね。

 それはこの数十年の、毎年の税制を表にしたものよ。二十六年前…ぐんと下がったのは飢饉があったから。後の数年間は、反乱などで政治が混乱していたから仕方ないとして…、その後いったん浮上してる。これはアリョーシカが厳しい弾圧をして農民を黙らせたから。つまり、少しは効果があったってことかしら。でも、ほら見て。それからはずっと、下がりっぱなし。三十年前の好景気は見る影もないわ。特にこの二年は、黒死病のせいで激減してる。こんな財政難の中で、商業大国のウイニアに戦争を仕掛けようなんて、お父様も無謀すぎるわ。軍隊だけでは、戦争には勝てないのにね。」

「また反乱が起こるのでは…」

「無理よ、誰もそんな余裕がない。一番裕福なオイディニア領のフィーアールが、細々と革命党をやっているくらい。彼らだって、見たでしょう?満足に装備も揃えられない烏合の衆よ。」

「そんなに弱ってしまっているなんて…」

「ふがいないわよね。…さ、これを見てちょうだい」

「これは…?あ、小さい頃に教えてくださった先生のお名前もありますね。これは何ですか?」

「…そう…。これは、反逆の罪を着せられて処刑された人達のリストよ。」

「!!!そんな…!タデウシュ先生はそんなことする人じゃありませんでした!」

「そう、そのリストには、理由の欄にあまりにも適当なことが書かれてあるものがある。明らかに無実な人達や、一般に忠臣として名高かった人の名前もあるわ。この十年間でその数は着実に増えている…。もし十年前に今みたいな状況で、お父様が戦争をしようとしたならば、良識ある老臣達が止めに入ってくれたでしょうにね…。でも今は、もう、いない。自分の命が惜しいなら、追従するしかないと分かったのよ。」

「これも、アリョーシカ様が…」

「えぇ、確かに、仕向けたのは彼女なのでしょう。けれど、やったのは、お父様よ。責任はお父様の方に、より多くあるの。」

アンゼは妹に説明を終えて様子を見た。彼女は悲しそうな表情を浮かべている…父の気持ちを慮っているのだろうか。父はエミューナに対しては愛情深い男だ。しかし、その愛が向けられない民草がこれほど多ければ、それは愚王なのだ。

「ひどいでしょう?」

「……。」

エミューナは黙って頷いた。

「いつか言ったわよね。私はこの国を見たい、と。」

「お父様が、あんなことをしていたなんて知りませんでした。ずっと、信じていたのに…。わたくしは、ずっとワーネイアのことを誇りに思っていたのに…。でも…」

「これが全てではないわよ。ただ、私はワーネイアを変えたい。そのためには、今はクリウスたちに協力する。これが私のやり方。」

エミューナは再び頷き、顔を上げてアンゼの目を見た。

「わたくしはどうすればいいですか?」

「私は何もいわないことにする、今回は。自分で見て、思ったことをもとに、決めるといいわ。…生き方が、大きく変わってしまう点になるかもしれないから。」

「そう、ですか。」

エミューナはまた資料に目を落とした。誰かを信じることは簡単だ。しかしその結果、父は間違えてしまった。自分が同じことをしないためには…、まず色んな人に、意見を聞いてみようか…。

エミューナに自覚は無かったが、彼女の抱いたそれは、間違いなく自主性の萌芽だった。



高貴なる紫紺の犀の国章が掲揚された、黒大理石の広間。『夜』の名を持つネヒティアの玉座だ。

「お父様、ボクはそんなこといやだってずっと言ってたじゃない!」

赤い髪の皇子が玉座に対して声を荒げる。甲高い、少女のような声だ。

「『国王』と言いなさい、ルドヴィーク」

茶色い髭を蓄えた長衣の王が皇子を嗜める。

「知らない。ボクは結婚なんてしたくないよ。」

「しょうがないだろう?チェザーレはいなくなってしまったのだから。」

第一皇子チェザーレの名を出されると、ルドヴィークの鮮やかな翠の眼が冥い怒りを帯びた。

「お兄様が他の女と結婚するなんて絶対いやだった!

 ボクはまだ十五歳だし、それに…」

「ネヒティアのためだ。ワーネイアを領土にするためには人質がいる。そのためにこっちに呼ぶだけだ。結婚なんぞ、形式だけだ。」

「形式って、でもボクは、ボクは…」

「おまえの気持ちもわかるが…」

宥めようと席を立つ父を拒否して、ルドヴィークは尚も言葉を継いだ。

「それに…、そんなのウソツキじゃないか!ワーネイアにしても、もっと正々堂々とやればいいよ!ウソツキはいやだ!」

「政治というのはそうかんたんなものじゃない。」

「また神官に何か言われたんだ!神官の言う通りにばっかり!ボクはだから…」

「いいかげんにしろ!」

「知らないっ!!」

皇子は玉座の間を駆け出した。ルドヴィークは兄が姿を眩ませてからというもの自室に引きこもり気味で、帝王学を学ばせようとしても拒否され続けている。唯一、元家庭教師のモーチェス神父にだけは懐いていて、彼を召集すれば皇子の様子を聞くことは出来るが、モーチェスは神官長グロチウスと折り合いが悪い。

嫁に来てくれるエミューナ姫と打ち解けてくれるのが一番手っ取り早いのだが…。ネヒティア王の悩みは尽きなかった。

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